見出し画像

西洋の産物、東洋の異物

物事の側面をどちら側から見るか。
それで見える世界が決まる。
その事実を突きつけられる、ここ数年のヨーロッパ暮らし。
第二次世界大戦後すぐに生まれた世代は、
完全に世界地図の見方が凝り固まっていて、どうにもこうにもほぐしようがない。

先祖にあらかじめ敷かれた優劣の絨毯の上で、
寛ぐ人々。

そもそもその絨毯自体が西洋の産物であって、すべての人類に必要とされているわけではない。とは、思いもしないのだろう。
絨毯の下には地面があって、草や苔が生えて、木の根が走り、小さな生き物たちが蠢くその生命の塊、大地を裸足でありのまま踏み締めるその愛おしい感覚を、野蛮の一言で切り倒し、知的で上品という仮面である絨毯を誇らしげに広げ、その上をさらに靴のまま踏み鳴らす。
土の上に気持ちよく胡座をかいて座る人々を、野蛮で品がないと見下し、わたしたちのように振る舞えるなら絨毯に乗ってもよろしい、とさも偉そうに、また慈善家のような顔つきで言い放つ。
自然から五感を引き離すことを教養といい、
地球の一員として生きることを否定することをマナーという。
プラスチックで出来た靴底、
伝統という名の消費、
家族団欒という名の、ただの写真撮影会。
意味のない会話を繰り返す。
誰が誰と結婚して、誰がどこにいくらの家を買う。投資。教育。政治。そこに現行中の戦争の話題を一振りして、また家の内装の話に戻る。
物質的な側面ばかりを見て一喜一憂する、教養のある、上品な人々。
ポリエステル製の絨毯の上で誇らしげに椅子に座り、観葉植物とペットの犬を側に、
一流の日本茶を生活に取り入れて東洋との繋がりを強調する。
なんともはや。
あげくのはてに、新年あけましておめでとうはフランスパリの凱旋門に打ち上がる幾千もの花火と耳障りで滑稽な音楽に感嘆の声を漏らす。そこに集まる群集は携帯を片手に、Instagramに投稿するためだけにその瞬間を待つ。

さようなら。
ここにはもう居られない。

真の美、豊かさ。
それは野蛮といわれた人々、景観を損なうと切り倒された森、ゴミ処理で埋め立てられた海、害があると駆除されたすべての文化に宿っていた。
もう取り戻せないのだろうか。
これ以上、おなじこと繰り返してはいけない。

絨毯をひっぺがして、その下にある生身の自然な人間をどうか見せてくれよと思う。
そしたらそのときはついに本当のハグができよう。

いいなと思ったら応援しよう!