見出し画像

クルガン仮説から考える。「バベルの塔」とは「ミトラ教」の聖塔だったのか。

今回は、「クルガン仮説」から考えていきたいと思います。

クルガン仮説 (クルガンかせつ、Kurgan hypothesis) は、ロシアウクライナ南部に存在した「クルガン文化」がインド・ヨーロッパ祖語話し手であったとする仮説である。
1956年マリヤ・ギンブタス(Marija Gimbutas)は、彼女の「クルガン仮説」を「クルガン考古学」と言語学を結びつけて、原インド・ヨーロッパ語を話す人々の起源に位置付けて提唱した。

ギンブタスは、明確な墳丘「クルガン」を伴う墳墓を持った「文化」を仮に「クルガン文化」と呼び、クルガン型の墳丘墓がヨーロッパへ伝播していったことをつきとめた。この仮説は、インド・ヨーロッパ語族の研究に重要な影響を与えた。ギンブタスを支持する研究者たちは、クルガン文化には、紀元前5千年紀から紀元前3千年紀にステップヨーロッパ南東部に存在した原インド・ヨーロッパ語族の民族的特徴が反映されていると考えている。

クルガンが原インド・ヨーロッパ語族のものであるというクルガン仮説は、黒海の周りに広がるポントス=ステップ全体に漸進的にひろがっていくクルガン文化を想定している。

クルガン仮説 - Wikipedia
クルガン仮説によるインド・ヨーロッパ語族の拡大例


「クルガン」とは墳丘墓のことで、墓の上に土や石を積むことによって作られた小高い丘のことです。

この墳墓を持つ「クルガン文化」が、インド・ヨーロッパ祖語の話者の起源である、という仮説になります。

「ロシア・ウクライナ南部」というのは、「ユダヤ人」にとって重要な地域であることは間違いないようで、RAPT理論によって「ユダヤ陰謀論」が解明されています。


RAPT×読者対談〈第50弾〉ユダヤ陰謀論、ここに極まれり。


「クルガン仮説」の起源地とは、「ロシア・ウクライナ南部」の「ポントス・カスピ海草原」だと考えられています。

草原はドナウ川からウラル川の間にほぼ分布する。上図は、ポントス・カスピ海草原全体の中での最大部分を占めるポントスステップとして知られる地域を示している。


そしてユーラシア・ステップには、「草原の道」と呼ばれる「シルクロード」の先駆けとなる交易路があり、騎馬民族の活動の場でした。

ユーラシア・ステップ(瑠璃色に着色)。緑地と砂漠の中間に位置するエリアである。

ながらく騎馬遊牧民国家の繁栄の場であり、歴史的に多くの部族連合や古代国家が興隆した。匈奴スキタイキンメリアサルマタイフン族ホラズムソグド人鮮卑突厥汗国モンゴル帝国などが有名である。

ユーラシア・ステップは馬の家畜化が始まって以来、騎馬民族の活動の場であった。クルガン仮説によれば6500年ほど前に騎馬民族であるインド・ヨーロッパ語族が南ロシア平原から拡散した。

ユーラシア・ステップ - Wikipedia


6500年ほど前に、南ロシア平原からユーラシアステップに「インド・ヨーロッパ語族」が拡散した、と考えられています。

「クルガン仮説」によるインド・ヨーロッパ語族の拡大図を見ると、「ロシア・ウクライナ南部」を起点に、カスピ海の東側から現在のイランを通り、トルコの「アララト山」辺りにも拡散したルートがあります。


出典:https://ameblo.jp/motoharu567/entry-12233651284.html


トルコの「アララト山」と言えば、「ノアの箱舟」の漂着地とされています。

1952年、フランスのフェルナンド・ナヴァラ氏が、アララト山に登った際、氷河の上に巨大な船体らしき陰を発見する。2年後、改めて調査して、船を支える梁の一部らしきものを採取する。彼はエジプトのカイロ博物館にその黒ずんだ木片を持ち込んで鑑定してもらう。すると驚くべきことが判明する。材質は糸杉であって、聖書の記述と一致し、加工のあとも見られた。さらに年代測定の結果、紀元前3,000年から4,000年のものであることもわかった。これもまた、聖書の記述と一致している。

ノアの箱舟


ノアの箱舟の年代とは、紀元前3000年~4000年頃であるようです。

「クルガン仮説」ではインド・ヨーロッパ語族が、6500年ほど前から「ロシア・ウクライナ南部」から拡散していったと考えられているため、聖書に登場する「ノア」も、この仮説の民族移動に該当していたのではないか、と考えられます。

バベルの塔
 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。
 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

