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蘇我氏とは、聖書に登場するエブス人であり、ペリシテ人だったのか。
今回は、蘇我氏について考えていきたいと思います。
サカ・スキタイが、蘇我氏に繋がっているという説があります。
BC6000年頃、彼らは、アナトリアから自然銅を求めて世界に散った人々と考えます。それは鉱山の近くを流れる川でなければ採れない。自然銅だけでなく孔雀石からも加熱すれば銅が採れることも知ったでしょう。やがて鉱山から採掘することに思い至り、他の鉱石も発見し錫と銅の合成により青銅を発明したことが大きな発展に繋がります。
2000年という、ゆるやかな時を経ての到達です。この担い手が、やがてサカ・スキタイという主要騎馬遊牧民につながっていき、蘇我氏へと流れていくのです。
伝播ルートも東シナ海や朝鮮半島経由でなく日本海経由の道が想定されます。彼らの勢力圏は、黒海北岸から草原の道のほとんど(あるいは全て)とカスピ海南岸、アフガニスタンからインドに広がっていたと考えられます。ギリシャ人は彼らをスキタイと呼び、ペルシア人は、サカと呼びました。
スキタイ人とは遊牧騎馬民族であり、シルクロードで重要な役割を担ったと言われています。
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出典:「アイアンロード 知られざる古代文明の道」
シルクロードの中間地点に居住していた民族に、ソグド人がいます。
ソグト人と日本の繋がり
大野氏によると、パミール高原の山麓で活躍したソグド人は東進し、その一部が五島列島の福江島(長崎県)にソグド人集落をつくり、飛鳥時代から奈良時代にかけて遣唐使を支えて唐の僧、鑑真の来日、空海の渡唐を支援したと考えられている。
奈良には実際、ソグド人の僧侶、安如宝が住職を務めた唐招提寺があり、奈良時代の平城宮にはペルシャ人の役人がいたことを示す木簡も出土した。1300年間、毎年、途切れずに行われている春の行事、東大寺二月堂のお水取りには、パミール高原で形成されたゾロアスター教の世界観も投影されているという。
ソグド人は長崎県五島列島の福江島に集落をつくり、遣唐使・鑑真・空海を支援していたということです。
奈良県には、ソグド人僧侶が住職を務めたという唐招提寺(とうしょうだいじ)があり、奈良時代にはペルシャ人と考えられる、破斯清道(はしのきよみち)という人物が官僚を務めていました。
これらのことから飛鳥時代において、ソグド人が日本の政治の中枢に関わっていたとしても不思議ではありません。
日本初の仏教寺院とされている「飛鳥寺」は、蘇我馬子によって発願され建立されました。
この奈良県明日香村にある飛鳥寺の正式名称は、「安居院(あんごいん)」と言うそうです。
中国のソグド人
(引用)ところで、史料に登場する人物をみて、どうしてそれがソグド人だとわかるのかというと、それはソグド固有の姓をもっているからである。中国の記録は当然ながら漢字で書かれ、アルファベットは用いない。ソグドの国名も漢字で表記される。例えば、サマルカンドは康国、タシケントは石国、ブハラは安国、ケッシュは史国のごとくである。そして、彼らの姓名を中国風に表記するとき、康国の人ならば康某、タシケントの人ならば石某というように、みな出身と同じ国名を姓とする。とすれば、有名な人物に思いあたるであろう。安史の乱を起こした首謀者の安禄山と史思明は、ブハラとケッシュのソグド人の血を引いているのである。<石見清裕『唐代の国際関係』世界史リブレット97 2009 山川出版社 p.32>
ソグド人は、「安」という姓をもっていたということです。
「安居院(あんごいん)」という名の飛鳥寺の創立者は、蘇我馬子でした。
蘇我氏がソグド人であったという可能性が、現実味を帯びてきました。
ソグド人は、ミトラ教を伝えたと言われています。
2.ミトラ教の東方伝播
伝道者
