004.バベルの塔の謎/旧約聖書【キリスト教聖書研究】
エンメルカルとアラッタ市の領主(シュメール神話)
アラッタ王国は、シュメール神話の一つ『エンメルカルとアラッタ市の領主』に登場する都市で知られている。エンメルカルはウルクを建国した伝説的な人物で、神話では楔文字の発明者ともされている。
実際に後世の楔文字による碑文には、シュメール人の起源がアラッタにあることを示すものが発見されており、一時期はシュメール文明がアラッタに由来すると考えられていた。
『エンメルカルとアラッタ市の領主』では、アラッタは「7つの山を越えた平原」に位置するとされている。近年、アラッタ王国の候補地として注目されているのがジロフト(ジーロフト)である。2001年以降の発掘調査で、アフガニスタンのサルイサング鉱山とメソポタミアをつなぐラピス・ラズリ交易路の中継点にジロフトが位置していたことが明らかになり、アラッタがこの地にあったとする説が定説化しつつある。
2000年、イラン南東部のジーロフト周辺で驚くべき発見があった。ハリル川の氾濫によって、数千の古代の墓が偶然にも地表に現れたのだ。この発見に基づく発掘調査を率いているのが、紀元前3000年ごろを専門とする考古学者ユーセフ・マジシザデーだ。彼は、ジーロフトが紀元前2700年頃の青銅器時代に存在した「アラッタ」という伝説の国ではないかと考えている。
ジーロフトはイラン南東部のケルマーン州に位置する小さな都市で、現在の人口はおよそ29万人。海抜650メートルにあり、メソポタミア方面に向かう西にはザグロス山脈、東には標高3600メートルを超えるバーレズ山脈がそびえる。ジーロフトの街は、広がる草原を横断するハリル川のそばに築かれており、その位置はアラッタ王国の伝説とも符合している。
ジロフト文明のジッグラト
ジロフト文明の遺跡の中でも特に注目を集めているのが、コナル・サンダル(Konar Sandal)という発掘地にあるジッグラト(ジグラト・ジグラート/ Ziggurat)だ。現存する最古のジッグラト、テッペ・スィヤールクに次ぐ古さで、紀元前2300〜2350年頃のものとされている。ウル王朝のジッグラトよりもはるかに古く、スサから約700キロも離れている点も特徴的だ。
さらに驚くべきは、その規模がギザの大ピラミッドをも上回るということだ。
この Konar Sandal の発掘地は、ジッグラトの遺構と考えられる2つの丘、AとBで構成されており、それぞれの高さはAが13メートル、Bが21メートルだ。Bサイトには、2層構造のジッグラトがあったと見られ、下層部分は上層部分より200年ほど古い。サイズにおいても他のジッグラトを凌ぎ、下層は400メートル四方で高さ7メートル、上層は250メートル四方で高さ10メートルに達する。
バベルの塔=コナル・サンダル(Konar Sandal)ジッグラット説
「バベルの塔」は、旧約聖書『創世記』に記される象徴的な物語であり、人類が天に届くほどの高い塔を建設しようとしたが、神によって言語が混乱させられ、計画が中断されたという内容である。この物語は、多言語化や文化的多様性の起源を説明するものとして古代から解釈されてきた。
近年、この物語が実際の歴史的建造物に基づいているのではないかという仮説が提唱されており、特に古代メソポタミアや周辺地域に存在したジッグラット(Ziggurat)がそのモデルである可能性が議論されている。
本稿では、イランのケルマーン州に位置するコナル・サンダル(Konar Sandal)遺跡に見られるジッグラット構造が、バベルの塔と関連する可能性について考察する。コナル・サンダルの遺跡とその宗教的意義、またバベルの塔との関連性について、現時点での考古学的証拠と仮説を整理する。
コナル・サンダル遺跡の概要
コナル・サンダルは、イランのケルマーン州ジャーロフト平原に位置する紀元前3千年紀の遺跡である。遺跡には複数のジッグラットが確認されており、これらの建造物は宗教的な儀式のために建てられたとされる。メソポタミア文明との文化的接触が指摘されており、特にエラム文明との関連が考えられている。
