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「耳」から入ってくる言葉って全体像が理解しにくい

最近映画を観ながら、ふと気づいたこと。

「私って、耳から入ってくる言葉が認識しづらいかもしれない」

今までうっすらその感覚はありましたが、深く考えてみたら、これまでの社会人生活で感じていた不自由と多々繋がる点があったのでさらに深掘りしてみます。

まず学生時代。
コールセンターでバイトをしていた頃、お客様とのやり取りで大変苦労した記憶があります。

聞くことに必死で、メモすることに必死で、全体像が分からなくなることがしばしば。でも相槌は一丁前。(良い子は真似したらダメ)
当時は社会経験なんて無かったし、まあこんなもんだろうと思って特に気にしていませんでした。

しかしこれは社会人になってからも変わらずで。

面接、面談、ミーティング。
事前にアジェンダをもらって頭に入れておかないと、資料の投影がないと、相手が話していることの意図が瞬時に理解できない。

想定していなかった質問をされたとき、意図が瞬時に理解できないから当然自分の考えをまとめるのにも時間がかかってしまって、上手に伝えられない。(この欠点によって誰かに迷惑をかけているとしたら、おそらくここ)

でも文字でのコミュニケーションだと、相手の短い文章からでも意図を汲み取れるし、私自身も過不足なく伝えることができます。

このことから分かるように、普段のコミュニケーションだと聞く・話すどちらも不自由ないレベルなんですが、仕事面など「明確な何かを理解する / させる」状況になると、てんでダメになってしまうんですよね。

おそらく私は ”耳から得られる情報量のキャパが人より少ない” のかもしれない…。(おまけに口からのアウトプットも苦手。シンプルにコミュ障!)

なので、洋画などでも吹き替えより字幕の方を好んで観ます。
その方がストーリーやキャラクター、今起きている状況を理解しやすい。
なんなら、配信サービスでは日本語吹き替え&日本語字幕で視聴したり。

今まで無意識に字幕表示を選んでいましたが、こういう理由があったのか〜と自分で自分に納得。

ネットで調べたら、もしかしたら何かしらの性質など出てくるかもしれません。でも、この不自由に別に名称は必要ないかなと思って調べてはいません。

仕事面で不自由を感じているのであれば何かしら対策すべきでは…?と思うかもしれませんが、今さら克服しようとしてもそれはそれで自分のストレスになりそうですし。
なので、そういった場面を圧倒的に避けられる環境に身を置けるよう、そっちの方向で努力したい。(コミュ障の極み)

人間、大なり小なり、苦手があってもいいですよね。
自分の個性ということで、付き合っていこう。

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