夕ご飯の寿限無問題
同居人の作るご飯はおいしい。
もともと長年自炊していたそうだが、手慣れた動きで、おいしいご飯がポンポンと出てくる。
一緒に住んでから聞いたことだが、以前に飲食店に勤めていたこともあるそうで、その時に教わったまかないなども披露される。
インスタ映え的なオシャレなものではなくのだが、ちゃんと下処理をした野菜とか、みりんと醤油にしっかり付け込んで焼いた鶏肉とか、きちんと時間をかけて料理したものが出て、贅沢だなぁと思って食べている。
そして半年ほどおいしいおいしいと手料理を食べていて気付いたのだが、同居人は料理に名前を付けない。
シソをめんつゆで作ったタレで漬けたもの
豚肉と玉ねぎとキャベツをニンニク醤油とショウガで味付けして焼いたもの
揚げ焼きした茄子とシシトウと豚肉を味噌を入れた甘辛いタレに絡めたもの
揚げ焼きした茄子を醤油とショウガとあと他に色々入れたタレに漬けたもの
鶏肉をこの間のタレにみりんと砂糖を加えたものに漬けて焼いたもの
もしかしたら名付けていたつもりかも知れないが、長い。「寿限無寿限無ごこうのすりきれ~」と長い名前を子どもに付けていた落語の話みたいだ。
「この間のアレ食べたいなー」と思った時に、
「アレって?」「ほら、豚肉が入っててタレのやつ」「醤油とニンニクの?」「いや、味噌が入っていた気がする。あと玉ねぎ」「玉ねぎだけの時とキャベツも入れていた時とどっち?」
という、やり取りの後に
「豚肉と玉ねぎとキャベツが入っていて味噌タレで炒めてゴマをたっぷりかけていたもの」!
そっか!「豚肉と玉ねぎとキャベツが入っていて味噌タレで炒めてゴマをたっぷりかけていたもの」か!
と、お互いが納得し、食べたかった料理に再び出会えるのである。
やっぱり寿限無。結構大問題である。