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俺は、担任じゃない。

2024年3月末。校長と学年主任から話をもらったとき、全く予想してなかった展開に驚いた。

中1、中2と〇〇回生の担任として最前線で生徒たちと関わってきた僕だが、中3では、「担任ではない」ということを聞かされた。

ショックだった。

4月8日(月)始業式で担任発表が行われた今日、この記事を書いている。

■担任をしない理由は2つ

1つは進路担当をしてほしいと言われたからだ。僕の勤める学校は大規模学校で1学年240人も在籍するので、その進路を担当する仕事と担任業の兼任は、働き方の視点から難しいと判断されている。

僕自身、はじめての進路担当だから二兎を追う者は一兎をも得ずということにならないため、進路担当を専任でやってほしいとのことだ。

当然のことだが、1学級35人の生徒の面倒を見ることも大事だが、240人の進路先を確保することの方が大事なのだ。

2つ目の理由は、ここではリアルには書けないのだが、一言でいうと「闇の力が働いた」のだ。職員同士の関係性や、学年主任が進路担当をする人を確保できなかったなどで、僕が進路担当にならざるを得ない状況だったのだ。

■本当は、担任がしたい

もらった仕事は、引き受けるべきだと分かっているが、本当は担任がしたかったというのが僕の本音だ。中3という大事な人生の岐路において、生徒と最前線で向き合いたいと思うからだ。

過去に中3を担任をした1年間は、それはそれは大変だったが、僕の人生の中で忘れられない1年となった。中1、中2よりも濃い時間を過ごせるのが中3担任なのだ。同窓会で会うクラスも3年のクラスだ。

ましてや、〇〇回生を1,2年と持ち上がりで担任をしているのだ。最後の年も担任をさせてほしいと思うのは、真っ当な感情だと自分でも思う。

ありがたいことに、学年の中の10人ほどの生徒が、僕に来年も担任として見てもらいたいと言ってくれたり、僕のクラスになりたいと言ってくれている。そういった声もあったので担任がしたかった。

■納得できないこと。

「なぜ僕が進路を担当をし、それによって担任ができないのか?」という疑問がある。嫌な言い方をするが「他の人が、進路担当をして、僕が担任でもよかったのでは」と思ったのだ。

その思いを校長や学年主任にぶつけた。

返事は、「君は計画を立てること、進めることに長けている。昨年度 君がトライやるを担当したとき、マイナスからのスタートだったが、それを成功させるまで やりきった実績がある。君は仕事をきっちりする。だから進路担当は向いていると思う。」とのことだ。

「いや、おかしいでしょう。がんばった人が報われる社会であってくださいよ。僕が担任ができない理由は、トライやるをがんばったからですか。僕は担任がしたいんです。」

何を言っても無駄だった。人事を決める立場にある人が、人事を決めるわけで、それを一般兵である僕がいくら言っても無駄なのだ。

続けて僕は尋ねた。「僕が担任として、何か不祥事を起こしたり、生徒や保護者の信頼を裏切ったことはありますか? もし、あるなら進路担当をする件を納得します。」

「それはない、君は担任としてしっかり生徒に向き合ってくれていると思う。保護者から君のクレームをもらったことは、ここ2年間に一度もない。そもそも担任ができないような人には進路担を任せられない。」

納得できない。荒んだ心から言葉を発するが、他の同僚の担任は良い先生たちだが、大なり小なり対生徒や保護者の案件で やらかしている。俺は何もやらかしていないのに、なんで俺だけ担任ができないんだ。

■納得していないが、後悔したこと

職員間で闇の力が働いた原因をつくった自分に後悔した。

僕はお金をもらっている以上プロとして仕事をきっちりしたいと思っているのだが、仕事を僕の基準の中で、「できていない」と思う同僚の先生が、今の職場にはけっこういる。というか生徒も それを感じている。

期限(時間)を守らなかったり、打ち合わせを避けて共通理解しようとしなかったり、約束を守らなかったり、仕事量の均等化をはからなかったりなど許せないと思うことが多々ある。

