クセになって。
何かを始める事よりも、終わらせる事の方が難しかったりする。一度習慣化してしまったものは日々の生活にべとりと張りついたまま、剥がれる事もなく留まっている。
「静電気」が苦手だ。もちろん得意な人などいないだろうが、「静電気体質」というか、冬になるとよく「バチン!」と音を立てて指先を痛める。
子供の頃からそうだったのだろう、鉄道の車両間の扉に付いている取手を見ると嫌な記憶が蘇る。そもそも、「静電気」と言いながら全然静かではない時の方が多い。本当に静かなものは気づいてないだけだろというツッコミは置いておいて、とにかくよく電気にやられる。
しかし、ある時光明が見えた。そもそも、静電気の原理を考えてみるべきだったのだ。インターネットに答えは転がっていた。何と便利な時代だろうか。
「取手に触れる前に他の場所を手のひらで触る」
これだけだった。
細かい原理については弩級の文系である僕に聞くのではなく大人しくグーグルに聞いていただくとして、簡単に言えば「溜まった電気を流す」みたいなものらしい。
それを知ってからというもの、生活は少し快適になった。電気に怯えるストレスはなくなった。
毎度車両間の移動時に抱えていた不安も見事に払拭されたのだ。
しかし、今度は別の悩みが生まれた。本来静電気が起こる季節ではなくても必ず放電しなくては気が済まなくなってしまった。
夏でもなんだか不安で、やめることができない。クセになってしまった「放電」を半袖を着ながら行なっている。
無論、わざわざ止める必要もない。だが、意味もなく、クセになっているだけで続けているのもどうかとも思う。
その放電に意味などないからだ。
タバコ、も、そうなのかもしれない。
クセになっている。なんとなく、深い理由もなくクセで火をつけている。ニコチンの依存性よりも、「タバコを吸う」という行為に依存している。
以前友人が「タバコ吸ってる奴なんて深呼吸がしたいだけだ」と言っていた。当時は「そんなわけねぇよ!」と一蹴していたが、一理あるかもしれないと今は思う。
そもそも、人間なんて依存ばかりしている。
お気に入りの曲を何回も聴いたり、落ち着くために文字を読んだり、コーヒーを飲まないと目が覚めた気がしなかったり。
クセになったものを繰り返して、日々をやり過ごす。いつしか新しいものも減って、時間が過ぎることを早いと感じて。
もちろん、悪いことばかりじゃない。クセになってるおかげで回避してるストレスも沢山あって、ある意味では自己防衛のように、繰り返しの檻にこもって自分を守ったりしている。
でも、たまには新しい事にも手を出してみないと。
アドリブのギターソロ、いつも同じフレーズじゃつまんないよ。クセになる事を増やして、引き出しを増やしていこう。
きっと、終わらせなくていい。そのまま、べっとりと張り付いたまま、厚くなっていけばいいさ。