凝り性は誰に似た?
突然アフガン編みにハマった。鹿の子編みのタオルハンカチ5枚目を編んでいる。一度ハマってしまうと飽きるまで延々と作り続けてしまうのはいいところでもあり、悪いところでもある。
過去には、母の職場のバザーに出すためにプロミスリング(ミサンガ)をひと夏に30本編んだこともあった。ビーズ細工をひたすら作った年もある。ぱっちん留めをひたすら作ったあの年は息子が2歳だった。編み物は3年に一度の頻度で大ブームがやってくる。縫い物はダブルガーゼが好きで、わたしのハンカチは全て手作りだ。ダブルガーゼは洗ってクタクタになるのが心地よい。
食べ物もそうである。同じものをひたすら食べ続ける。悪阻の時に林檎を一人で箱で買って食べていたのは特殊な状況だったとは思うが、ゼリーばかり作る年があったり、先日は理想のクッキーを焼くべく、毎晩粉をこねていた。辛いものにハマることも頻繁にあり、毎日チャパティ(インドのぺったらこいパンのようなもの)を焼く実験をしたこともある。日本人が一生に食べるチャパティの平均枚数をゆうに超えたあたりで飽きた。
自分でハマる予感を掴み取れるので、その場合には業務用サイズを買ったりしてなるべく無駄のないようにはしてるはずだ。
先日、毛糸を染めた。冷蔵庫でしわくちゃになってしまったブルーベリーとコットンの毛糸を煮て、ラベンダー色の毛糸を作った。昨日は実家の畑で熟れ過ぎてしまったいちごで毛糸を染めた。
これはやばい、と自分で思いつつも、玉ねぎの皮を貯めている自分がいる。一応編み終わるまで染めないルールは作ったので大丈夫とは思いたいが、アフガン編みブームから手染め毛糸ブームに移行しそうで恐ろしい。
なんでこんなに凝り性なんだろうと思う。できるものは全部自分でやってみたい性格と、流れ作業大量生産家内制手工業の好きな性格がそうさせるのだろう。
いや、待てよ。母にLINEをする。「なんかひたすらりんごケーキ焼いてたことない?」と。母からの返答はこうだった。りんごケーキ焼いてた年もあるし、かぼちゃケーキは1シーズンに18台焼いた。シフォンケーキは卵白使いすぎるからそこまでは焼いてないはず。
そうなのだ、記憶が朧げだったが間違いない。母は、子供たちが飽きているのにも関わらず、習ったお菓子のレシピを延々と作り続けていたのだ。あ、にんじんケーキの年もあった。次々と母が作ったお菓子が浮かんでくる。常に手作りお菓子がある、というような家ではなかったが、指折り数えるくらいには菓子を作ってくれていたのだと思う。
そんな母を見て当時のわたしが何を感じていたかさっぱり覚えていないが、わたしが凝り性な理由の数%は母のせいにしても問題ない気がした。