永遠に
『楽園のカンヴァス』をようやく読み終えた。一冊読むのに時間かかりすぎだ…。遅読極まれりといった感じ。
9月の末に久々に読書習慣を取り戻そうと思って、エッセイ-短編-長編と続けて来たけどやっぱり長編を読むのが遅すぎる。
内容はめちゃくちゃオモロいのになんかいつまで経っても自然に読めようにならない。自然に、というのは生活の一部に読書がある状態ってことだけど、もしかしてそんなものは一生なかったりする感じ?気合いを入れて「本を読むぞ!」と思わないとページを開くことすらできない僕を笑ってくれ。そもそも、誘惑に弱すぎるんだよな。スマホのせいにしたくないけど、ショート動画とかずっと見ちゃう。早く法律で禁止してくれ!
まあとにかく、僕が本を読むのが下手だという話は置いておいて、『楽園のカンヴァス』はめちゃくちゃ面白かった。原田マハのおかげでまた新しく好きな画家が増えて嬉しい〜!って感じです。
内容は結構ミステリー寄りなんだけど、そのミステリーの渦中にいるのが一枚の絵画でさらにそれを取り巻く画家の物語に2人の主人公が対峙していくというのがなんとも面白い。「小説」なのでもちろんフィクションなのだけれど、実在の画家の名前や実在する絵画のことについてもたくさん書かれているので純粋に知識としても面白いし、「もしかして本当にこんなことあったんじゃないかな?」と思わせるリアリティも最高。
中でも後半度々出てくる「永遠を生きる」という言葉。画家が死んでも、モデルとして描かれた人間は永遠に絵の中に残る。自分は絵なんて描けないし、滅多に美術館にも行かないけれど、「永遠を生きる」っていうのはなんていうかとても美しいなと思った。
これはめちゃくちゃ昔のnoteにも書いたんだけど、多分自分が何かを作ったり/書いたりするのってこれに近いと思う。「爪痕を残す」というと少し大袈裟だし、偉大な作家になりたいと思っているわけではないけれど、世界のどこかに自分の作ったものが存在しているという状況を欲しているんだと思う。
某バンドの某曲に「永遠に生きられるだろうか」という歌詞があったな。果たして僕は誰かの/何かの中で永遠に生き続けたいんだろうか。
誰かのため、とか何かのため、とかでなく、もはや自分のためにだけ創作をしている。
「誰かを救いたいから」とものを作っている人を心から尊敬している。僕は自分が救われたいがためにしかものを作ることができない。
永遠の命なんて、多分いらないと思っているけどもっともっとできるようになりたいことが多すぎる。世界中の楽器を練習したいし、めちゃくちゃデカい壁画とか描きたいし、意味の分からない形の建築とかしたい。でも、永遠なんてないから仕方なく取捨選択して、今は目の前のものをどうにか創り上げようとしてる。
今年ももうすぐであと一月。2025が来るまでにどうにか形にしたいものたちが、目の前にあるよ。