阪大で「転部」に挑戦して気付いた、“やりたい”を最優先する生き方
振り返れば、私の人生にはいくつかの大きな転機があった。中でも断トツで私の価値観を揺さぶり人生を変えたのが、大阪大学で学部を変えた経験だ。
私は外国語学部でモンゴル語を2年勉強したのち、文学部に転部した。決して簡単ではなかったけれど、挑戦して良かったと本気で思う。
「転部」という挑戦がもたらした変化を振り返りたい。
転部が価値観をどう変えたか?
まず転部とは試験を経て専攻を変えられる制度だ。大阪大学でも、文学部・法学部・理学部などで受け入れをしていた(※現在の制度は分からない)。
大学2年、ハタチのときに取った選択「転部」により、私は“やりたい”を最優先できるようになった。
これを具体的に分解してみると、3つの変化があった。
それぞれ詳しく見てみよう。
①挑戦が怖くなくなった
まずはこれ。成功体験を積んだことで挑戦のハードルが下がったと感じる。
転部制度を知ったあと、私はまず情報を集め、教務や両親に相談し、先生方とアポを取って直接話し、転部の意思を固めた。(=決断のフェーズ)
試験対策中は地元に帰って図書館にひきこもり、赤本を引っ張り出して必死に勉強した。(=準備のフェーズ)
転部試験(筆記・面接)に、センター試験とそれまでの大学成績が加味される試験を無事クリアした。(=変化のフェーズ)
転部後は専攻・教授・キャンパス・友達すべてがガラリと変わる。精神的な負荷は大きかったが、それでもこの挑戦をなんとかやり抜いた。(=挑戦成功のフェーズ)
ここまでの経験を経て、形成された信念がこれだ。
挑戦が何であれ、失敗する可能性は常にある。私自身、転部試験に対して「わくわくする選択肢を見つけたのに、もし落ちたらツラいし恥ずかしいな…」と不安だった。
けれど実際に挑戦をしてみて分かったのは、努力して取り組めば挑戦を成功させられるかもしれない、しかし挑戦しない場合それが叶う確率はゼロだということだった。
最近読んだ本でドキッとした部分を引用しておく。
②自分の気持ちを優先できるようになった
いざ転部を本気で考えたとき、不安だったことがある。
外国語学部の友人とは、毎日一緒に授業を受け、学食でお昼を食べ、プライベートでも互いの家を行き来するほど親しい関係だった。
だからもし転部が成功したとして離れるのは寂しかったし、どう思われるかも心配だった。
経験上、若い女性は友人の選択・行動に敏感で、自分と人とを比べる傾向にある。たとえば、友人が珍しいアルバイトを始めたら自分もやってみようかな?と思うし、どこで洋服を買うか、彼氏からの誕生日プレゼントは何か?など、細部まで互いを知りたがり、時に羨ましく思ったり真似したりするものだ。
私もその1人で、当時は友人からの評価や意見を密かに気にしていたので転部を報告するのは怖かった。
いざ伝えたとき、みんな驚きつつも「おめでとう!頑張って」とポジティブな言葉をくれた。そのあと事あるごとに勇気を誉めてくれる友人もいた。
私がこの経験を経て気付いたこと。
今回の件も、“偏差値が高い文学部に行くのはずるい”とか、“一度始めたことを辞めるのは逃げだ!”とか思う人がいるかもしれない。けれど、自分の人生に責任を取ってくれない他人の軽い意見よりも、自分の信念のほうがうんと大事だろう。
③道の歩み方は自由だと知った
転部するまで、私は浪人・留年ナシで進学してきた。
医学部を目指す兄が浪人中も苦労する姿を見て「持久力のない私は現役で合格したほうが良さそう」と思い、後期試験で滑り込んだのが阪大の外国語学部である。当時は、現役をどこかbetterな選択だと捉えていたと思う。
しかし大学に入ってみると浪人はまったく普通のことで、在学中に1年間留学に行く人も多かったし、卒業後も院に行く人・行かない人に分かれた。そうやって、少しずつ人生の進み方がズレていく様子を見た。
私も結局、転部により大学には5年間通うことになる(2年生の冬に試験を受け、春から2年次に編入した)。
この経験で学んだのが以下のこと。
昔から真面目な性格で、“途中で辞めるのは悪”という意識が強かったため(小学校のときに泣きながら続けたドッジボールはツラい思い出…)、そんなふうに生き方のスタンスを変えられて楽になった。
挑戦によって気付いた上記3つ(①挑戦が怖くなくなった②人の目が気にならなくなった③道の歩み方は自由だと知った)により、「やりたい」気持ちに素直に行動できるようになった。
転部という挑戦をした理由
そもそもなぜ転部したのか?に触れておくと、ポジティブ・ネガティブ両方の理由がある。