ジッグラットは、階段状の構造を持ち、頂上には神殿が設置されることが一般的であった。こうした高層建築物は、神々に近づくための象徴的な役割を果たしており、宗教的・儀式的な中心地として機能していたと考えられている。
バベルの塔とコナル・サンダルの関連性
「バベルの塔」の物語において、人々は天に届くほどの高い塔を建設しようとしたが、神の意図によってその計画は頓挫した。この物語は、象徴的な意味合いが強く、具体的な建造物との関連を証明するものではないが、古代メソポタミアにおけるジッグラットとの類似性がしばしば指摘されてきた。
特に、バビロニアやシュメールの都市に建てられたジッグラットが、バベルの塔のモデルとして考えられている。
コナル・サンダルのジッグラットも、こうした宗教的建造物の一例として挙げられる。考古学的な証拠は限られているものの、メソポタミア地域全体におけるジッグラット文化の広がりを考慮すれば、コナル・サンダルも同様の文化的影響下にあった可能性がある。
ジッグラットの宗教的意義
古代メソポタミアにおけるジッグラットは、宗教的な意味合いが強く、特に神々との接触を求める象徴として建設された。高層の塔を建てることは、人間が神に近づくための行為とされ、都市の中心部に位置することが多かった。バベルの塔の物語における「天に届く塔」という概念は、このジッグラットの宗教的意図と一致しており、バベルの塔が象徴する「高きものへの挑戦」というテーマと関連づけることができる。
コナル・サンダルのジッグラットも、エラムやメソポタミア文化の影響を受けたものであり、その宗教的意義はバベルの塔の象徴的な役割と一致する点が多いと考えられる。
考古学的証拠と仮説
コナル・サンダルが「バベルの塔」の直接のモデルであるという確証は現時点で得られていない。しかし、古代のメソポタミアやエラム文明において、ジッグラットが宗教的建造物として高層化した背景を考慮すると、バベルの塔の物語がこれらの建築文化から影響を受けた可能性は十分に考えられる。
一方で、バベルの塔の物語が宗教的・象徴的な意味合いを持つものであり、具体的な建造物を指すものではないとする見解も有力である。そのため、コナル・サンダル遺跡が直接バベルの塔と結びつくかどうかは、引き続きさらなる考古学的調査が必要である。
結論
コナル・サンダル遺跡に存在するジッグラットは、古代メソポタミアやエラム文明における宗教的建造物の一例であり、その構造や目的はバベルの塔の象徴と重なる部分が多い。しかしながら、現時点ではコナル・サンダルがバベルの塔の直接のモデルであるという証拠は限られており、あくまで仮説に留まる。
今後の研究において、さらなる発掘調査や考古学的証拠の蓄積が進むことで、コナル・サンダル遺跡とバベルの塔の関係がより明確になる可能性があるが、現時点では象徴的な関連性に基づいた解釈が主流である。
バベルの塔に関する諸説の考察
バベル(𒁀𒀊𒅋𒌋)とはアッカド語では「神の門」を表す。
一方聖書によると、ヘブライ語の「balal(ごちゃ混ぜ、混乱)」から来ているとされる。
なお、ニムロデがバベルの塔を造ったとされるが、聖書にそのような記述はない。
フラウィウス・ヨセフス
ニムロドは聖書で「地上最初の勇者」などと紹介されるが、時に暴君のイメージと結びつけられることがある。特にバベルの塔の建設に関与したという伝承は広く知られているが、聖書自体にはそのような記述は見当たらない。では、なぜこうした歪曲された話が広まったのか?ここで重要な役割を果たしたのが、1世紀のユダヤ人歴史家フラウィウス・ヨセフスである。
彼は、ローマ帝国の時代に『ユダヤ戦記』や『ユダヤ古代誌』を記したユダヤ人歴史家で、イエス・キリストと同時代を生きた人物だ。対照的に、キリスト教を弾圧したローマ帝国の第5代皇帝ネロは、暴君として悪名高い存在だった。同じく暴君として知られるニムロドとバベルの塔の逸話を、フラウィウス・ヨセフスがその時代に引き合いに出したのも、ある意味で自然な流れだったのかもしれない。
バベルの塔の物語で鍵となるのは、神が人間に与えた罰である「言語の混乱」だ。シュメール神話『エンメルカルとアラッタ市の領主』にも、この言語の混乱に関連するテーマが現れており、実はそれがバベルの塔の話の先駆けとも言える。
