「『うたえ!エーリンナ』によせて」を読んで
これは、漫画「うたえ!エーリンナ」(星海社コミックス)の感想というよりは、作者ふたばさんのブログを読んでの個人的雑感です。漫画の内容にはほとんど触れていません。そしていつものことながら、長いです。「ロバの耳」とみなしてください。
ヘッダーの写真は、漫画に出てくる「おねえさん的キャラ」のゴンギュラさん。圧倒的な歌唱力の持ち主。サイン本無事ゲットできて良かったー。
ツイ4連載中から、私がTwitterで推しまくってた漫画「うたえ!エーリンナ」(星海社コミックス)が発売しました。みんな買って。部数少ないらしいから、見かけたらすぐに確保して。なんなら私今3冊もってるので、2冊までなら譲ります。
というか、本編だけなら公式Webで見れます。
佐藤二葉『うたえ!エーリンナ』
でも、できれば単行本の描き下ろしを読んで、さっきあげたTwitterの「描き下ろしの続き」も読んでほしい…(´;ω;`) ページ数は多くないけど、ものすごくよかった…。ただ唯一残念なのは、Web連載ではカラーだったのが、単行本では全てモノクロに…。これだけは本当に本当に寂しかった…(´;ω;`)(※電子書籍ではカラー仕様。表紙・裏表紙・カバー・そで・帯までも収録)
※我慢できず、まとめてしまいました。補足コメント・おまけイラストなどを載せています。↓
【古代ギリシアの女学校を描いた漫画「うたえ!エーリンナ」が素晴らしい】 - Togetter
さて、ふたばさんのブログ、これはもう、「表現者、そしてそれを愛する者」全員に読んでほしい。私はインプット優先で、アウトプットは下手だし苦手(おそらくあまり興味がないせい)なので、本当の意味では理解できていないのかもしれないけれど、だけど、このふたばさんのように、心を削りながら作品を作っている人達を知っている。
ここで具体的な名前をあげていいのかどうか…ちょっと躊躇いましたが…まあ書きたい気分なので書きます。(「ただの一消費者にすぎないお前なんかに何がわかる!」とか思われそうだけどまあいいや)
・ELECTROCUTICA(エレクトロキューティカ)
★公式サイト → http://electrocutica.com/
☆Twitter → https://twitter.com/ELECTROCUTICA
『氷晶』という作品のライナーノーツで、「創作表現は自分を分解する作業であり、自殺のようなもの」「この痛みに終わりはありません」とある。あれだけものすごくかっこいい音楽を作るのに、「音楽を作るのは辛い作業」だという。だけど、「絵や映像で表現したいけれど、できないので、音楽で表現するしかない・自分にしかできない音楽表現を突き詰めたい」(要約)。これが「表現者の痛み」でなくてなんなのか。今は、これまで作った楽曲を元に、ゲーム製作を計画している。ようやく、Treow(とれおう)さんの表現したい世界が叶おうとしている。ただの一ファンである私も、純粋に嬉しい。…といっても、知ったのはここ一年くらいという、わりと最近なのだけど。。。まあ好きなものは好きなので。
“もう一度 歌いたい 僕は靴を鳴らす” —「氷晶」
一番好きなCDは「AW2016 WIP」なんだけど(オペラ系好きな人はたぶんハマります)、限定生産で今はもう生産終了っぽいので…
二番目に好きなCD「SWANSONG」を。(といってもまだCUTICA作品全部聴けてないんだけど…とりあえず現状で)(テクノポップ系と、言葉(歌詞)遊びが好きな人はたぶんハマります)
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・感傷ベクトル/田口囁一(しょういち)
★公式サイト → http://sen-vec.com
☆Twitter → https://twitter.com/sasa1
言わずもがな。曲を聞けば、漫画を読めば、どれだけ痛みを抱えて作っているかが、ダイレクトに伝わってくる。時々、「そこまで自分を苦しめなくてもいいから…!!(><;)」と心配してしまう。
私が一番痛みを感じるのは…個人的にはだけど、「終点のダンス」かな…。(アルバム「君の嘘とタイトルロール」収録/ディスク版はたぶん廃盤?ですが、DL版は Amazon、iTunes Store、Victor にあります) 試聴が一番長かった iTS 貼っときます。
目を凝らせ
こめかみに宛がった
引き金引く瞬間に
君がいない世界に用なんてない
頭悪いやり方だろう?