ポジティブな理由:英語学、アメリカ文学との出会い
大学生は1、2年目に一般教養を学ぶ。そこで出会った文学部の先生2人が魅力的だった。
まず1人目、英語学が専門のO先生。文学部で人気の面白い教授だ。
当時の私は、高校で習う英文法は完璧に覚えており、阪大の外国語学部も英語のみの後期試験で入学していたため、英語力には自信があった。
にもかかわらず、O先生の授業では知らないことが山ほど出てきた。英語って、文法って、こんなに奥深いのか。
2人目はアメリカ文学のI先生だ。文学研究科在籍だが外国語学部でも教えてくれていて、その授業を取った。これがめちゃくちゃ良かった。
授業で読んだのがレイモンドチャンドラーの『Farewell, My Lovely』だ。探偵小説に興味はなかったが、村上春樹が邦訳していたことから受講を決めた。
授業形態はこんな感じだ。
淡々と進むうえに先生の指摘が厳しく、離脱者もいたし、難解な期末テストで単位を落とす人もいた。けれど私はこの授業が好きで、そこそこ良い成績を取った記憶がある。
それまでアメリカ文学を原文で読んだ経験はなかったのだけど、「文学」の中に、私が英語に魅了される理由があるんじゃないかと思った。
せっかくなのでその美しさを引用しておこう。
O先生とI先生、2人の授業が大好きで「世の中にはこんな学問があるんだ!こんなに魅力的な先生がいるんだ…この人たちの元でもっと学びたいな…」と思った。
その後、先生2人とはそれぞれ直接話す機会をもらって転部の相談をし、意思を固めることになる。
ネガティブな理由:マイナー言語へのモチベーションを保てない
転部にはネガティブな理由もある。望んで入った学部だったのに、モンゴル語の勉強がツラかった。
願書を出すとき、ある程度できる英語以外にしようと思ったのだけれど、大学でモンゴル語と中国語、ドイツ語を勉強してみて、私が好きなのは「外国語学習」ではなく「英語」だったと後から分かった。
阪大の外国語学部では、専攻語の授業を落としたら1発で留年になる。
そのためテスト前は友人と図書館のラーコモ(ラーニング・コモンズ、試験前は24時間空いている)に陣取って、縦文字・キリル文字の2種類を覚えたり、モンゴルのことわざを必死で詰め込んだりした。
図書館で同期と朝まで過ごした時間は私の青春だが、間違ってももうやりたくない。
これは外国語学部・文系学部に限った話ではないが、周囲も、その学問をやりたいと心から願う人の割合は高くないように感じた。将来その知識が使えるか?お金になるか?は長い目で見るとどうでもいいけれど、その学問をやって楽しいか?は大事だと気付いた。
転部をして良かったこと3つ
この挑戦には良い面も悪い面もあった。先述した価値観の変化以外で、まず良かったことを挙げてみよう。
①好きなことを勉強できるのは何より幸せ
大学生にとって単位取得は死活問題だ。楽単(楽に単位がもらえる授業)は大学生を救う。
けれど学問を学びに来ているからには、「この分野楽しい!この教授みたいになりたい!」と前のめりで聞きたくなる授業も必要だろう。たとえば週に15コマ取るとして、11、12コマくらいはわくわくする授業で埋めたい。でないと、高い授業料と20代の貴重な時間を費やしてまで大学に通うのはもったいない。
やりたい気持ちを追求して転部したのだから当たり前なのだけど、今一番興味のある英語学と英米文学を同時に学べる!なんて幸せなんだろうと何度も思った。
②人生の友人が増えた
転部先の文学部のみんなとは徐々に仲良くなり、今も定期的に会っている。
英文科は優秀で英語ができる人が多く、英語学を熱く語り、テスト前に授業の復習をやってくれる同級生がいた。クセの強い同期もいたけどみんな優しくて、卒業論文に苦しんだときも、助手のYさんが提出ギリギリまでチェックしてくれ、主席卒業のWさんが言い回しをお洒落にしてくれた。
実は私は大学での目標を「友達100人作る!」と定めていたのだけど笑、外国語学部で友人に恵まれ、文学部でも仲良い人ができて、人生の友人が倍になったのは幸せなことだった。繋がりがたくさんあると、見える世界・交流も広がる。今も変わらず会ってくれるみんなありがとう♡
③人生のネタになった
こういうちょっと変わったネタを持っておくのは悪くない。確か就活のエントリーシートにも書いた気がする。
ネタになる…の文脈で言うと、以前転部のメリット・デメリットを動画で発信したときに、阪大の学生からDMをもらい、後日転部に成功したと連絡してくれた方がいた。おめでとう!
