今日は少しだけセンシティブな本音を話してみる。
最近、「悠里さんにだったら(恋愛的に)アプローチ受けても誰でもOKすると思うのに」と、おそらく褒め言葉の如く、そんな言葉をかけてくれるお友達がいました。
自身は貰ったその言葉に対して、そこで初めて言語化したい気持ちになったというか、それで、
「もう恋愛とか、怖くなっちゃったんだよね。誰のことを好きになったとしても、今はタイミングじゃないんだよねって言われたりとか、
他に好きな人がいてその人はその好きな人に不当な扱いを受けているとか、
異国に引っ越してしまうから物理的に住む場所の距離が離れて寂しいとか、それを予期して深い関係にはならなかったり、
なんだかいつも切ない展開になる。
だから、誰かのことちょっと好きかもしれないとか思っても、直接伝えるくらいの勇気出すとか、そんな気が起きなくなってしまって」
みたいな旨の、ある種本音にかなり近い部分の気持ちを話しました。
それと同時に、自分は結構辛い気持ちに駆られていたのかも、という自分に気づいたというか。
ちょっと切なくなってしまった。
人を好きになることは、怖い。
強い感情に駆られることも、切ない気持ちになることも。
そもそも自分はもう自分の死期も死因も見つめているというのに、そんな自分の人生に巻き込んでしまうことが怖くなってしまって。
誰かに気持ちを持つのも、それを伝えるのも、
億劫になってしまった。
周りで幸せそうにしている人たちを見ると、友だちの幸せを見届けることこそ自分の幸せであって、自分は別に直接的に誰かに特別愛されることは無くていい。そんなふうに思います。
愛したり、愛されている人はとても心から穏やかな表情をしていて、見ていて癒されます。
人を愛すことのできる人は、人からも愛される人。
特定の一人にではなくて、人類を全般的に、生き物を比較的分け隔てなく愛しているから、特別に誰かから愛されるべきじゃないのかも。そんなことも考えたりするし、
「”ふつうに”誰かから愛されたいな。」
と、いっちょまえに愛に飢えてみたりもします。
そうしているうちに、自分は本当にはどうしたいのか、わからなくなってきて、考えることを無為なことと捉えてしまい、思考することをやめる。
それのループを何度繰り返したんだろう。
別に俺は満たされてないよ。
特別裕福なわけでもない、なにかにすごく秀でてるわけでもない。
孤独を感じたり、叫ぶように歌いたくなったり、そんなこと感じながら生きてます。
結局なにが言いたかったんだろう、わからないままだけど、今日はこんなところにしときます、あとで深掘りして書きたいテーマがあるから、また来るね。
読んでくれてありがとう、千川の10番でした、またね。
千川悠里(10)