旧約聖書 創世記 11. 1-9 新共同訳


聖書には「東の方から移動してきた人々」が、シンアル(シュメール)の地に住み着き「バベルの塔」の建設を始めたと書かれています。

トルコの「アララト山」に漂着したとされている、「ノアの箱舟」によって救われたノアの子孫から、地上の諸民族が広がりました。

「クルガン仮説」の起源地とは、「ロシア・ウクライナ南部」の「ポントス・カスピ海草原」の辺りだと考えられており、この「アララト山」のすぐ北側になります。

ノアの子孫が、「クルガン仮説」のルートの中の「ソグディアナ」周辺を通って、イランの方からシュメールの「バビロン」にやって来た、とは考えられないでしょうか。

「シュメール」の地はメソポタミアにあったため、その東とは現在のイランに当たり、「クルガン仮説」通りの移動ルートとなります。

このように、東の方から「バビロン」にやって来た「ノアの子孫」が「バベルの塔」を建てようとした、と想定します。

聖書とクルガン仮説に従って考えると、「バベルの塔」の建設まで世界の言葉は「インド・ヨーロッパ語」という「一つの言葉」だった、と考えられます。

『主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。』

そして聖書に書かれてある通りに、神様によって世界の言葉はバラバラにされました。

この「インド・ヨーロッパ語族」が崇めていた神とは、ミトラの神だということです。

ミトラ(ミスラ)の神は、インド・ヨーロッパ語族の神で、特に古代インドや古代ペルシア(イラン)にいたアーリア人たちから崇拝と帰依を受けた太陽神(光明神)です(本来、ミトラ神は光の神だったが、ヘレニズム以後、太陽神とされるようになった)。さらに、戦いの神(戦闘の神)として崇拝を集めた時代もありました。

ミトラ教①:古代ペルシャの密儀宗教


そしてミタンニ王国(前1700-前1270)という国の名は、ミトラからきており、ミトラ教が国教とされていたそうです。

ミトラ教の起源
ミトラ教の起源は、インドの「リグ・ヴェーダ」やゾロアスター教よりも古く、紀元前1700年以前にまでさかのぼることができるとされています。この時代は、イラン系民族(ヒッタイト、ミタンニ、カッシートなど)が西アジアに移住し、国を形成していた頃で、この当時のミトラ教は、原始ミトラ教と呼ばれます。

このうち、ミタンニ王国(前1700-前1270)は、イラン系民族の一つミタンニ人がシリアからイラク北部にかけての地域につくった王国ですが、ミタンニという国名は、ミトラからきており、ミトラ教は国教とされるなど、ミトラ神信仰が定着していたことがわかります。

ミトラ教①:古代ペルシャの密儀宗教


【紀元前15世紀頃の勢力図-ヒッタイト/ミタンニ/カッシート/エジプト新王国】
出典:https://sekaishi-gendaishi.com/archives/257


上記の地図から「ミタンニ」というミトラ教の国が、メソポタミアにあったことが分かります。

七曜(しちよう)とは、太陽と月に五惑星(水星、金星、火星、木星、土星)を合わせた7つの天体の事をさし、ミタンニ王国とメディア王国の時代に、それぞれに神が対応されて七曜神(惑星神)となりました。そもそも天使とは「神の使い」、「天界の住人」のことをいいます。ミトラ教では、最高神ミトラに使える神々(ミトラ神群の七大神)が七大天使となったと考えられます。

ミトラ教①:古代ペルシャの密儀宗教


七曜という、太陽と月と五惑星(水星、金星、火星、木星、土星)を合わせた天体が、ミトラ教では「七曜神」となったということです。

「バベルの塔」とは、バビロンのマルドゥクの神殿に築かれたジッグラト「エ・テメン・アン・キ」のことだと考えられています。

底面約91メートル×約91メートル、高さ約90–91メートル(高さは推定)の7層建てであり、各層が七曜を表し、1階が土星、2階が木星、3階が火星、4階が太陽、5階が金星、6階が水星、7階が月であった[要出典]。これはバビロニア天文学では、地球から遠い順に「土星・木星・火星・太陽・金星・水星・月」と考えられていたことに基づく。各層には神室があり[要出典]頂上(7階)には神殿(至聖所)があったと推測される。

エ・テメン・アン・キ - Wikipedia


ここで注目すべき点は、7階建ての「エ・テメン・アン・キ」の『各層が七曜を表し、1階が土星、2階が木星、3階が火星、4階が太陽、5階が金星、6階が水星、7階が月であった』という点です。

