惑星メールと卵かけご飯
顔を洗った後、テーブルの上に置いてある四角い画面に目をやる。
その四角い画面は、まっ暗の中に天井の景色を映したままぼんやりとしていた。私は少し目を細めて画面の上を凝視する。何かしらの通知が来た時に、画面上の小さなライトが点滅するからだ。しばらくじーっと眺めてみたが、黒い天井の映像から何も変化はなかった。
「やっぱ来なかった」
*
3日前の夜。一生懸命文面を考えた。どうやって書けば私の想いは伝わるか。ちょっとでも変な言葉を書いてしまったら嫌われてしまうかもしれない。一文一文、積み木を組み立てるように慎重に作った。何度も何度も読み返して、文章がうまく伝わるかどうかもシミュレーションした。
結局、たった数行の文章を作るのに3時間もかかった。私の精一杯の気持ちを綴った短いメール。送信する時も3回深呼吸をした。ゆっくりと、親指に想いをのせて送信ボタンを押した。
手紙がゆらゆらと送信されていく映像を眺めながら心の中で強く祈った。
「返事がきますように」
送信完了の合図とともに、全身から力が抜けていくのを感じた。
*
「まぁ、わかってたんだけどね」
思わず独り言を呟いてしまう。誰に対しての強がりなんだろう。
結局あの人から返事が来ることはなかった。どこかではわかっていた。きっと返事は来ない。わかっていた。わかっていたんだけど、鳩尾のあたりがずうんと重くなった。
今日は久しぶりの春の陽気だった。窓を開けると日だまりが優しく頭の上を転がる。温かくて少しだけ甘い空気を吸いながら、吸ってもいない煙草の煙を吐いた。
*
その人は優しい人だった。そして空洞だった。いつも満たされない何かを抱えていて、笑っているのに、ふとしたらシュワッと消えてしまいそうだった。
あの空洞に何を詰めたら満たされるんだろう。美味しい食べ物、優しい言葉、愛する気持ち。
私は、自分のできるだけの『想い』を彼の空洞へ放り込んだ。
むしゃむしゃ、ごくん。
咀嚼して飲み込んだ後の彼の顔を見て、『あぁ、もう私にできる事はないんだな』と悟った。
だから、最後に思いの丈を全部あの数行に押し込めた。今までの彼への悲喜こもごもも全部ぎゅうぎゅうに押し込めたメッセージ。
まるで、それは色とりどりのお弁当のようだった。最初で最後の彼への手作りお弁当。
両手にグッと押し付けて、私は走り去ったのだ。それなのに、あわよくば返事を貰いたがっている自分がいる。
*
私は卵かけご飯が大好きだ。
とろんとした卵がご飯のつぶつぶした舌触りを鮮明に届けてくれる。醤油の味付けも一本芯が通ってる気がしてすごく心強い。
ザッザッと卵かけご飯をかっこんでいると、何故だか元気がわいてくるような気がする。
物言わぬ黒い板を横目に、茶色い卵をコンコンとテーブルにノックする。
少しだけヒビ入った隙間に両手の親指を引っかけて左右に開く。ぱかりと音がした後にまん丸の山吹色がお椀にすべり落ちた。
少しだけ、まん丸の卵を眺めた後、醤油差しで茶色い点々を染めていく。味付けは一つだからここは慎重におこなわければならない。
ぽつ、ぽつ、ぽつ。。。
最後に見た彼の顔。もう思い出せない。
会ったのはほんの数日前だったのに、思い出そうとしても、顔も体も空洞が広がっていって、もう何者だかもわからなくなっていく。
ハッと気づくとお椀には茶色いシミが広がっていた。しまった。考え事をしている間に出しすぎちゃったみたいだ。
スプーンで茶色くなった部分を掬って口に入れてみる。しょっぱい。醤油にも申し訳ない気持ちになりながら、お箸でかつかつと卵を混ぜていく。いつもより少し暗い色の卵を、ほかほかのご飯が入ったお茶碗の穴に流し込んでいく。
穴から卵がじわりと溢れだしたのを見た時、何故だか心からホッとしてしまった。私の空洞はこんなにも簡単に埋まるんだった。
『いただきます』
パンッと柏手を打った後、勢いよく卵かけご飯を食べ始めた。
口の中で米粒がゆらゆら揺れている。私は口いっぱいに頬張って、しゃくしゃくと咀嚼していく。
いつもより少ししょっぱい卵かけご飯。でもすごく美味しかった。
*
そんな私を無言で見上げていた四角い画面が急にぶるぶると震えだした。
一瞬、ビクッと肩が上がったけど、そっちを見ないまま、むしゃむしゃ食べ続けた。
2、3回震えた画面はすぐに沈黙して、また元の暗い画面に戻った。画面の上で小さいライトが点滅している以外は。
口の中のご飯をごくんと飲み込んだ後、軽くため息をついて、そっと携帯に手を伸ばした。
小さいくせに主張の強いライトは、チカチカと何かが来ている事を私に知らせてくる。
鼻の奥から、ほんのり卵の匂いが広がる。
私は意を決して画面をスライドしてみせた。
『ありがとう』
メッセージはたったの5文字。
5文字返ってくるのに3日もかかった理由は私にはわからないまま。
『きっとあの人の携帯は惑星を経由しないと返ってこないんだな』
ひとり言なのに、やけに元気に呟いた後、私は再び卵かけご飯を食べ始めた。
さっきよりも美味しくなった気がする卵かけご飯を食べながら、私は惑星メールに想いを馳せる。
もし、また平然とメールを送っても、きっとあの人に送るメールは惑星を通って返ってくるんだと思う。でも、それがどういう理由なのかは、まだ知らないふりをしていたい。
口の中でサラサラ揺れる卵とご飯つぶは、私を少しだけ前向きに、元気にしてくれる。
お箸で最後の一粒まで口に流し込んだあと、私は空っぽのお茶碗に呟いた。
『ご馳走様でした』
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