買ったのである(2024年11月16日)
ズボラでおっちょこちょいである。
それは関心のない方面で遺憾なく発揮される。
ファッションにおいては特に。
なにせ週に6日はトレーニングウェアと作業着でいる女で、コストコに行くついでに森タワー程度の山に登る女でもある。
オサレを堪能するのはごくごくのたまになのである。
そんなわたしであるので、以前、夫が頂いたバーバリーのシャツを洗濯機でガンガンに洗って縮ませた黒歴史がある。だって綿だったし。
よくよくみるとタグにクリーニングのマークがあった。襟が白のグレーベージュのシャツで、確かに特殊な織りだった。
気づいた時にはLサイズがMサイズになっていた。
とはいえバーバリー。もったいない。
夫は着られないが、わたしが着る。と思っていたが、着こなせず、といって捨てられず、何年か過ぎたあたりで襟の白が黄ばんでしまった。
そうなると思い切りよく畑仕事で着ていた。
そういうわたしであるのに、わたしは白い服が好きなのである。
無謀極まりない。
恐れを知らない。
いや、おのれを知らない。
学習能力がない。
と、思うのであるが、たまの、たまにしかないオサレの時に着たくて買ってしまうのである。
そして、たまの、たまにしかないオサレの時は、友人とのランチだったり、友の会とポイントを駆使するデパートでの買い物だったりして、そこそこのお店やデパ地下寿司やカフェや喫茶コーナーに立ち寄って、白いシャツやパンツに醤油やよく分からない食べこぼしで、やらかして帰るのである。トホホ。
そして、雑なシミ抜きや洗濯機だけでは落ちることもないそれらは、思い切りよく作業着にされ、夫のバーバリーからファストファッションまでのランウェイが畑に敷かれるのであった。
仕方なく白を諦めて次に好きな紺色を選ぶのであった。数年前までは。
時は流れ時代は変わった。いや、わたしの中で戻った。
ダーニングを知ったのである。
ダーニング、つまりお繕いである。
昔のお繕いと違うのは、傷んだり汚れた生地の部分を復元するのではなく、刺繍やらビーズやらで可愛くリメイクするのである。
それでもお繕いである。
これまで、佐賀錦、刺子、羊毛織と決して上手いとはいえず、ひとつもモノに出来てないが、数だけは体験してきている。そういう心得はある。
ランチには着て行けないが、ホームセンターには着て行けるくらいのお繕い、いやダーニングをする自信はある。
ダーニングキットセットというのを買ったので、そのうち、醤油シミがオリジナリティを縫い込んだオリジナリティあふれるシャツやカットソーに生まれ変わる可能性はある。
実は目指したいものがある。
ボロである。
布を継ぎ当て継ぎ当て、時を継ぐかのように何年も何代も使い続け、繕い続けてきたボロのように、白い衣類が例え汚れても、汚されても、破れても、繕い続け、あるいは染め直し、まるで違う風合いの衣類になる。なり続ける。
それはまるで人生のでようではないか。
‥ちょい大袈裟に言ってみた。
そんなボロになるべく、例え赤っ恥をかこうが、黒い嫉妬にドロドロになろうが、そんな自分にブルーになろうが、生きていくわたしは白いベストを買った、のである。