御厨鉄
2024.4~
2023ー2024年4月までの記事。
一ヶ月ほど旅をしている。 北海道をぶらぶらして、今は東北にいる。 そんなに金はかからない。 8月いっぱい旅をしたが、そのあいだの家計簿を見ると8万円ですんでいる。 家にいるのとあまり変わらない。 (家にいると、余計なものをアレコレ買ってしまうものだ) ところで、私はおととし(2022年)も北海道を旅した。 そのときの宿泊費が、まあすごかった。 2022年 8/2 野宿 0円 8/3 無料キャンプ場 0円 8/4 無料キャンプ場 0円 8/5 無料キャンプ場 0円 8/
「書くことは排便に似たり」 というわけで、やはり書かないと具合が悪くなる。 とりあえず近況。 何もしていない 基本的になにもしていない。 なにもしなくても、金は増えていくので、働く必要もない。 ただ食って、遊んで、寝るだけだ。 「経済的に自由になる」 とはつくづくかんたんなことだから、人生の最初のうちに片付けておいた方がいい。 虚無 「生きることは基本的に苦しみだ」 という認識は、あまり変わっていない。 「生きることは無意味である」 という認識も、あまり変わ
「虚無思想研究」の解説に、卜部(うらべ)哲次郎の反労働的な文があった。 「ニヒル」創刊号の巻頭に収載されていたようだ。 ※「遍身羅綺者、不是養蚕人」……11世紀の隠者、張兪の言葉。きらびやかな衣服をまとう者は、蚕を養う貧民ではないこと。 伏せ字の部分は何が書かれていたかよくわからない。 卜部哲次郎の生涯については以下に詳しい。 乞食行脚をしたあと、住職になって死んだらしい。
資本主義社会は幸福によって駆動する。 第一に消費主義。 「消費することで幸福になれる」 第二にメリトクラシー。 「努力して成功すれば幸福になれる」 メリトクラシーによって不平等が合法化される。 「不幸な人間は(努力しなかったのだから)自己責任」 となる。 そうして 「幸福な人間はself-help(自助努力)によって成功したから幸福なのだ」 と導かれ、これは 「成功すれば幸福になれる」 という信仰を産む。 人々は社会的成功を追い求めるようになり、過重な労働に対して意
35歳、妻なし、子なし。 倹約すればひとり食っていくだけの金はある。 「食うに困った」 ことはないし、これからも 「食うに困らない」 だろう。 これは人間、というか生物の長い闘争の歴史を考えてみると、幸福なことと言わなければならない。 Careするものがない それにしても思うのが 「Careすることがない」 ということだ。 気にかけること、めんどうを見ること、というものがない。 第一に、世間の人々の関心事である「家庭」と「労働」を私はもたない。 これだけで、気にか
自由 知性 これらがあるほど、幸福になれる―― と考えてきた。 が、そうではないのかもしれない。 自由は人間を幸福にしない ひとはだれでも自由を良いものと考える。 隷属は悪いことである。 しかし、人間はどこまで自由になれるのか。 働いて金を稼がなければいけない 税金を払わなければいけない 法律を逸脱すれば警察に捕まる 世間体や常識に縛られる これらから自由になることは、そう難しいことではない。 多少の努力と工夫で可能だ。 しかし、それで自由を謳歌できるか
「人生に意味はない」 という事実に、いまさらながらビックリしていた。 私はいま35歳なのだが、自分の前半生をふりかえると幻滅Disillusionedの連続だったと思う。 学校に、労働に、家庭に 富に、所有に、名声に 社会に、宗教に、国家に、人類に 幻滅してきた。 さいきんでは知性や自由にも幻滅しつつある。 こうなると、追いかけるべき目標はなくなる。 夢はなく、希望もない。 ここまで人生の内容物に幻滅してしまえば、こう思うのは自然である。 つまり 「人生に意
