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宗教の本質とは何なのか考えた

宗教2世やカルト宗教が未だかつてないほど日本で注目を浴びていて、やっとそんな時代が来たんだな。と眺めています。

わたしは元宗教2世で、壮絶な宗教のしがらみを抜け出した経験があることから、宗教にはずっと拒否反応があり、自分が入っていたのではない宗教や、哲学について学ぶことにも嫌悪感がありました。

ところが、インド・スリランカ発祥で5000年の歴史をもつ伝統医学、アーユルヴェーダを心身の健康のためにと学び始めたことで、宗教という概念を肯定できるようになりました。

肯定できるようになったというか、宗教の大元の概念はみな同じなのだということを理解したという方が正しいかもしれません。

アーユルヴェーダといえば、「シロダーラ」というおでこにオイルを垂らす施術を見たことがあるかもしれませんが、それ以外にも、生活習慣やヨガや瞑想、哲学などその内容は膨大で多岐にわたります。

アーユルヴェーダの哲学では「真我」という概念があります。真我とは「純粋意識」のことで、自分の体も心もその周りで起こる全てのことも、ただ目撃している絶対的な存在です。

ヨガや瞑想の本来の目的は「真我」の存在に気づくことです。つまり苦しみ、怒りなどの感情も常に移り変わる一時のものであって、「真我」=本当の自分がそれを観察している、と気づくことで自分の感情をコントロールできるようになってきます。

アンガーマネジメントの基本でもあるように、怒りは観察することにより沈めることができます。楽しい、つらいといったどんな感情も一時的なものなので、それを観察して、手放すことでつねにニュートラルな状態に自分を保つことができます。

現実にいつも自分をニュートラルに保つのはとても難しいことですが、わたしは朝瞑想をして自分のザワザワした状態、平穏な状態、などを観察して経験することで、日々の暮らしのなかでも「わたしは今子どもにイライラしている」と自分を観察する習慣がついてきました。

冷静に観察するだけでも、少しイライラは落ち着きます。「イライラしているから良くない」とジャッジすると余計落ち込みますが、「わたしイライラしているなぁー」と見つめるだけです。その見つめている存在こそが、「真我」なのかなと理解しています。

宗教の話に戻りますが、アーユルヴェーダでは自分の本質・根源が「真我=アートマン」であるのに対して、宇宙全体の根源は「ブラフマン」と呼びます。哲学の種類によって考えが異なりますが、アートマンとブラフマンは同一という見方もあります。

アートマンとブラフマンは同一でもそうでなくてもいいと思ってます。宇宙全体の根源であるブラフマンとは、宗教でいう「神」ですよね。そして宗教を信じる方々はその神に祈りを捧げます。つまり、瞑想をしているわけです。

「根源的な存在に意識を向けることで、心の平安を得る」という考え方は、どの宗教にも共通しているものだと気づいたわけです。それはとても平和的な動機で、何も悪いものではないと思います。

そこに、他の宗教は間違っているとか、選民思想だとか献金だとか、色々なことを持ち込むから揉めたり、事件になったり戦争になったりするんじゃないかな。

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