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あの日の保健室の先生


こんにちは、みかりんこです。
保健室の先生です。引退まであと少しです。

今回は私の大好きだった保健室の先生のお話。

私が小学校の頃の保健室の先生は、寒い日に暖かい部屋でケガの手当てしてくれる白衣姿の若い先生でした。(なぜかいつも冬の思い出なんです)
毎月の体重測定や時々遊びにいくと嫌な顔をせずに相手をしてくれる優しい先生でした。


ある夏の日、4年生だったと思います。
(先生の姿は冬の保健室のイメージなのですが、実際の思い出は夏の日なのです)
私はクラクラしてめまいがして、手足がガタガタ震え始めたのです。
初めての感覚だったので、どうしていいか分からず、トイレへ行ってみたもののよくならず、そのまま席に座ったけど、座っているのもやっとという状態でした。目の前がぐらぐらするし、視界はぼんやりするし、体がふらふらしていたんです。夏だというのに、震えが止まりませんでした。(今でも短パンの下の太ももがガクガクしていたのを覚えています)

友達にも言えず、席に座って、もうろうといていたら、担任から声をかけられ、保健室に連れていかれました。どうやら高熱でフラフラしていたようです。
その後、どういう経緯かわからないのですが、保健室の先生が私を自宅まで送ってくれることになりました。
いまから50年近く前ですからね、そんなこともありましたよ。とはいえ、私の家は学校から2キロくらいありましたから、先生もすごく心配だったと思います。帰る途中で何度も何度も「大丈夫?」「もうすぐだからね」と声をかけてくれました。当時、私の家には車も電話もなくて、裏のお宅を緊急連絡先にしていました。そのため一度裏のお宅に連絡が入り、その後自宅にいた母に連絡が入ったそうです。母は心配しながら待っていたそうです。
無事に帰宅したらしいのですが、今となってはほとんど覚えていません。多分、すぐに布団に入って寝たのではないでしょうか。

その後のことも一切記憶にありません。

多分、回復し、登校したら、先生が声をかけてくれたのではないかと思います。とても大きな学校だったのですが、(1000人近くいたのではないか、と思われる)いつもいつも声をかけてくれる先生だったので。

でも、
いつの間にか結婚して、産休に入ってしまい、代わりの先生が来てからは保健室に行かなくなってしまいました。その後、卒業までずっと代わりの先生だったので、会えないままになってしまいました。


私が保健室の先生になってから、時々あの日のことを思い出します。
高熱でフラフラしてる4年生の子どもを自宅まで送る途中、何かあっては大変だと気を張っていたのではないだろうか、と。1人の子どもを送っていく間に別の子どもがケガや体調不良で来室して学校で困っていないだろうか、と。往復約1時間の道のりを遠く長く感じだのではないだろうか、と。あの日、とても手厚く関わって下さったのだ、と胸の奥が温かくなるのです。

大学に入って養護教諭の歴史を学び、先輩たちが試行錯誤しながら学校の中で仕事を創っていったことを知りました。小学校の時の保健室の先生はまさに学校保健を根付かせていったお一人だったのだと後で知りました。
今から50年も前のこと、同僚から「保健室って、何をするところなの?」と言われていたかもしれません。「気楽だよね」と言われていたかもしれません。そんなことを考えると切なくなります。そこからコツコツとみんなで繋いだ保健室のバトン、今や学校にはなくてはならない存在にまでなりましたよ!

さて、
妄想ついでに
あの日、保健室の先生が私を送ってくれた経緯を勝手に考えてみました。

 保健室の先生「熱が高いので、早退させましょう」
 担任「家には車も電話もありません(面倒くさいな…)」
 保健室の先生「では連絡方法はないのですか(すぐに調べてよ)」
 担任「一応、近所のお宅の電話番号が書かれています(今時、電話ないのかよ)」
 保健室の先生「連絡できますか(あ、面倒くさいって思ってるな)」
 担任「はい、できます(仕方ないなぁ…)」
 保健室の先生「お願いします(早くしてよ)」
 担任「連絡取れました」
 保健室の先生「じゃあ、私、給食はいらないので(給食直前に送ってもらったことは覚えています)、あの子を自宅まで送ってきます。いいですか、教頭先生。」
 教頭「(え、俺?)あ、いいんじゃないですか」
 保健室の先生「では、行ってきます。もしも体調不良の子とか、けがした子がいたら手当てをお願いしますね、教頭先生!!」
 教頭「は、はい!!」

あくまでも、妄想です。
今となっては事実は全くわかりません。

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