貧困と富裕 名誉と屈辱 自由と隷属 いずれも快苦とは無関係であるため、どちらでもいい。 と、キュレネ派のヘゲシアスは言ったとされる。 これはもっともかもしれない。 ヘゲシアス再考 まず、貧困と富裕。 私は仕事をやめてしばらく、たいへんな貧乏生活をしたことがある。 極端な月は1か月に使った金が2万円以下だった(持ち家だから可能なのである)。 貧乏を経験するとわかるのだが、貧しい方が「恵み」を感じる。 卵が10円で買えること。無料でゲームができること。中古のスマ
知性が高いほど幸福なのか? そうでもないよ、というデータがある。 IQが高いと鬱病になりやすい「IQが高いと鬱病になりやすい」 みたいだ。 下のグラフで、Pure Bipolar(他の疾患を併発していない純粋な双極性障害)の発症率は低IQで大きく、IQが高まるほど低下する。 しかし平均IQを越えて高くなると、再び増加の傾向を見せる。 IQが高いと酒・薬物に手を出しやすいまた、IQが高い人はドラッグや酒に手を出しやすいみたいだ。
「I'm done with life」 という感じ。 35歳、独身無職。 もう十分に金はある。 生活に必要なものは揃っている。 家はある。 バイクはある。 電子レンジもパソコンもある。 新しくなにかを買う必要を感じない。 金が必要ないのだから、仕事はしていない。 社会が良いものという前提がないから、名誉や権力がほしいこともない。 結婚したい、子どもが欲しい、という考えもない。 友人はほんのわずかしかいない。 それともここ数ヶ月は会っていない。 肉体は老化している。
「意志と表象としての世界」 を読みおわった。 2ヶ月かかってしまった。 いま書き抜きをまとめている最中なのだが、「復讐」についておもしろい記述があったので紹介しておく。 私たちが山上徹也に対して持つ少なからぬ「あの共感」。 それが説明されているように思う。
いやいや、それ以上の不幸がバシバシ出てくるのがヴォルテールの「カンディード」という本である。 この本を読もうと思ったきっかけは、ペシミストの哲人・マルチンが登場すること。 また、有名なラストのセリフ「けれども、わたしたちの畑を耕さなければなりません」の意味を探るためだった。 ペシミスト、マルチン 「カンディード」の原題は『カンディード、あるいは楽天主義説』であるから、楽天主義(オプティミズム)がメインテーマである。 オプティミズムは「きっといいことがあるさ」という楽天
快楽主義者からペシミズムに傾倒しているさいきん。 「似たような考えの人がいるんじゃないか?」 と調べてみると――。 世界は広い。 ドンピシャの思想家がいた。 「死の説得者」ことキュレネのヘゲシアス。
座禅を100日続けた。 何が起きたのか。 私の座禅スタイル寝る前に20分ほど座禅している。 どうしても足がしびれるのでこれくらいが限界になる。 座り方は結跏趺坐。 私は身体が固いので、はじめは足を組むだけでたいへんだった。 そこから10分座れるようになり、20分座れるようになった。 20分からイマイチ伸びない。 冬で厚着してるのが悪いのかもしれない。 精神よりも肉体と向き合う「座禅は体術だ」 と感じることが多い。 「いやいや、ただ座るだけでしょ?」 「座禅は
フィリップ・マインレンダーは34歳で首をくくった。 (自著「救済の哲学」を足場にした、と言われるが、これは脚色の可能性が高い) 彼の影響を受けた芥川龍之介は、35歳で服毒自殺した。 35歳あたりの年齢には、なにかあるのかもしれない。 おそらく、私たちが 「生に向かって生きている」 と思っていたのに 「死に向かって生きている」 と気づくあの転落が、この頃の年齢にはある。 生きることは苦しみである 存在するよりは、存在しない方がいい というのがペシミズム。 かなりヤクザ
「意志と表象としての世界」 を読んでいる。 4巻に入って、いよいよショーペンちゃん節が展開されている。 彼の苦痛に関する記述は 「そうそう、そうだよな」 と納得できる部分が多い。 1.苦痛と退屈の均衡法則 (↑これは勝手に名付けている。以下も同じ)