中国にミトラ教をもちこんだのは、ソグド人(現在のタジク人)とウイグル人の商人およびマギである。中央アジアまでは、バビロニアからカルデアン・マギも来ている。中国語の資料には、シリア語から訳したものもある。経路は、内陸のシルクロードだけでなく、海路もある。
蘇我氏は、日本に仏教を伝えたと言われています。
蘇我氏がソグド人で、ソグド人がミトラ教を伝えたのであれば、仏教とは、ミトラ教だったのではないでしょうか。
ミトラ教と占星術
〔占星術の伝道者〕
こんにち世界中で使われている七曜と十二星座を組織的に広めたのは、ミトラ教である。それほど、ミトラ教と占星術は深く結びついている。
〔歴史〕
バビロニア占星術の発祥地は、その名から明らかなようにバビロニアである。バビロニアは、メソポタミア文明の発祥地の古名で、現在のイラクに相当する。占星術はこの地で生まれ、カルデア人神官たちの手で育てられた。しかし、バビロニアがアケメネス朝ペルシアに征服されると、ゾロアスター教(マズダー教)により弾圧・迫害された。カルデア人神官たちは、人種差別をしないミトラ教の保護下に入ることで弾圧・迫害をのがれた。やがて、メディア人マギとカルデア人神官は混血し、ミトラ教の司祭団カルデアン・マギが誕生した。カルデアン・マギは、バイリンガルになり、メディア語とアラム語の両方をあやつり、両親からメディアとカルデア両方の宗教的伝統のすべてを継承し、ミトラの秘儀の中に組み込んだ。ここで重要なことは、混血の子どもたちは、メディア人・カルデア人両方の司祭団から正式な司祭と認定されたという事実である。こうして、カルデアン・マギは、占星術の正式な継承者となり、ミトラ教とともにバビロニア占星術を広めることになった。
〔占星術のもう一つの意義〕
七曜も十二星座も、バビロニア起源であることが立証されている。さらに、これらを組織的に伝教したのはミトラ教であることも判明している。それゆえ、七曜と十二星座の東方伝播経路をたどることで、ミトラ教の東方伝播経路が解明される。幸いなことに、東アジアは占術に関する資料が豊富なので、ミトラ教の伝播経路解明に大いに役立つわけである。⇒付録「宿曜術と宿曜道」
明〔みん〕Ming, 1368-1662は、中国語で「光の国」を意味する。この名がミトラ教(明教)に由来していることはよく知られている。
伎楽 ぎがく
ミトラの秘儀は、中国南部の「呉」から伝来した。持ち込んだのは、百済人の楽師・味摩之〔みまし〕である。味摩之〔みまし〕は、伎楽と呼ばれるミトラの秘儀における仮面劇を中国南部の呉地方で学んで持ち込んだ(612年)。
聖牛の供儀
聖牛の供儀は、伎楽に前後して中国から持ち込まれ、雨乞いの儀式として各地でさかんに執り行われた。ミトラ教の聖牛の供儀は、漢代202 B. C.-220 A. D.に東アジア一帯に広がった。日本でも盛んに執り行われた⇒小川『ミトラス教研究』p64-66。
日本ではミトラ教の「七曜」から、一週間の曜日名が付けられています。
占星術で使われる「十二星座」もミトラ教と深く結び付いており、十二星座の起源はメソポタミアで、シュメール→バビロニア→アッシリア→ペルシャ→ギリシャと伝播したようです。
「伎楽(ぎがく)」とはミトラ教の秘儀であり、百済人が持ち込んだ伎楽を、「聖徳太子」が日本で教え広めたと言われています。
ミトラ教では「牛」が生贄としてささげられ、日本でも聖牛供犠が盛んに行われたということです。
実際に蘇我氏がサカ族(スキタイ)にルーツを持ち、ミトラ教と繋がっているという説もあります。
イラン東部のサカスタン王国のサカ族にミトラ教の精神を受け継ぎ弥勒信仰を捧持する支族がいました。その支族が蘇我氏のルーツのようです。
サカ族とは遊牧民のスキタイに属し、騎馬民族の伝統をもっています。太陽と月と水が彼らのシンボリズムです。
蘇我氏がスキタイのソグド人であるなら、さらにその起源とはどこにあるのでしょうか。
蘇我氏の邸宅があったとされている、奈良県明日香村にある甘樫丘北東部には、「エベス谷」の地名があります。
蘇我氏とは、聖書に登場する「エブス人」と繋がっているのでしょうか。
エブス人に繋がると考えられる「えびす神」は、赤鯛を持っています。
