「なんで子供欲しいと思ったんだろう」と思ったので振り返ってみた
※ヘッダーは私です(笑)
昨年の9月から体外受精をスタートし、11月に移植した私。ふと「なんで私、子供欲しいと思ったんだろう?」と、あの頃を振り返る。
夫は、甥っ子のことが大好き。携帯の待受にしているほど溺愛してて、旅行に行けば必ずといっていいほど「きーちゃん(仮名)にお土産を買ってあげたい!」と言う。
そもそも結婚前から子供が欲しい欲しいと話している人だったので、子供が好きなんだろうと思う。ただ、年数が経過する度に「俺、子供居なくてもいいや。2人でこうして旅行いったり、楽しめたらそれでいい」と言うようになった。
彼なりに気を使っていたのかもしれないが、私は私で申し訳ない気持ちになった。彼に、いつか本当の子供を抱かせてあげたい。そう思ったのは真実である。
ただ、理由はそれだけではない。ここから先に述べる理由は、私のエゴや負けず嫌い精神に関する内容が続く。
昨年の4月に「おひとりさまの老後」という本を図書館で借りた。
その頃は2人でこのまま過ごすかもしれない、と諦めの境地でもあった。しかし、その本には「老人ホームに入るには保証人が必要である。身寄りのない老人は、ここで困ることになる」ということが説明されていた。
私には兄弟がいるが、決して仲良くない。自分がもし1人になったら、誰も頼れないというのは困るのではないか。ふと、老後が心配になったのだ。
他にも理由がある。不妊治療を始める前、数人の知人と飲む機会があった。その時、私は男性の知人にプログラミングを学ぶために学校へ行った話、ライター業をしている話をした。別に「凄いね」と言われたかった訳ではない。その知人には大した思い入れもないし。(元々友達の彼氏だし。今既婚者子持ちだしな)
ただ、そのときに「はぁ?」って言われて物凄く馬鹿にされた顔をされ、下を向いて失笑され無視された。
私の中では、これから頑張ろうと思っていたし。プライドを持って頑張ってきたことだった。なのに、全てを否定されたような気がして悲しくなったのだ。
その後、周囲の人達は私には目もくれず、誰も話しかけようとはしなかった。
1人ポツンとしてる私をみかねた隣の子が「ちょっと、ミクちゃんせっかく来てくれたのに」と気を使い、周囲は苦笑いして「ああ……」と無理して話しかけてきた。
もううんざり。2度とここには行きたくない。そう思った。だから、もうあそこには行きません。
40手前の女性が、仕事したり勉強することはおかしいことなのだろうか。このまま仕事に邁進したら、私はどんどん惨めになってしまうのか。わからなくなってしまった。
自分の中では、ライターの仕事は結果を出せていると思っている。誇りにも思って頑張ってきたし、プライドもあった。
それでも、他の世界では結婚→子供を産む→育てる(もしくは育てながら働く)が当然とされ、違う道を進もうとする女性は変わり者のように見られる。
このままライター続けても、それなりに幸せではあるかもしれないが、ある日突然どうしようもなく不安になるのではないかと思うと、たまらなく怖くなったのだ。
「不妊治療しないの?今まで散々OL時代に稼いできたんでしょ?貯金あるんだから…」と何も言わなくてもいってくれた人もいたが、それはまだいい方だ。
何も言ってないのに「もう俺の子供は大きくなったよ」と苦笑いしつつ挨拶代わりに言われたり。不妊治療をしようかなという話をすれば「えっ……」と苦笑いされたり。
もう、うんざりだった。そんな状況から抜け出すには、子供を作るしかないと思った。
そんな中、子供がなかなかできないといっていた友達に妊娠のお知らせがあった。みんなが喜んでる中、彼女はどんなにこっちが目を合わせようとしても、絶対に目を合わせようとしなかった。
実は彼女とは、独身時代に男関係でイザコザがあった。そして、イザコザがあった男性と結婚したので、彼女なりに悪いと思っているのかもしれない。
このように、私が妊活に邁進した理由は決して褒められたものではない。自分のエゴの積み重ねによるもの。
でも、綺麗事よりもそういう理由の方が、人間は一生懸命になれるんだよね。
性格が悪いと言われたら、それまでかもしれない。でもこれが真実。そして、この想いがあったから自分は頑張れたと思うので、今は関わってきた人全てに感謝している。
妊活している理由が邪であっても、私はそれでいいと思う。結果的に幸せになればそれでいいのだから。