欲しいものはセール価格で買わない。定価で買った方がいい理由
私はお洋服も化粧品も小物も基本定価で買う。
Amazonは大好きでしょっちゅう利用するし、伊勢丹やPARCOにもよく足を伸ばすが、ブラックフライデーセールやクリアランスセールやグランバザールには参加しない。
理由は「疲れる」というコストを払うことになるからだ。品定めするのは好きだが、予算は決められている。あれやこれや悩んだ挙句、疲れ果てて今日はもういいやとなってしまう。
決めるのが苦手なのだ。
絶対損したくないという思いが、私の買い物時間をより困難なものにしてしまう。セールで3千円お特に買い物するより、「疲れる」コストの方が私には高くついている。
しかし貧乏マインドが板についていた私は、特に20代の頃はバーゲンやらセールの日にPARCOや伊勢丹をさまよい歩いては買い物難民となっていた。
決断疲れして結局何も買わないか、買うのを焦るあまり不満足なモノを買ってしまうか。
「お金が減るのが怖い」という思いが私の決断疲れを余計に大きくしてしまっていた。私はお金とモノに対して自分軸になれていなかった。
お金とモノに対して主体的になりたい。
なのである日、あえてセールの日は選ばず、全てのものを定価で買おうと決めた。
そうすると、色々と変化が起こった。
まず全ての商品の価格は定価が基準になった。
それすら気が付かなかったのだが、今までの私はセール価格をモノの値段の基準にしていた。
それなので、セールでない日に買い物をすると損した気分になっていちいちテンションを下げていた。
買う前にネットで商品の情報を下調べしてから買うようになった。よく考えて買うようになったので、余計なものを買わなくて済む。
最初から定価で買うんだと腹を括れているので、迷いなく決断できるようになった。値段を見てあちこち目移りせず、本当に欲しいものをを選べるようになった。
この変化により、買い物に対するストレスが格段に減った。嬉しくなった私は、ポイントカードの整理にも乗り出した。
ありとあらゆるポイントカードを作りまくり、ポイント二重取りに躍起になっていた時期があった。上と同じように、ポイント二重取りできないといちいちテンションを落として感情を乱していた。
クレジットカードのポイントと、毎月必ず利用する店のポイントアプリ以外思い切って処分した。Tカードも使わなくなった。勿体無い気分になるかと思ったが、手放した後は気分がスッとした。
定価で買うとお金に対して自分軸になれる。私の決断疲れを解消する、大きな発見だった。
ではセールやバーゲンは無くなってしまえと思っているかといえば、全くそんなことはない。
私はたまたま、セールやバーゲンを利用しないという方法を取りお金やモノに対する欲をコントロールできるようになった。
しかしセールを利用しながら自分の欲をコントロールできる人も当然ながら存在する。
むしろデパートやらAmazonやらのセールをディズニーパレードのような自分に快をもたらしてくれるイベントとして捉え、何も買わずとも嬉々として出かける人さえいる。
数年前、私は病院で働く同僚と二子玉川駅近くにある玉川高島屋へ出かけた。よく晴れた日、お散歩日和だった。
特に買いたいものがあったわけではないので、1、2時間滞在して帰るつもりであった。
しかし同僚は違った。彼女は足取り軽く高島屋のフロアガイドの前まで行くと、まさに地下から屋上庭園に至るまで、主にアパレルショップを中心に店を渡り歩いた。
彼女は目を輝かせ、生き生きとウィンドウショッピングを楽しんだ。段々と疲れ果てていく私などお構いなしに次々服を取り、棒立ちになる私にワンピースやらアウターやらをハンガーごと当ててみては服の雰囲気を確かめた。
ランジェリーショップではブラジャーの試着はもちろん、ガードルに至るまで細かく点検し試着までした。(ガードルに機能性以外何も求めていない私は、そこまでエネルギーをかけられることに心底驚いた)
そしてあれこれ店員さんに質問を浴びせかけた上、結局何も買わないのである‼︎
玉川高島屋のホワイトモールにある椅子に座ってぼんやりできたらどれほどありがたいかと思ったが、結局同僚に一日中振り回されることになった。
結局彼女がその日購入したのは、高島屋の屋上庭園で一緒に飲んだブリックパックのコーヒー牛乳一つのみであった。
コーヒー牛乳片手にヘトヘトに疲れ果てた私とは対照的に、同僚は生き生きとし、むしろエネルギーが高まったように見えた。
「私もいつか値段を気にせず買い物できる日が来るかしら」と言い残し、同僚は上機嫌で帰って行った。
彼女はモノに執着しているようで実はそうでもないし、高島屋に足繁く通うのも苦にはならない。セールの日を大いに楽しむことができる人だと思う。
正直彼女みたいな人は…羨ましい!!欲しいものを安く手に入れること自体をゲームのように自分の楽しみにできてしまう人だ。
しかし今の私にはそれをゲーム感覚で行うのはかなり負担が大きいので、しばらくはこの定価主義を貫くつもりでいる。