——「終点のダンス」
あと、「黙るしか」。(アルバム「青春の始末」収録/これもディスク版はたぶん廃盤?ですが、BOOTH:全曲プレビューあり(DLなし)、Amazon・iTunes Store: DL&試聴あり) これも、試聴が一番長かった iTS 貼っときます。
挫折を知らない幸せなヤツは引きずり落としてしまいたいなんてさ
——「黙るしか」
SoundCloud の全曲プレビューも置いときます。
これらは感傷ベクトルの曲の中で一番好きな「0と1」と同じくらい、圧倒的に好きな曲。そして、得てしてそういう「痛みを伴う曲」であるほど、胸を打つ。心が震える。そして、そういうのを求めてしまう私は、自分がとても「残酷な消費者」なのではないかと、時々ふと思ってしまう。(といっても、本人の意志で作ったものである以上、それとこれとは話は別、勝手に私が共感・共鳴しているだけにすぎない、というのはわかっていますが、時々ふと…ね(※基本的にはいつだって、本人のやりたいことを、やりたいように、思う存分やってほしい、と思っている))
現状、公開されてるPVのなかで一番わかってもらいやすいのは、やっぱり「エンリルと13月の少年」かな。
2台のグランドピアノがめっちゃくちゃしびれるので(もちろん他の楽器も素晴らしい)、みんな聴いて〜。一度でもいいから〜(>人<;) 確か、「3月のライオン」の桐山零 (きりやまれい)くんをイメージしたのだとか(公式LINE情報)。
空の才能
剥き出しのプライドを傷つけた
継ぎ接ぎの夢
臆病にかざしてみるたびに
凝りもせずまたバラバラになって
——「エンリルと13月の少年」
あとは「星のぬけがら」。これは「痛みを伴う」というより、「痛みを抱えた」曲、といった感じかな。
世界が僕を落として 明日の方へ転がるなら
こんな歌はきっと届かない 人知れず消えてゆくだろう
眩しい星座の端で 形になれないままで
だけどそっと息を潜めてる 消せない願いみたいに
——「星のぬけがら」
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・Kalafina(Kalafina Record/ソニー・マガジンズの内容より)
http://www.kalafina.jp/
Wakanaさん、あれだけの美声の持ち主なのに、「やめよう」と本気で思った時期がある。メンバーと話し合って思いとどまったけれど。Kalafina始動するまで、表舞台に立つことはほとんどなかったらしい。ソプラノ/クラシック・オペラ系の歌い方。
Keikoさん、低音ボイスが見事すぎて、あまり主旋律を歌うことはない。今では「どんなメロでもハモるよ〜」と自信をつけたらしいけれど、いろんな葛藤があったと思われる。ロック系の歌い方。
Hikaruさん、オーディションは受けたものの、元々はソロのつもりで、グループで歌うことは考えていなかった。しかも既に動いている企画に、途中から加入するということで、いろいろ困惑しただろうと思う(当初は、メンバーは流動的というコンセプトだったけれど、その後、この三人で固定になる)。「劇場版 空の境界 第四章/第五章」の主題歌「sprinter/ARIA」で初参加にも拘わらず、「ARIA(第四章)」メインボーカル、「sprinter(第五章)」歌い出し。これで緊張しない方がどうかしている…。ポップス系の歌い方。
※Kalafinaに関する語りは以前にしているので、気が向いたらこちらへ。→ Kalafina語り【第一弾】
(それにしても…プロデューサーの梶浦さん、メンバーのKeikoさんが事務所を退社したので、今後の動向が一切わからないのがなんとも…orz)
・Rie fu / Rié さん
★公式サイト → https://riefu.com/
☆Twitter → https://twitter.com/riefuofficial
日本語と英語のバイリンガル。ロンドン芸術大学卒業(油彩画専攻)。現在はロンドン大学院翻訳科に在籍。年に1〜2回ほど日本に来てライブをしている。「Rié」は UK 名義。