自分のネタ(経験)が誰かの人生にポジティブな影響を与える、とても嬉しいことだと思う。
転部して正直大変だったこと3つ
試験に合格してから、大変だったこともある。
①新入生に混ざってのドイツ語再履修
学部によって必要単位数が異なるため、転部後はいくつか授業を再履修する必要が出てきた。1人で一般教養棟へ行き(棟が離れている)、正規クラスに混ざってドイツ語を勉強するのだけど、これがかなり気まずかった。
私が出ていたのが基礎工学部1年生向けのドイツ語初級クラスだ。ほぼ男性のみのクラスで私は常に一番前の端っこで受けた。雑談相手はおらず、授業が終わったら一番に教室を出た。こういう再履修が複数コマあり、黙々とこなすしかなかった。
ちなみに文学部では第3外国語の単位も必要なのだけど、これには外国語学部で取った中国語の単位を充てた。そういった複雑な単位計算にもヒヤヒヤさせられた。
②雰囲気のギャップにやられ、友達作りが困難
外国語学部はコミュニケーション力に長けたキラキラの女子が多く、かなり居心地が良かった。一方、文学部は真面目で静かな人が比較的多い。
加えて私が編入したのが2年次だったため既にある程度の人間関係ができている状態だった。 授業は1人で最前列に座って受け、後ろの団体が盛り上がってる様子に気まずい思いをしたこともある。私が留年生(浪人とは扱いが違う)だったのもあるかもしれない。
あとは会話に出てくる「他専攻の⚪︎⚪︎さん」が分からない、みたいなシーンもよくあった。
途中から仲良しメンバーができて、先輩や後輩とも話すようになって救われた。運とか、相性が良かったのだと思う。
③1年分余計にお金がかかった
国立大学の授業料は1年間で約54万円。加えて、もしストレートで就職していれば新卒1年目で400万円くらいは稼いでいただろう。つまり転部にかかった費用が450万円と考えていい。
450万円、かなり大きな額だ。社会人6年目の今、まだマイナスだと思う。けれど、転部したことでその後の就活や人との出会いも変わったので、生涯年収が上がっていたら良いな…今後巻き返したいところ。
挑戦したい、でも踏み出せない人へ
挑戦とかやりたいことをやる、なんて言葉にはかっこいい印象があるけれど、現実世界で考えるとなかなか難しい。
ハードル①現状維持は心の安定
まずやりたいことができたとき、頭に浮かぶ心配事は、こんなことじゃないだろうか。
実際、現状を維持する方がベターな可能性は十分あるだろう。「安定」は、穏やかな心のためにも必要だ。
ハードル②挑戦したら頑張り続ける必要がある
忘れがちだけど重要なのが、挑戦はその瞬間だけ頑張れば良いものじゃない、ということ。
決断・行動さえできればめでたくゴール、なんてことは決してなく、環境を変えたあとの方がむしろ大変だ。頑張り続ける必要がある。
私自身、転部後も転職後もかなり苦労したし、スキルアップしたいと始める有料講座も同様だと、身に染みて思う(書いたnoteを置いておく)。
でも、挑戦は頑張る源にもなる
じゃあ、「挑戦しないほうが良いのか?」というとそれは違う。
なぜなら、頑張らなくてはならない環境に飛び込むことは、頑張る源になるとも言えるから。強制的にコンフォートゾーンを抜けて、やりたいことが叶うかもしれないから。
私が迷ったときに立ち返る考え方がある。
たとえば新しい学問を始めるとき、違う仕事にチャレンジするとき、違う場所に引っ越すと決めたとき…挑戦で疲弊せず、正しいといつか思うためにも見極めは大事だ。
本当にやりたいことか?
譲れないポイントはクリアしているか?
生活はうまく回るか?
人に話を聞いたり足を運んだりして、その挑戦をやるにせよやらないにせよ、自分の選択に自信を持てるくらいに考え抜くと良い。そうすれば、将来「これで良かった」と思えるはずだから。
さいごに
今回「挑戦」のテーマを見たとき、今まで文章にしていなかった転部経験をnoteにしたいと思った。
KFC創業者のカーネルには「できることはすべてやる。 やるなら最善を尽くす。」 という信念があるそうだ。
私の最近の挑戦は、この2つ。
中途2年目のベンチャー企業での仕事
週末の社会人バスケチームで上手くなること
どちらも今の自分が本気でやりたいと思うこと。できることはすべてやる、その勢いで明日からも挑戦を続けていきたい。
最後まで読んでくださり心より感謝申し上げます。 ぜひぜひ、スキ・フォロー・サポートもお待ちしています!