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3月、死ぬということと再会と

うまく言葉になるかわかりませんが、自分のためにこの気持ちをいつか書いておきたいなーと思って書き残しておきます。

3月、私の28歳最後の日の前日に私の大事な恩師の奥様から、恩師の訃報のご連絡をいただきました。最初にご連絡いただいた時は会議中で電話に出ることができませんでしたが、残っていた留守電できっとこれは悪い報せなのだろう思いました。

もう一度ご連絡をいただいた時はもう私はすでに号泣してしまっていて、本当は泣く資格があるのは奥様でしょうに、直接お話した時も全身を震せながら大泣きをしていました。その日はずっと泣きっぱなしで、次の日は顔がパンパンになってしまい出社することができませんでした...心配してくれた私のパートナーと、人間は悲しみで全ての涙が枯れると涙も声も全くでなくなってしまう、という話を静かにしていた時この人と付き合っていてよかったなぁと改めて思いました。

恩師とは、15年以上も前から交流があり、人生の節目であってお話しして、その静かで歳をとっても武士のようであり、背がしゃんとして凛としたたたずまいに人として憧れていました。最近武士のようだ!と私は言われるタイミングがあったのですが、それはこの方の影響を大いに受けていると思うのです。1月に最後にお話した際はお電話でしかお話できませんでしたが、あの時話せていて今年もきちんと年賀状を送っていて本当に良かったと思いました。

奥様から、私が今の仕事についていること、それが恩師の人生の支えでもあり残したものであり、誇りである、とそして私を本当に愛していたのだと思う、そう言っていただいてより一層涙を止めることができませんでした。

これを自分自身の足枷にしない程度に私は働いて生きていこうと思うのです。そして過去の自分も原点も自分と関わる人もものも愛していきたいです。

3月元気が出ない上にやる気も出なさすぎて停滞気味でしたが、ようやく元気が出てきたのでゆるりとまた生きていこうと思います。

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