曲を一聴しただけでは、あからさまな「痛み」は感じられない。でも歌詞を読み込むと、個人的には日本語より英語の方が、より「痛み」を感じるかもしれない。どちらかというと、「表現することの痛み」というよりは、「自分の痛みを昇華させるため」という感じが近いような気もする。ライブのMCで、「昔はコンプレックスの塊だった。作品の原動力は怒り」と言っていて、意外だったけど、それを聞いてから曲を聴くと、また印象が深くなった。そうだな…Rieさんの曲で私が「痛み」を感じるのは、「decay」かな。YouTubeには日本語バージョンしかないけど、できれば英語バージョン(English Version)も聴いてほしい。(といってもあんまり英語わかんないんだけども…orz)
I’m just waiting for you to stand up to it
What are you waiting for? —「decay」
※プラネタリウムライブのレポはこちら↓
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話を戻すと、私は、この人達の作品を通して、「表現者の痛み」をこれでもかと感じている。表現すること自体を苦手として避ける私なんかに、「何がわかるのか」と怒られてしまいそうだけど。でも、恐い気持ちはわかるつもりだ。
『表に出したら何らかの反応がある。「反応がない」ことも含めて』
それが私には恐くて怖ろしくてたまらない。人に見られていると身体がこわばる。監視されているようで、身動きができない。だから本当に「表現者」を尊敬する。
私はTwitterでは普段、大量RTばかりしていることからもわかるように、あまり自分の言葉で伝えることがない。(※下に追記)
思うことがあっても、だいたいは曖昧で、モヤモヤしていて、形(言葉)にできない。無理にすぐに言葉にしようとすると、泡のように、幻のように、形を保てなくなる。思い出せない夢のように、消えてしまう。だから、普段から考えていたことをようやく言葉にするまでには、とてもとても長い時間がかかる。否定されても、非難されても、それでも「私はもう揺るがない」と思えるくらいまで、もしくは「もうこだわる必要はない」という段階になって初めて、私は「私の言葉を解放」する。何らかの形で「咀嚼」が終わるまで、どういった形で飲み込むのか、消化(昇華)するのか、自分にもわからない。我ながら難儀な性質だなと思う。まあ、言葉だけが伝える手段ではないのだけど、他に表現する術は私は何も持っていないし。なんというか、多くの文字と情報を集めることで、自分の気持ちを整理する、というプロセスが多いのかも。
ああ、そうか、私は今まで「誰かに伝えたいことも特にない」と思っていたし、それは半分そうなのだけど、たぶん「“誰か” ではなく “あなたに” 伝えたいと思ったことが伝わらなければ、意味がない」と思っているんだな。不特定多数に向けたもの(大衆向け、万人受け)は元々あまり心に響かないことが多いし。目的が明確でないと動けないのは日常でもそうだけど、言葉でもそうだったんだな。少しわかってきたかも。
(※)大量RTを嫌がる人がいるのもわかっているし、自分でも、逆の立場になったらミュートしてしまうこともあるのに…やめられない…。悔しいけど、それも私なりの自己表現の一つになっているので…。ただもちろん、純粋に賛同するものだけではない。「それちょっとどうなの?」と思いつつも、「そういう視点があったのか」と、感心することもあるので。良い意味でも悪い意味でも、興味深いと思ったことをRTしている。
ここからは、私の共感箇所の抜粋(引用)
(多くなっちゃった…ふたばさん、ごめんなさい…)
(できればリンク先も読んでね…言葉の綴り方がとても洗練されていて、素晴らしいので)
エーリンナは(中略)その名が今に残る、今ではあまり有名ではない古代ギリシアの詩人です。『ギリシア詞華集』に収められている三篇のエピグラムと、90年ほど前に発見されたパピルスに記されている中編「糸巻棒」の断片からしか彼女のうたはうかがうことができません。しかし、その詩の端々から滴り落ちるような優しい友情、哀切、そして英雄叙事詩の韻律でうたわれた彼女の最大の作品「糸巻棒」のユニークさは私の胸を打ちました。
私のエーリンナはうたわずにはいられない人です。彼女はたとえ聞く人がいなくてもうたいます。私もそうでしたし、この漫画に心を寄せてくださる方の中にも多くそういう方がいらっしゃるのでは、と思います。誰に強いられるでもなく、表現することをやめられない人間というのがいます。しかし、世の中にはあなたの表現を良しとしない人々もいます。あなたのうたを遮ろうとする人がいます。
