花束を君に。
今年の母の日は5月12日でしたね。
noteの世界でも
母の日関連の記事がたくさんあがっていました。
「ありがとう」が溢れた1日。
読んでいて幸せなような羨ましいような
そんな気持ちになりました。
世の中には
自分のお母さんへ「ありがとう」と
言えない人もたくさんいます。
それは、母親が他界している
ということもあれば
訳あって〝言えない〟〝言いたくない〟
という人もいます。
〝言えない〟〝言いたくない〟という人にしたら
毎年やって来る母の日とは
どんな日なのでしょう。
ただの5月12日なのか
あるいは
複雑な思いに駆られる1日なのか。
私の母は22年前に他界しているのですが
もし今も生きていたら
私は「ありがとう」と言えなかったかもしれないと
思う側の人間です。
つまり、彼女が亡くなったからこそ
今では「ありがとう」と思えるのです。
それだけを聞けば
皆さんは私が親不孝者だと感じることでしょう。
でも、そうなのだから仕方ありませんし
そうならざるを得ない理由も
私の中にはあるのです。
ただ…
私も40歳を超えて健康意識が高まるにつれ
健康な体に産んでくれたことは
明らかに感謝すべき事だと思っています。
小学校時代は歯科優良児として
表彰されてきました。
現在では歯茎が下がり
食べ物が詰まりやすくなった(←笑)とはいえ
今の今まで一度も虫歯になった事がありません。
いつ、老眼が始まるか分からないけれど
子どもの頃から視力は1.0。
また、大きな病気に罹ったことがなく
出産の時しか入院経験がありません。
もう…それだけで
本当に有り難いことだと
この年齢になると思うわけです。
いや…たとえ、そうした体でなかったとしても
この自分を生み出してくれたことに
どれだけ感謝できるのか。
あの時、彼女が私を産んでくれたから
今こうしてここに存在しているんだし
そんな私がいるから
息子達が産まれたんだもの。
私の悲しみは
私が産まれた時から始まったけれど
悲しみの奥にたしかに存在する感謝の気持ちは
忘れずにいたいです。
伝えたい想いや言葉があるなら
伝えられるうちに
伝える努力をするといいですね。
もちろん、私のように
胸の中で飼い続けるのも
ひとつの道ではありますが。
あの頃は
自分の悲しい気持ちを
正しく言語化できていなかったけれど
今なら言えるよ。
歪な過去はパンドラの箱に眠らせて
心からの感謝だけを抽出します。
「お母さん、産んでくれてありがとう」
最後までお読みいただきありがとうございます。
ではまたね。
〜追記〜
私にとってはただの5月12日でした(*´˘`*)❁⃘*.゚