「七曜神」とはミトラ教の神であるため、「バベルの塔」とは「ミトラ神」のための聖塔であったのではないか、と考えざるを得ないのです。

「バベルの塔」は、ハムラビ王の時代に建てられたと言われています。

Schoyen コレクションのウェブサイトによれば、バビロニアのジッグラトは元々ハムラビ王の時代(紀元前1792-1750)に建てられた。

「古代バビロニア粘土板がバベルの塔が実在したことを証明!」


ミトラ教の起源は、紀元前1700年以前に遡ると考えられているため、「バベルの塔」がミトラ教徒によって建設されたとすることに、矛盾はありません。

「エ・テメン・アン・キ」は、「マルドゥク」の神殿の中心部に築かれれていました。

名は「太陽の雄の子牛[1]」(シュメール語ではアマルトゥと表記され「太陽の若き雄牛」)という意味を持つが、正確な名前の由来は分かっていない[3]

マルドゥク - Wikipedia


「マルドゥク」という名は、シュメール語で「アマルトゥ」と表記され、「太陽の若き雄牛」という意味だというのです。

ミトラ教とは、太陽信仰と雄牛信仰を結びつけた宗教であるため、やはり「バベルの塔」はミトラ教の信徒によって建設されたと考えられます。

さらに、「世界征服者」とも呼ばれるアレクサンドロス3世も、ミトラ教徒でした。

アレクサンダー大王は、新しい時代の到来を強調するために、新たに臣下となった西アジアの人々に、ミトラ崇拝を奨励しました。ペルシア帝国下でのゾロアスター教の「アフラ=マズダーとアーリマンが戦った時代は終わり、ミトラの時代が始まった」と宣言し、自らをミトラと呼ばせました。ミトラ教の教えでは、王はミトラの化身であったので、クルド、ペルシア、バビロニアの人々は、アレクサンダー大王をミトラの化身と受け取ったと言われています。

ミトラ教①:古代ペルシャの密儀宗教


ミトラ教徒のアレクサンドロス3世が、「エ・テメン・アン・キ」のジッグラトの再建を志していたということからも、「エ・テメン・アン・キ」がミトラ神の聖塔であった可能性が高いのではないでしょうか。

そして、アケメネス朝ペルシアを征服したマケドニアアレクサンドロス大王(前356‐前323)が、再建を志したものの、早逝したため果たせず、現在も廃墟のままである。

エ・テメン・アン・キ - Wikipedia


そして、「ノアの箱舟」から出たノアの子ハムの子孫である「ニムロデ」が、「バベルの塔」の建設者ではないかと考えられています。

旧約聖書のニムロデ
学者の中には、ハンムラビと『旧約聖書』の『創世記』に登場するバビロンの王ニムロデを結びつけるものもいる。ハンムラビの名は「偉大なるハム」とも解釈可能である。ニムロデはノアの三男、ハムの孫にあたり、バベルの塔の建設者とされる。

ハンムラビ - Wikipedia


以上のことから、ノアの子ハムの子孫が「アララト山」から北上し、「ポントス・カスピ海草原」から、「クルガン仮説」のルート中の「ソグディアナ」周辺を通って、イランの方からシュメールの「バビロン」にやって来たのではないか、と想定されます。

そして、バビロンで「バベルの塔」を建設しようとした彼らは、神様の裁きによって全地に散らされ、その一部がソグド人と呼ばれる人々となり、ミトラ教を布教しながら世界に広がって行った、のではないでしょうか。

ソグド人がこの日本にやって来た経路については、前回前々回の記事で考察しています。

日ユ同祖論についても、RAPT理論によって解明されています。

「日ユ同祖論」は疑うまでもない事実です。だからといって、日本人が偉いとも悪いとも言えません。


今回は、聖書を読んだことがない方にも広く知られている「ノアの箱舟」と「バベルの塔」にも繋がる展開へと、神様が導いてくださったのだと感じました。

このように「聖書に書かれている歴史と、現在の歴史との繋がりを知りたい」という私の願いをご存知なのは神様だけであり、この願いを叶えてくださっているのは神様でいらっしゃるのだ、ということは「真実」であり「真理」なのです。

神様と、神様の御言葉によって私たちを守り、導いてくださっているRAPTさんに、心から感謝をささげます。


何をどう祈ればいいのか、具体的な方法をお教えします。自分の人生も世界の運命も変える鍵がここにあります。


平素からあなたの心にある願いを神様に祈り求めなさい。祈ったことはおおよそ全て叶えられるし、祈ることで信仰も深まり、神様との愛も深まっていくから祈りなさい。


神様は厳しい掟に従わせるために私たちを呼んだのではなく、私たちの願いを叶えるために私たちを呼んで下さったのだ。



RAPTさんのブログ

RAPT | 新・貴方に天国から降り注がれる音楽を

朝の祈り会、および有料記事のパスワードのご購入

BLOG BY RAPT

TALK RADIO

RAPT理論+αRAPT理論のさらなる進化形

十二弟子の皆様とRAPTブログ読者の方の証

動画✴︎NANAさんの賛美歌✴︎

✴︎RAPTさんの写真集✴︎

『RAPT×PHOTO 聖なるもの、俗なるもの』



いいなと思ったら応援しよう!