バベルの塔(ブリューゲル)のモデルはマルウィヤ・ミナレット(文化遺産)
マルウィヤ・ミナレットは、イラクのサーマッラーにある有名なイスラム建築の一部で、特にその独特ならせん状の形で知られている。9世紀に建設され、もともとはサーマッラー大モスクに付随するミナレット(尖塔)として機能していた。
このミナレットは、高さ約52メートルで、基底部かららせん状のスロープが塔の頂上に向かって巻き上がっている。これはイスラム世界でも非常に珍しいデザインで、他の伝統的なミナレットの多くが円筒形や四角柱の形をしているのに対し、マルウィヤはその螺旋状の階段で際立っている。
建設当時、ミナレットは礼拝の呼びかけ(アザーン)を行う場所として使用されたが、その大きさと形から、宗教的な役割だけでなく、シンボリックな意味も持っていたと考えられている。また、砂漠の中で遠くからでも視認できるように設計されていたとも言われている。
現在は世界遺産に登録されているが、歴史的な戦争や紛争によって一部が損傷している。それでも、イスラム建築の重要な遺産として広く認識されている。
エ・テメン・アン・キとバベルの塔の関連性
エ・テメン・アン・キと旧約聖書に登場するバベルの塔はしばしば同一視されるが、歴史的・建築的観点から両者を結びつける根拠は乏しい。
エ・テメン・アン・キは新バビロニア時代(紀元前7~6世紀)に再建されたジッグラトであり、バベルの塔はそれより遥かに古いアブラハムの時代(紀元前19世紀)に関連している。
このため、両者には大きな年代差が存在する。加えて、エ・テメン・アン・キの7層構造や天体との対応といった建築的特徴は、バベルの塔の記述とは一致しない。さらに、バベルの塔の物語は宗教的・象徴的なものであり、実在の建造物に基づくものではない。また、ヘロドトスによる「螺旋階段を持つ塔」の記述も誤りが多く、信憑性に欠ける。したがって、エ・テメン・アン・キとバベルの塔を同一視することは、歴史的事実としては成立しない。
ボルシッパとバベルの塔の関連性
ボルシッパにある遺跡「ジッグラト」は、時折旧約聖書の「バベルの塔」と関連付けられることがある。特にタルムードやアラブの文化では、このジッグラトをバベルの塔の跡地と見なす見解も存在する。しかし、歴史や考古学の観点からすれば、両者に直接的なつながりはないことが明確だ。バベルの塔の話は聖書に記された神話であり、実在した証拠は見つかっていない。
一方、ボルシッパのジッグラトは古代メソポタミアのナブー神を祀るために建てられた神殿で、ネブカドネザル2世が修復し、青釉のレンガで美しく装飾した建造物だ。バベルの塔との関連付けは後世の伝承によるものであり、事実ではない。したがって、ボルシッパのジッグラトがバベルの塔とされるのは誤りであり、歴史的には両者を結びつける根拠は存在しない。
エリドゥとバベルの塔の関連性
バベルとの関連性に関する説
デイヴィッド・ロールを中心とした学派は、バビロンとバベルの塔の起源が、旧約聖書に登場するバビロンではなく、ウルの南に位置する古代都市エリドゥであると考えている。彼らの説にはいくつかの根拠がある。
まず、エリドゥにあるジッグラトの遺跡は他の都市のものに比べて非常に大きく、古いものである。これが、聖書に描かれる「未完成のバベルの塔」の描写に符合するというのだ。また、エリドゥを表す円筒印章のシュメール語表語文字「ヌン・キ」(NUN.KI、「強力な場所」の意)が、後にバビロンを示す語として理解されるようになったことも、エリドゥがバビロンの原型であるとする根拠となっている。
さらに、後世のベロッソスによるギリシャ語の王名表の古い版では、エリドゥに代わってバビロンが「王権が天から下された」最古の都市として記されていることも注目すべき点だ。これに加え、聖書に登場するニムロドが、エンメルカル(エンメルは「狩人」を意味する「kar」を含む名前)と同一視されており、彼がウルクとバビロンを建設したとされている。ロールらは、ニムロドがエレク(ウルク)やエリドゥに神殿を築いたと主張している。
エリドゥとバベルの塔の関連性を否定する考察
言語的混乱の違い:バベルの塔は言語の混乱を題材とした神話だが、エリドゥにはそのような記録は存在しない。エリドゥは宗教的な都市であり、バベルの塔の物語と異なる性質を持つ。