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「赤鯛」とは、日本書紀に「赤女(あかめ)」と書かれています。
「赤女」とは、「あかい女」→「アカイメ」と読むことができます。
アケメネス朝の名称は、この家祖であるアケメネスに由来する。
海外の文献では、古代ペルシア語の発音に従ったハカーマニシュ朝か、古典ギリシャ語の発音に従ったアカイメネス朝のどちらかを用いている。
「赤鯛」とは、アケメネス朝のことを表しているのではないか、と考えます。
そもそもペルシア人は、スキタイ人のうちカスピ海以南に半定住したパサルガーデ族のアケメネス氏族から生まれた国でした。アッシリアの記録では、サカ・スキタイは「アスカ人」とも書かれていました。
スキタイ人の中に「アケメネス氏族」があり、サカ・スキタイとは「アスカ人」であった、ということです。
アケメネス氏族とは、アスカ人であり、えびす神で表される「エブス人」とは「飛鳥人・明日香人(アスカ人)」であった可能性が考えられるのです。
これらのことから、明日香村(アスカ村)にあるエベス谷に住んでいた「蘇我氏」とは、エブス人だったのではないか、と考えられます。
聖書に登場するエブス人とは、カナン(パレスチナ)に住んでいました。
パレスチナ
古称は「フル」、「カナン」という。 その後ペリシテ人という民族が沿岸部に住むようになり[注 4]、パレスチナという言葉はこのペリシテ(Philistines)という言葉がなまったものと考えられている。
パレスチナという地名とは、聖書に登場する「ペリシテ人」に由来しています。
カナン(パレスチナ)には、エブス人とペリシテ人も住んでいたのです。
同じカナンという土地に住んでいたエブス人とペリシテ人とは、文化や宗教が濃密に混交し通婚もあったと考えられます。
それでは、ペリシテ人と蘇我氏との繋がりを見つけ出すことができるでしょうか。
聖書によりますと、ハムの子孫である「エジプト」からカフトル人が生まれ、カフトル人から出たのがペリシテ人だということです。
ハムの子孫は、クシュ、エジプト、プト、カナンであった。
エジプトにはリディア人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、上エジプト人、カスルヒム人、カフトル人が生まれた。このカフトル人からペリシテ人が出た。
カフトルが実際にどの地域を指しているのかについても諸説あるが、紀元前12世紀頃までに、すでに鉄の精製技術を有していたことなどから、クレタ島、キプロス島、あるいはアナトリア地方の小島の1つであった、などの候補が挙げられている。今日ではクレタ島であるとの見解が示されることが多い。
ペリシテ人の住んでいたカフトル島とは、「クレタ島」のことであると考えられています。
蘇我氏とは、スキタイ人でありソグド人であったと想定されました。
そのスキタイ人は、「サガリス」という双頭の斧を持っていたということです。
サカイ、すなわちスキタイは、先が尖ってピンと立ったキュルバシアという帽子を頭にかぶり、ズボンをはき、自国産の弓、短剣、さらにサガリスという(双頭の)戦斧を携えていた。彼らは「アミュルギオンのスキタイ」なのであるが、ペルシア人は彼らをサカイと呼んでいた。というのは、すべてのスキタイにサカイという名前を与えていたからである。(『歴史』巻七、64)
蘇我氏が日本に伝えたと考えられるミトラ教では、牛が神聖視され生贄としてささげられていました。
ペリシテ人が住んでいたクレタ島のミノア文明でも、牡牛と両刃斧(ラブリュス)が神聖視されていたのです。
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出典:イラクリオン考古学博物館
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ラブリュスという両刃斧は、クレタ島で多数見つかっており、牡牛の生贄の儀式にも使われていたと見られています。
