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I don't need no tutorial

気を抜いていたらいつの間にか木曜日になっている。今週はやけにあっという間だ。

日曜日に行ったライブのことを書こう書こうと思っていたが、かっこつけた冒頭の文章だけは浮かぶのに上手く続かない。
何を書きたいか、は明白なのにそれを言葉にすることができない。薄っぺらな文章ではあの時の感情を表現するに適してないと思っているのかもしれない。

それでも、あの時に感じた心の動きをどうにかここに残しておきたくて、何度目かのチャレンジを始める。
誰に読まれているとも分からないこの日記のような文を、いつか自分で読み返して鼻で笑うために。

2月18日の夜、日が暮れ始めて渋谷に向かった。朝から15時くらいまで働いて、酷く眠かった。体は重く、列車の中の暖房のせいか気を抜けば目的地を通り越してしまいそうだった。
渋谷駅を降りて、少し時間があったので散策する。といっても、今更渋谷で見たいものなど特に何もない。
日曜日の街は沢山の人がごった返していて、その人混みを避けるように歩いていたらあっという間にライブ会場の近くまで来てしまった。

開演時間はおろか、開場時間にもまだしばらくあって、特にする事もないので楽器屋に入ってざらっと一周した。
そして、もう一周。また、一周。楽器屋は暇を潰すのには最適だ。
買うものもなく、店を出る。変に長居したおかげで、開場時間は過ぎていたので諦めて中に入る。

特に酒を飲む気分でもなかったので、ドリンクチケットはペットボトルのお茶と交換。リュックがデカくて邪魔なので、コインロッカーに入れた。
物販コーナーも設けられていたが、1月に行った公演で目ぼしいものは大体手に入れてしまったので素通りした。

フロアにはすでに客がそれなりにいて、椅子にはもう座れなさそうなので大人しくステージの近くへ向かう。
僕の定位置は上手。どんな編成のバンドでも大体上手メインスピーカーの前あたりに陣取る。
人は多いが、満員電車ほどではない。悪くない場所だと思った。

開演時間を5分過ぎたところで最初のバンドが登場。歌もギターも好みだ。特にギターのフレーズがハモるところが絶妙で、加えてリズムチェンジも多く飽きさせない。
演奏時間は45分くらい。初めて見たバンドだったが楽しかった。

しばらくの転換時間を挟んで2バンド目が登場。ギターボーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボード、トランペット、コーラスという大所帯。
サウンドが非常に心地よく、轟音のギターと時折り挟まるトランペットの音が鼓膜を刺激する。

そして、ついにトリのバンドが出てきた。今日の目当てはこのバンド。おそらく、この会場にいる殆どの人がそうだ。

1曲目から轟音で鳴り響く3本のギターに、それを支えるベース。土台を作るドラム。そして英詞を歌うボーカルの声が乗っかって一つの曲が鳴り響く。
暖まったフロアは熱狂する。思わず拳を握った。

僕の周りも皆一心にステージを見て思い思いの時を過ごしている。動画撮影が許されているライブのため、この一瞬を記録に残そうとカメラを向ける者。一心不乱に腕を振り上げる者。静かに音に聞き入る者。
三者三様の過ごし方だが、ライブを楽しんでいるというこの瞬間を美しく感じた。

事件は8曲目に起きた。ギターボーカルがイントロのフレーズを弾き始めた瞬間、明らかにフロアの熱が上がった。
曲名は"Dazzling"。隣にいたお兄さんが「うおっ」と言ったと思うと僕の前を通ってフロアの中央に飛び込んでいった。

Aメロで既に盛り上がりきったと思われたフロアはサビに入った瞬間、さらにもう1段階、いや3段階くらい熱くなった。
前列へと詰めかける人の波-いわゆる「モッシュ」が巻き起こっていた。

思えば、初めて大きなライブハウスにいった中学生の時は2列目で拳を振り上げていた。訳もわからないのに、とにかく熱狂していた。
それから高校、大学と進んでいつの間にか人の上を転がるようになっていた。
しかし、どうも二十歳をこえた辺りからなんとなく後ろで大人見するのがカッコよく思えて、棒立ちすることも増えた。
加えて、あまり大きな会場に行くこともなくなり、極め付けは件の病原菌のせいでフロア前方からは遠ざかっていた。

曲は2番に入ろうとしている。僕は息を大きく吸うと、次の瞬間には走り出していた。

「本能」とはこういうことを言うのかもしれない。「もう耐えきれない」と思ったその直後に、僕はステージの真正面で腕を振り上げていた。
ボーカルは2番のAメロを歌う。
"I don't need no tutorial"-『チュートリアルはいらない』
まさに今の僕の状況。チュートリアルなんて必要ない。本能が今体を動かしている。

モッシュピットは過酷だ。ただ人が多い満員電車とは違う。皆が思い思いに踊るし、腕を振り上げているし、後ろから人が転がってくる。
誰かの腕がガンガン顔に当たるし、やけに靴底が厚い奴が足を踏んできて痛い。
汗なのかなんなのか分からない汁が飛び散っているし、大音量で歌ってる奴もいるし、誰かが落としたフリスクが床に散らばっている。
だけどそれが、それこそが楽しいのだと気づいた。

曲が終わったと思うと、続け様に次の曲。モッシュは続く。
腕を高く上げ、少しでも前に、前に。昔やったラグビーを思い出す。暑い。でも、熱い。
今日はモッシュなんかする予定じゃなくて、少し厚着をしてしまったことを後悔。
でも、荷物をコインロッカーに預けたのは正しい選択だった。

アンコールも終わって、会場を出ると外は寒かった。
さっきまであんなに熱狂していたのに、夜の渋谷の街に出るのはまるで急に現実に対峙するような心地で、そそくさと帰ることにした。

電車に乗ると、自分がひどく臭うことに気がつく。
タバコの臭い。演出用のスモークの臭い。誰の汗かも分からない謎の汁の臭い。
でも、同時に思い出した。これがモッシュピットの臭いだ。

翌朝目を覚ますと全身がひどく痛かった。特に右肩は大変なことになっていて、上がる気がしない。
口の中も何箇所か切れているし、前歯も痛い。
なんだか面白くなって笑ってしまった。
そうそう、この痛みも思い出したよ。

チュートリアルはいらない。本当に。
あれからまだ数日だけど、すでにあのモッシュピットが恋しくなっている。
体の衰えも感じる日々。いつまでできるんだろう。そう思いながら、今はただ腕を上げたい。

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