時代差:エリドゥは紀元前4,900年頃に成立し、バビロンが栄えたのは紀元前2,000年頃である。数千年の時代差があるため、直接的な関連性は見つからない。
建造物の違い:エリドゥのジッグラトは宗教的目的に特化しており、バベルの塔のように神への挑戦を象徴するものではない。
地理的差異:エリドゥは現在のイラク南部、バビロンはユーフラテス川の上流にあり、地理的に大きな距離があるため、直接的な関係は考えにくい。
象徴性の違い:バベルの塔は神への挑戦を象徴するが、エリドゥは宗教的な敬意や崇拝の中心地であり、その役割や象徴性が異なる。
結論:エリドゥとバベルの塔は、時代、地理、象徴的意味において大きく異なっており、両者を結びつける関連性は乏しいと言える。
エリドゥとバベル(言葉の混乱)の深い繋がり
エンメルカル=ニムロデ(ニムロド)説
エンメルカルとは、シュメール文明の伝説的な王であり、ウルクを築いたとされる人物だ。彼は、シュメールの神話「エンメルカルとアラッタ市の領主」に登場し、強大な王としてアラッタという都市国家と争ったり、さまざまな戦略を駆使してその影響力を拡大したという物語が伝わっている。
一方、ニムロデ(ニムロド)は、旧約聖書に登場する強大な王で、「創世記」によると彼はノアの曾孫であり、バベルの塔を築き、メソポタミア地域にいくつかの都市(バビロン、ウルク、アッカドなど)を建てたとされている。また、彼は「地上で最初の力ある狩人」とも言われ、後に神話的な存在としても扱われるようになった。
《エンメルカル=ニムロデ説》は、これら二つの人物が実際には同一の歴史的または神話的な人物に由来する可能性を示唆している。いくつかの共通点がこの説の根拠となっている。
都市建設者としての共通点
エンメルカルはウルク(聖書ではエレク)を築いたとされ、ニムロデもウルクを含むメソポタミアの主要都市を建設したとされる。これにより、二人の人物が同一視される理由の一つとなっている。メソポタミア地域の支配者
ニムロデはバビロンやアッカドなどを支配したとされており、これはメソポタミア全域で影響力を持つ人物だったことを示唆している。エンメルカルも同じ地域で影響力を持ち、アラッタとの争いを通じてその支配権を確立しようとした。神話的・伝説的な王としての役割
両者とも、後世の伝承や神話で強力な王として描かれている。エンメルカルはウルクの王としてシュメール文明の初期に活躍し、ニムロデは「地上で最初の力ある王」として旧約聖書に登場する。
この仮説の問題点
《エンメルカル=ニムロデ説》は、興味深い仮説ではあるが、歴史的・神話的な証拠が不足しており、あくまで一つの解釈に過ぎないという見方も多い。エンメルカルがシュメールの神話に登場する一方で、ニムロデはユダヤ教やキリスト教、イスラム教における宗教的な伝承で語られるため、二人の人物像には文化的な違いが存在している。
また、ニムロデが旧約聖書においてバベルの塔を建てたことと、エンメルカルが「エンメルカルとアラッタ市の領主」という神話の中で都市の建設や繁栄を進めたことが直接つながる証拠もない。したがって、この説は仮説の域を出ていないが、二つの人物の伝承が重なり合うことで、古代の王に対する共通のイメージが形成されていった可能性がある。
結論
《エンメルカル=ニムロデ説》は、二つの異なる文化における強力な王のイメージが融合した仮説だ。二人はメソポタミア地域の都市建設や支配に関する伝承で共通点を持ち、特に都市建設者としての役割が強調されている。しかし、歴史的・考古学的な証拠が十分でないため、この説は学問的な論争の対象となっている。しかしながら、この仮説に興味を持つことで、古代の神話や歴史がどのように形作られ、どのように異なる文化に受け継がれていったのかについて、より深く考えるきっかけにはなるだろう。
言葉を乱した主こそ、ニムロデ(エンメルカル)
ヤハウエ・バール・オシリス
JA-BALL-ON ジャーブロン フリーメーソン
[竹下雅敏説]
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