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「苦しみ」は醍醐味だったのか

こんにちは、みるださんです。

2年ほど前にご縁があり、関わらせていただいたとあるスイーツやさんに
半年ぶりに顔を出してきました。
そこで
「春をめどに店は一旦閉めようと思うんです」という言葉を聞きました。

彼なりにいろいろ考えた結論だと思うし、「店」を手放すというだけで何もかもを辞めてしまうわけではない、形を変えながらやっていくんだなという印象をうけたので、ある意味、自分と同じだなと話を聞きました。

何も理由なく、気が乗らならくなったからやめるわけじゃなく、
その過程には苦しいことや悩みがたくさんあったんだろうけれど、
さばさばと語るその表情からは、後悔のかけらも感じず、前向きな思いを感じつつ店を後にしました。

苦しさは楽しさでチャラになるのではない。。

店をやっていた8年超の間には、苦しいことが本当にたくさんあったけれど、それを上回る嬉しいことややりがいもあったので、打ち消されていると思っていたけれど、そうじゃなくて、
「苦しむこと」も店をやっていく一つの醍醐味だったのではないかと最近感じるようになりました。
苦しむことがなかったらずっと続けてられるようで、実は苦しむからこそ苦しみから逃れようともがき、結果的に長く続いているのかもしれないと。
(若干マゾっぽいが(笑))

これから私は「店」から「車」に場所を変えるわけだけれど、きっとそこにももれなく「苦しみ」が付いてくる。
でもそれも味だと思うようになれば、前より少しの力で乗り越えられるかもしれないな。

今、大変な思いをしている北陸の方のように、全ての苦しみを醍醐味だと思おうというのは無責任だし無慈悲だけれど、
毎日を平穏に過ごしている私は、そう考えながら未来に思いを馳せています。


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