クレタ島は、最も牛の信仰を確認できる地です。そこで最も重要だったのは太陽と雄牛で、この両者は豊穣の宗教に結びつきます。
ミトラ教は、太陽信仰と雄牛信仰を結びつけた宗教です。
古代クレタ島では、太陽と雄牛が重要視されており、ミトラ教とは、太陽信仰と雄牛信仰が結びつけられた宗教なのです。
このことから、クレタ島に住んでいたペリシテ人とは、ミトラ教を信仰していた可能性が高い、と考えられます。
太陽と牛を信仰する宗教とは悪魔崇拝であることが、RAPT理論によって解明されています。
古代エジプトの太陽信仰=悪魔崇拝が、現在の日本の天皇家へと流れ着き、天皇家を最大級の財閥にするまで。
京都の「祇園祭」はもともと牛頭神バアルに幼子を生贄として捧げる悪魔崇拝儀式でした。
スキタイ人(ソグド人)とペリシテ人は、ともに両刃斧を持ち、太陽と雄牛を崇拝していたと考えられるのです。
蘇我氏のルーツを辿ると、ソグド人からエブス人とペリシテ人、この両者に行き着くのかも知れません。
ミスラ教とはミトラ教と起源が同じであるとされており、祭司は「マギ」と呼ばれていました。
ミスラ信仰はペルシャ帝国期、マギ神官によって小アジア、シリア、メソポタミアに伝道され、ギリシアやローマにも取り入れられた。
マギ(古代ペルシア語: 𐎶𐎦𐎢𐏁 - maguš、ラテン語: magi 複数形、単数形はマグス (magus))は、本来、メディア王国で宗教儀礼をつかさどっていたペルシア系祭司階級の呼称。
この祭司「マギ」は、新約聖書の中で「東方の三博士」として登場しています。
マギ(magi)
このマギは古代宗教の謎を追いかけるとき重要な鍵を握っているかもしれない。英語のmagi(メイジャイ)はmagus(メイガス)の複数形である。おそらくギリシャ語のマゴイ(単数形マゴス)から、ラテン語を経由して作られたことばである。人智を越えた知恵を持つ、謎めいた人々の代名詞となり、やがてmagic(魔術)ということばを生む。占星学とのつながりも深いとされる。
キリスト教においては聖書に出てくる東方の三博士として有名。イエスの生誕を知り、わざわざエルサレムまで赴き、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げたという。大文字で “the Magi” と書けば、この三博士を意味する。三賢人とも呼ばれ、単に “the Wise Men” あるいは一語で “wisemen” としてもこのマギのことを指す。
「東方の三博士」とは、新共同訳聖書では「占星術の学者」と書かれています。
占星術とミトラ教は深い繋がりがあり、占星術を広めたのもミトラ教だと言われています。
英語の大文字で ”the Magi" と表記され、聖書に登場する「占星術の学者」とは、ミトラ教の祭司「マギ」である可能性も考えられます。
蘇我氏が日本に伝えたと考えられる「ミトラ教」にも通ずる、雄牛信仰は聖書の中で「金の子牛」として登場し、蘇我氏の起源とも想定される「エブス人」や「ペリシテ人」、ミトラ教の祭司「マギ」の可能性もある「占星術の学者」など、聖書にはこの日本にも関連する事象が、数々登場しているのです。
最後に、聖書に登場する「ペリシテ人」について付け加えておきます。
ペリシテ人は神の箱を奪い、エベン・エゼルからアシュドドへ運んだ。ペリシテ人は神の箱を取り、ダゴンの神殿に運び入れ、ダゴンのそばに置いた。
ペリシテ人とは、神様の臨在を象徴する神聖な「契約の箱」をイスラエルから奪い、ペリシテ人が崇拝するダゴンという悪魔の神殿の中に「契約の箱」を運び入れ、その悪魔ダゴンのそばに、聖なる「契約の箱」を置いた人々だったのです。
聖書には、一人一人に主が用意した御心と使命が封印されて書かれてある。だから、聖書を繰り返し深く読んでその封印を解き、主の用意した御心と使命を見付けなさい。
あなたたちが聖書の預言を実現する人たちだ。善と悪をしっかりと裂きなさい。
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