僕は そんな同僚の先生に厳しく接してしまうことがある。僕は言い方が強いので、職員室でバトルになることもあった。

そして、それを良く思っていない職員がいたというのが、現実だ。

本当の理由はどうかは分からないが、進路担当をするかもしれなかった人が別の学年に移ったのは僕のせいなのかもしれない。そこは、校長は答えてくれなかった。

校長はその人から話を聞いていたのだと思うが、僕の話も聞いてほしかった。

厳しく人に当たらないようにと、生徒に指導していた俺が、どうしても許せなくて、厳しく人に当たってしまっていた。そこは俺が悪かった。

■3人の先生が救ってくれた

納得できない自分の気持ちを軽くしてくれた3人の先生がいる。この3人の先生には、本当に感謝している。

1年生のときにペアで数学を教えていた Y 先生

Y 先生は65歳のおじいちゃん先生なのだが、僕と仲がよく、お昼休みに2人でごはんに行くほどだ。

ちなみにY先生は、ネットフリックスで”ハイキューや薬屋のひとりごと”を見るのにハマっている。若いな笑

Y先生は、「進路担当に抜擢されたことは光栄なことだよ。」と言ってくれた。続けて「俺は昔、中3の学年主任だったけど、主任が学年のスタッフを決めるとき、一番はじめに決めるのが進路担当で、その次に担任を決める。進路担当はそれだけ大事なポジションだよ。担任は、また来年以降やったらええやん。」

弱っている俺の心に仲の良い Y先生の話は染みた。


1年生のときに同学年の担任だった O 先生

僕の6つ上のO先生は、1年前に転勤していて、今の職場にはいない。故に最近はしゃべっていないのだが、1年前の教員の学年解散飲み会のOさんとの会話を思い出したのだ。

Oさんは「担任をもてるのは、いいことですよ。」と話されていた。

Oさんが担任をもつ前の年、Oさんは副担任で進路担当だったのだ。しかも、その前の年も進路担当。俺と一緒で中1、中2が担任で、中3は副担任兼 進路担当だった。(なんで、2年間も同じ人に進路担当をさせるの?)

1年前の飲み会では、あまり分からなかったが、「担任をもてるのは、いいことですよ。」という言葉は、今になって分かる。進路担→進路担→学級担任の流れで離任されたので、担任が楽しかったのだろう。

俺の歩む道は、O先生も通ってきた道だ。しかも2年連続進路担当。
Oさんのことを考えると僕が悲劇のヒロインみたいに自分を飾ることはダサいと思えた。


生徒指導担当のK先生

K先生はかなり力のある先生だが、今年、教育困難校への転勤を命じられた。生徒指導担当として、女バスの顧問として、まだまだ今の職場で働きたいという思いがあった方だが、人事の命令で別の場所へ動くことになったのだ。

K先生自身も、自分の人事決定について校長に異議を唱えていた。

俺よりもK先生の方が不遇である。転勤先の生徒指導が大変な学校で生徒指導担当をするらしい。ゆっくりしたいのに、とおっしゃっていた。今の職場で、たくさんの生徒を救ってきた結果、大変な学校に行くことを命じられたのだ。

教育委員会は、力のある教師を、教育困難校に送り込む。

K先生は女バスの新3年生が引退するまで、顧問として部員を見たかったと言っていた。

それに比べて俺はマシだ。担任ができないだけで、3年間同じ学年に所属することができている。K先生に比べたら、俺の悩みなんてちっぽけなものだと思う。

またK先生は僕が担任をしたいのに担任をできないということも知っていて、「納得できるまで校長と話した方がいい」とすすめてくれた。

3月末。K先生の言葉に勇気をもらった。

  • がんばった結果、報われないのは納得できないよな。

  • 雑魚い教師ほど、安心安全で何の問題もない学校でぬくぬく働ける。

  • もう状況は変わらないから、うじうじしてても仕方ない。その状況を楽しむしかないで。

  • 起こったことを悲劇ととらえるか、喜劇ととらえるか。

  • 売られた喧嘩は買ったるで。


■売られた喧嘩は買うしかない。

心は熱く、頭は冷たく、この1年間過ごしていこうと思います。進路担当として、そしてスーパー副担として〇〇回生と楽しい時間を過ごしたり、進路実現のお手伝いをしたり、頑張ります。

今日、いろんな生徒が僕に「担任じゃないんですか??」と声をかけてくれて、嬉しかったです。




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