「太秦」とは「裏ローマ」であり、「秦氏」とは「反キリスト」集団のことだったのか。
今回は、京都市太秦にある「大酒神社(おおさけじんじゃ)」から考えていきたいと思います。
まず「大酒神社(おおさけじんじゃ)」の読みについて、「酒(サケ)」という字は「酒(サカ)」とも読むことができます。
すると、「大酒神社」は「大サカ神社」となります。
「サカ」とは、スキタイの一部族であると考えられています。
「サカ」は古代ギリシャでは、「サカイ」と呼ばれていたとのことから思い起こされるのが、大阪府(大サカ府)の堺市(サカイ市)です。
この大阪府堺市が、「徐福」の故郷とされている中国の連雲港市と友好都市として提携しているのです。
堺から日本へ!世界へ! 友好都市 連雲港市 徐福祭 秦氏調査 ...
このことは、「堺市」と「徐福」が深く繋がっていることを表しているのではないでしょうか。
大阪の堺市周辺で、特に有名な徐福伝説は見当たりませんが、堺市の歴史的有名人には「千利休」がいます。
そこで、この「千利休」が「徐福」と繋がっているのではないか、と閃いたのです。
以前の記事で、「豊臣秀吉」の父とされる「竹阿弥」という人物が「ヤジロウ」であり、そのヤジロウが「千利休」でもある可能性を考えました。
そして「千利休」や「聖徳太子」らが、世界史で有名なアレキサンダー大王や、イスラム教の創始者マホメット(ムハンマド)の系譜であることが、同時代の歴史的人物に「暗号」として組み込まれている可能性を発見したのです。
「大酒神社」の祭神は、秦始皇帝・弓月王・秦酒公とされており、秦氏ゆかりの神社であることが示されています。
この「大酒神社」が「大サカ神社」であるとすると、「サカ・スキタイ」との繋がりは見つかるのでしょうか。
この「サカ・スキタイ」とは「蘇我氏」と繋がっている、と言われています。
さらに蘇我氏とは藤原氏のことではないか、と前回の記事で考えました。
そうすると、藤原氏も「サカ・スキタイ」の系譜であることとなり、「大酒神社」と「藤原氏」とは繋がってくるのでしょうか。
「大酒神社」の祭神には、「豊彦王」という名も挙がっているのです。
上記によりますと「大酒神社」の祭神には、弓削物部守屋という「物部氏」も祀られているというのです。
さらに大辟神社(大酒神社)そのものが、木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)の分社であったとの説もあるようです。
兵庫県赤穂市にも「大避神社(おおさけじんじゃ)」があり、「豊彦王」とは「秦河勝」であるとされています。
ここまでで「秦氏」ゆかりの「大酒神社」には、「豊彦王」という名の「秦河勝」と、弓削物部守屋という「物部氏」も祀られていることが分かりました。
ところで「藤原氏」の祖とは中臣鎌足であり、中臣鎌足は「扶余豊璋」であるという説があります。
ここで注目すべき点は、「扶余豊璋」が、書物によっては「徐豊璋」や「徐豊」とも表記されているという点です。
日本で「徐」と言えば「徐福」ですので、「扶余豊璋」が中臣鎌足であるならば、「藤原氏」とは「徐福」の子孫である可能性が考えられる、ということなのです。
次に「大酒神社」が、木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)の分社であったとの説について考えます。
木嶋坐天照御魂神社の祭神の、天照御魂神とは「天火明命(徐福)」という説があるというのです。
そうであるならば、分社とされる「大酒神社」の祭神も本来「徐福」であったのではないかと考えられます。
木嶋坐天照御魂神社の摂社には、養蚕神社(こがいじんじゃ)があるため、蚕の社と呼ばれているとのことです。
養蚕神社の祭神の一つが、保食神です。
この保食神(うけもち神)から、豊受大神(とようけ大神)が思い起こされます。
