2020年ブックレビュー『新釈 走れメロス他四編』
現代の作家が、古典作品をアレンジしたり、「翻訳」したりした作品をよく読む。例えば芥川龍之介の短編ような。森見登美彦さんの『新釈 走れメロス他四編』も楽しく読んだ。
「あとがき」で森見さんが『「原典」を形づくる主な要素が明らかに分かるように書こうとした』と記しているように、元となった古典の骨格や特長、香りが、ちりばめられていて面白い。
『山月記』は、「虎になった李徴の悲痛な独白の力強さ」を新釈作品にも出したという。小説家を目指す学生の斎藤秀太郎は、飛び抜けて風変り。卒業することをヨシとせず、社会に出ていく友人たちを凡人と嘲り、汚いアパートで読まれもしない小説を延々と書き続けていた。世俗にまみれることを極端に嫌い、色恋にも背を向ける彼は、社会で一定の地位を得ていく友人たちの背を見て、焦りを感じていく…。
内容はコミカルなのに、語り口が「山月記」ばりの格調の高さなので、かえって滑稽。斎藤の独白は悲痛そのものなのに、ニヤニヤてしまうのは文章に漢文調の匂いがするからだ。
新釈の『藪の中』は、芥川原作の「木に縛りつけられて一部始終を見ているほかない夫の苦しさ」を「拝借」している。大学の映画サークルに所属する、監督の鵜山は「屋上」という短編を撮影。鵜山の恋人長谷川菜穂子と彼女の元恋人の渡辺が秋の深まりとともに、寄りを戻していく物語(本人出演で、実話に基づいたストーリー)を映画化してしまう。
「藪の中」のように、撮影の様子を語る鵜山や渡辺、菜穂子と証言が食い違うのは同じだ。藪の中でいうと、菜穂子は「女」で渡辺は「盗賊」、鵜山は「女の夫」といった役回りか。
3人の証言(視点)をよくよく読むと、菜穂子も渡辺もお互いに未練はないのに、鵜山は嫉妬の炎に身を焦がしている。人々は自分の主観に頼ってモノを見る余り、真実は「藪の中」。真相が見えそうで見えない。結局、鵜山は菜穂子への愛(というか、執着)を実感するが、菜穂子の心は鵜山から離れていく…というのだけは確かなようだ。
「走れメロス」はくつくつと笑いながら、あっという間に読み終わってしまった。「作者自身が書いていて楽しくてしょうがないといった印象の、次へ次へと飛びついていくような文章」を新釈でも生かしている。
主人公の芽野史郎は、「詭弁論部」に属している阿呆学生。「邪知暴虐」の図書館警察の長官に部室を閉鎖され、「呆れたやつだ。許しておけん」と芽野は憤然と立ち上がる。部室を取り戻したいのなら、「美しき青きドナウ」に合わせブリーフ一丁でを踊ることを長官に提案され、1日だけ猶予をくれと願い出る。もし、戻らなければ同じ詭弁論部の親友・芹名が踊ることになるのだ。
ところがである…。芽野は芹名の「期待」に応え、何としても制限時間内に長官の元へと「戻ろうとしない」。それが芽野の芹名に対する「一筋縄ではない」友情の証なのだ。なにせ、彼らは詭弁論部なのだ。芽野と、約束の日没までに芽野を何としても引き戻そうとする長官と、芽野の攻防が繰り広げられる。そして、芽野が走り込んだキャンパスの特設ステージではすでに芹名が平然と桃色のブリーフで…。
もう、これは森見さんが真面目にふざけながら、次へ次へと飛びついていくように書いているとしか、言いようがない。
↓日本昔ばなしをミステリーに仕立てたこの本も面白い。
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