あまりにもいつもどおりで。

「おやすみ」

彼女専用のソファ(結果的にそうなってしまった)に目をやり、いつも通り、声をかけてしまう。

たしかに、もうそこに彼女はいないのに。

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彼女がいなくなってから、もうすぐ2週間が経つ。

最初の3日は、もう大丈夫だと思っていたのに夜になれば必ず泣いた。仕事中、暇になれば彼女のことを思い出して視界が歪んだ。

だけれど今は、毎日思い出すことは無くなった、というか思い出さないようにした。泣いてしまうから。

彼女がいなくなった実感は、まだない。確かに、冷たくなった彼女の体に触れて、何度も顔を寄せて、写真も撮って。最後のお別れの前に、いろんな思い出を作ってもらったのに。


彼女が居なくなって、必要のなくなったお布団や毛布たち。人間用になった部屋。この部屋に彼女がいないことを節々から理解できるのに、それでも今も彼女がいつものソファで寝ているように思ってしまう。

その日のこと、向こうに行ってしまった時のことを思い出すだけで、視界がぼやける。

その瞬間には立ち会えなくて、母と父からの伝聞を想像するしかできないのだけれど。

何度も想像する、その瞬間の彼女はきっと苦しくなくて、やっと母に会えたことに安心してうっかり眠ってしまったんだろうって。

最後に目を瞑った時、彼女の中にあったのは母に会えた喜びだっただろうって。


たくさん泣いて、たくさん悲しんで、たくさん惜しめばお別れができると思った。後悔せずに居られると思った。そう思うと、寝ることが怖くて。

明日になればもう彼女の体はなくて、触れることは2度とできないんだと思うと、眠ってしまっていいのかわからなくなった。本当に心残りはないか、自信がなかった。今思えば自信なんてつくわけもないのにね。

情けないけれど、経験者の友達に助けを求めて、彼女が初めてうちにきた時を思い出しながら目を瞑った。あの時は本当にありがとう。


何度も浮かぶ「なんで?」と「いや、でもこれでよかった。」を繰り返しぶつけて、整理をつけたはずだった。

だから、彼女がいないことを実感して、
これから生きていくんだと、1日ずつ生活を積み重ねていくんだと思った。


なのに、
彼女のいないリビングはあまりにもいつも通りで。

(厳密に言えば以前はなかった彼女の遺骨や写真、火葬の前にもらった思い出たちが置かれていたからいつも通りではなかったのだけれど。)

伝わるかわからないが、空気感が、雰囲気が。感じるものが、いつもとおなじだった。そこに彼女がいるんだと思ったんだよな。だから自然と、

「◯◯、行ってくるね〜」

「おやすみね〜、またあした」

そう声をかけてしまう。
彼女が今もそばにいてくれてる気がする、それは良いことなのか悪いことなのかはわからない。


だけど、どうせいつかいないことを実感する日が来るのだろうから。

いまは、彼女がいる"いつもどおり"を感じていよう。

明日の朝、もう大きなゴロゴロ声で「おはよう」とは言ってくれないし、
朝の頭撫でてコールもないんだろうけど、

だけど、きっといつものソファでうたた寝をしてる。




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