豊受大神と保食神は、同じく食物や穀物を司る神であり、同一視されることもあるようです。
さらに保食神は、大宜都比売神(おほげつひめのかみ)でもあるということです。
この大宜都比売神は、「養蚕」と結び付けられており、「秦氏」と繋がるのです。
これらのことから、「豊受大神」とは「秦氏」の神であると考えられ、「豊」とは「徐福」の系譜であるという暗号なのかも知れません。
中臣(藤原)鎌足が「扶余豊璋」であるとすると、「豊」のキーワードが入っていることにより、「藤原氏」とは「秦氏」であるとも言えます。
さらに「扶余豊璋」が、書物によっては「徐豊璋」や「徐豊」とも表記されているため、「藤原氏」が「徐福」の子孫である可能性があり、「藤原氏」とはまさしく「秦氏」であることが分かります。
山梨県富士吉田市には、聖徳太子と「徐福」の繋がりが示されている、福源寺というお寺があります。
富士山に入った「徐福」は亡くなった際、3羽の鶴に化身し、福源寺に落ちた1羽の鶴を葬ったとされる塚が「徐福」の墓とされており、福源寺には聖徳太子像や自画像が納められた六角堂があるということです。
「聖徳太子」の別名とは「豊聡耳皇子」であるため、やはり「豊」とは徐福の系譜であることが示されているのではないでしょうか。
以前の記事で、「千利休」が「ヤジロウ」こと「岩屋梓梁」であったとすると、「秀吉」や「家康」が「千利休」の子だった可能性があることを書きました。
「秀吉」とは「豊臣秀吉」であり、「豊」で「徐福」に繋がりますので、やはり堺の商人・茶人である「千利休」も「徐福」の系譜なのだと考えられます。
前回の記事では、蘇我氏とは藤原氏であることを考察しました。
そして今回、藤原氏とは秦氏でもあることが分かりました。
さらに物部氏とは「饒速日命(ニギハヤヒ )」が始祖とされており、ニギハヤヒ とは火明命(ほあかり)であり「徐福」だと言われています。
従って、京都市太秦にある「大酒神社」から導き出されることとは、「徐福」から蘇我氏・藤原氏・物部氏が生まれ出たこと、さらに彼らは全てが「秦氏」だったのだ、ということなのです。
福源寺において「聖徳太子」の肖像画が3枚描かれたことが意味するのは、「聖徳太子」が、蘇我氏・藤原氏・物部氏の集合体として創作された人物だった、ということなのかも知れません。
「聖徳太子」が「秦氏」であることも、RAPT理論によって解明されています。
青いバラを作ったサントリーは出雲族。彼らは「秦氏=ロスチャイルド」の作った「君が代」を忌み嫌っているようです。
「聖徳太子」も「平清盛」もゾロアスター教徒であり、ロスチャイルドの先祖です。
これらのことから、「藤原氏」が「秦氏」であり「徐福」の子孫であることを秘匿するために、日本の歴史が創作されてきたのではないか、とも感じられます。
日本の支配者とは「秦氏」であり「藤原氏」の末裔であると考えられ、彼らは「徐福」の子孫である可能性が高い、と思われるのです。
そして「秦氏」とは一つの氏族の名ではなく、日本の支配者たちの総称であるとも言えるのかも知れません。
それではさらに、秦氏とは何であるのかを考えます。
「大酒神社」は、京都市の太秦にあります。
この「太秦(うずまさ)」から思い起こされるのが、古代中国でのローマ帝国の呼称、「大秦(だいしん・たいしん)」です。
そこで「太秦(うずまさ)」とは、「裏ローマ」のことなのではないかと閃きを得ました。
RAPT理論によって、京都(平安京)とは「裏エルサレム」だということが解明されているからです。
京都こそが裏のエルサレム。悪魔崇拝者どもは京都を中心とした世界政府の樹立を目論んでいます。
それでは、京都市の市章を見てみます。
ローマ帝国の国章は、「ラバルム」と呼ばれています。
京都市の市章は、このローマ帝国の国章(ラバルム)が元となっているように見えます。
