でたらめ・散歩
最近、よく散歩をしている。
お家から出て、とにかくでたらめに歩く。散歩は、でたらめが許されるのだ。
昔通っていた小学校・中学校を通り過ぎる。大きな公園は人が多いから避けて、脇にそれた広すぎない道を選んで歩く。日差しが強い日は、日陰を選んで歩く。風があって肌寒い日は、太陽をいっぱい受けるように歩く。でたらめな散歩では、「気持ち良い方」を選ぶことが大事だ。カンカン照りの太陽と、戦ってやろうという闘志が生まれたら、日差しの強いアスファルトを、堂々と歩く。
でたらめに歩いていると、見たことのない沼や、通ったことのないトンネルと出会う。ラッキーだ。大きな犬とすれ違いざまに目があうことも、甘ったるい花の匂いを全身に浴びることも、とてもラッキーだ。
どんどん歩いていくと、いつも、いつのまにかラッキーに出会い、『良いひとり』になることができる。
『良いひとり』であるときの私は、自分の部屋で暇をつぶす私とは違う。体をめぐる血液が、前を見つめる眼差しが、背筋の具合が、何もかも違うのだ。
凛々しく変化した私は、何を思考するのも自由だ。
ある日の私は、野菜室のほうれん草が傷み始めているから、今夜使ってしまおうかと、献立を考える。またある日の私は、今朝目にした海外の政治について考える。考えている途中で、道端にたんぽぽの綿毛があれば、いつか風に吹かれた種子がどう広がっていくか、イメージしたりもする。
でたらめに歩いて、ラッキーに出会い、凛々しく様々な物事を考えていると、自分のことを好きになる。
『私が誰より可愛い女の子!世界で一番私がいけてる!』と思うわけではない。こんなふうに時間を過ごす自分を、認めることができるのだ。歩く時間を幸せに感じる自分を、素敵だと思える。
どう歩いても、お腹は空く。帰り道にはコンビニに寄って、体の一番求めるスイーツを買うのが散歩のコツだ。でたらめだから、ふわふわの千切りキャベツでも良い。
散歩では、最初から最後まで、全ての瞬間において、センスが問われるとも言える。(そう、こんなことを言っても許されるほど、散歩ではでたらめが許されるのだ。)
私は、でたらめな散歩がとても好きだ。
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