正直に言って、批判されるのはつらいです。ただでさえ作品を作る中で、心がボロボロになるような思いをしているのに(ギリシア悲劇の上演は、自分の魂の中の一番柔らかくて大事な部分を生贄として差し出して、血だらけになるような感覚がします)、その真心を踏みにじられるのは、大きな痛みを感じます。しかしそれは私の力が足りないせいであり、決してギリシア悲劇の美しさは裏切らないと信じているので、私はこれからも表現することをやめないでしょう。というか、やめられないでしょう。うたわずにはいられない、表現せずにはいられないという呪いを受けた私たちは、表現することで受けた痛みを、表現することでしか癒すことができません。
漫画を描いてこれを発表するのは、芝居や演奏とはまた違った痛みと苦しみがあることを、連載中に学んでいきました。芝居では、コンサートでは、その会場にいるお客様の顔を見渡せます(100人を超えるくらいから厳しくなってきますが、それでも同じ空間を共有している感覚があります)。相手も覚悟をもって私を批判するでしょう。しかし、漫画は違いました。不特定多数の方の目に触れ、私のまったく関知しないところで受容され、そして知らないところで批判されることの恐ろしさに、連載が始まってから気が付いて、震え上がりました。私は決してエゴサーチをしないよう、Twitterのツイ4アカウントで更新される自分の漫画に寄せられたリプライを見ないよう心掛けました。漫画を描いていくうちに、私は漫画においても、自分の心を削るようなやり方でしか表現ができないことに気が付いていきました。
作り手である自分が批判されるのは耐えられても、自分の愛する人々が悪しざまに言われることに対する免疫が私にはありませんでした。いまこれを描きながらも、想像するだけで本当につらくて泣いています。私は私の傷と血によって、この小さな漫画を描いてしまいました。途中で、本当に描き続けることが困難だと感じるくらい、つらく思う時期がありました(こんなにささやかな漫画なのに、とお笑いになる方もいらっしゃるでしょう、でも私にとっては切実なことだったのです)。私はこんなに表現することが怖いのに、私は自分の主人公に、こんなに稚い女の子に、その怖いことをやれと言っている、これは欺瞞ではないのか、とも思いました。私は、気持ちの動きについてはうそを描きたくなかったし、自分のキャラクターたちに対して自分なりに誠実でありたかった(一人一人をかけがえのない友人のように感じてすらいました)。この時、私の親友は「それでも、うたうしかない」と私の背中を押してくれました。うたうことしかできない人間はうたうしかない。うたわずには生きていけない。
呪いは、愛してくれる人の支えによって祝福になるのだと思います。
〜〜引用は以上です〜〜
私がこれまで感じてきた「表現者の痛み」を、ここまではっきりと、的確に言葉にしてくれた人はたぶん、ふたばさんが初めてかもしれません。それぐらい、私の心に突き刺さりました。心ない言葉を投げかける人は、軽い感想をつぶやいただけかもしれません。それはその人本人の感情なのだから、良いも悪いもありません。その人自身のものを、こちらがどうこうする権限はありません。それでも、自分の子供のようにも、分身のようにも思っている作品に、厳しい言葉をかけられるのは、想像するだけで胸が潰れそうになります。人前に出て注目を浴びることを想像しただけで、失神しそうな不甲斐ない私には、きっととても耐えられない。10の称賛があっても、1つの批判が入れば、それだけで潰れてしまう。閉じ籠もってしまう。誰にも、それこそ、私を肯定してくれる人にさえ、疑心暗鬼になって、心を開くことができなくなる。
石井ゆかりさんの本には、「身を切られるような悲しみ、痛み」といったような文章が何度か出てきます。「他人だけど、自分と同じかそれ以上に大切な存在」、それがなくなったら、心は「身を切られるような痛み」を伴う。「表現者」にとっては自分の作品にも、それが当てはまるのだろうと思います。
それでも歌いたい、伝えたい、表現したい、いやそうせざるを得ない、いわゆる業を背負った表現者達の、命懸けの産物。どうか、それを歪みなく適切に理解する人が少しでも多く、その人達の周りに増えますように。孤独と孤立は違う。孤立ではなく、正しい孤独は、作品も人も成長させる。【より良く】【あるべき姿で】存在することができますように。
漫画家デビュー作品「うたえ!エーリンナ」発売、おめでとうございます。