「ラバルム」は、ギリシャ語で「キリスト」を意味する言葉の頭文字のXとPを重ね合わせた文字で、現在でもイエス・キリストの象徴とされているということです。
しかしながら、秦氏は「キリスト教徒」ではないはずです。
そこで思い起こされるのが、「千利休」です。彼の生誕地とされている大阪府堺市の市章も、「ラバルム」に起源があるのではないでしょうか。
「千利休」とは、キリスト教徒ではなく「ドルイド教徒」だったということが、RAPT理論によって解明されています。
「本能寺の変」の黒幕はイエズス会と島津家と毛利家だった可能性大。または千利休がドルイド教徒だったという確たる証拠。
「秦氏」は「大秦(ローマ帝国)」からやって来た、との説があり、秦氏の本拠地であった太秦(うずまさ)のある京都市章や、「千利休」生誕地の堺市の市章は、ローマ帝国の国章「ラバルム」が起源となっていると考えられます。
さらにイエズス会の本部は、イタリアの「ローマ」にあるということで、秦氏→千利休→イエズス会→ローマと繋がります。
ここで思い起こされるのが、「反キリスト」とは「ローマ人」であるという説です。
以上のことによって、「太秦(うずまさ)」とは、「大秦(ローマ帝国)」と対となる「裏ローマ」であると考えられ、太秦を本拠地としていた「秦氏」とは、ローマ人の末裔である可能性があり、徐福の系譜である「反キリスト」集団のことなのではないか、ということが私の頭に閃いてきたのです。
既に2019年にはRAPT理論によって、イルミナティである「李家」の一部が「秦氏」と名乗り日本へやって来たことや、李家とは神様に反逆してきたユダヤ民族のレビ人であったことが、明らかにされています。
今の時代に私たち真に主を愛する民たちが、主に反逆する者たちを滅ぼして、主の歴史の総仕上げをしなければならない。
神様に反逆し神様の心を傷つけ、イエス様を冒涜し貶めてきた「反キリスト」集団が、いまこの時代に厳正に裁かれ滅び去りますことを、心から祈ります。
神様は長い間、人類から反逆されてきたことに心を痛め、苦しんでいらっしゃる。そんな神様の心情を分かって慰め、癒やしてさしあげる者を、主は嬉しく思って愛し祝福してくださる。
神様は、私たちの目には見えません。しかし目に見えなくとも、神様の存在を「心」で感じることができ、神様が与えてくださった「物」からも、神様の存在を信じることができます。
神様が目に見えないのは、人間にとって一つのハンディキャップだ。しかし神様は、敢えてこの世界をそのように創造し、そのハンディキャップを乗り越えて神様を呼び、愛する人だけを天国に招き入れられる。
神様は私たち人間と心と心で通じ合う愛の関係を築きたいと願っておられる。そして、神様は目に見えないから、一切ごまかしのない、本物の愛の関係を築くことができる。
神様は私たち人間の想像を遥かに超える祝福を与えてくださる方だ。
神様を信じるという条件によって、私たちは常に神様からの庇護を受けられるようになった。だから、人生のどんな場面においても神様に助けられ、守られ、どんな願いも叶えられる。
RAPTさんは、神様が私たちのことを心から愛してくださっていて、私たち人類と愛を成したいと願っていらっしゃることを、命懸けで伝えてきてくださっています。
神様が私たちを心から愛してくださっている以上、私たちも心から神様を愛してこそ、神様との愛の関係が成立する。
愛の根源は主だけであり、主の愛を受けた者しか真実の愛を知ることができない。
これから全世界が聖霊で満たされ、聖霊によって世界中の人々が神様の存在を心から信じ、神様の深い愛を心から悟り、神様とRAPTさんの御言葉に心から聞き従い、神様のことを心から愛することができますように、心からお祈りしています。
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