聖霊の力
ペンテコステの意義、それは助け主を私達のもとに遣わすということ。聖霊の臨在によって。聖霊は私達を助けてくださる。
慰め主とも呼ばれる聖霊。ギリシア語ではパラクレイトス。そばに来てくださる、慰める、助ける、という意味。
聖霊について
第一に、人格であり、単なる力(force)ではない。ヨハネの福音書では、イエスが聖霊を「その方」という代名詞を使っている。
第二に、聖霊は同時に神である。三位一体の神。神は唯一であり、3つの位格をもつ。
それはどのように成り立つのだろうか。実のところ、それはわからない。ミステリーであり、十分な説明をすることは難しい。聖書の中に三位一体という言葉を見つけることは出来ない。しかし、聖書はそのことを教えており、それぞれの位格が神であることをためらうことなく示している。
ヨハネ1:1-5、イエスが言葉であり、神であること。そして言葉が人となったことを示している。コロサイ1:19でも。万物が御子によって作られたことが書かれている。創世記では神が天と地を創造されたと書かれている。
英語の聖書のヨハネ1:7では、父と子どもと聖霊が一つであることを示している。
三位一体という言葉を使わずに、三者が一つであることを示している。同じように、私達が主イエス・キリストというとき、三位一体と告白していることとなる。父なる神、その名は主。子ども、その名はイエス。聖霊、その名はキリスト。テサロニケ5:28, Iコリ816,IIコリ2:13に書かれている。
イエスに従い始めた人について。イエスはマタイ28章で、父・子・聖霊の名によってバプテスマを授けるように言った。
他にも三位一体の概念を明らかにしている箇所はたくさんある。
聖霊の力について
使徒の働き3:10ではイエスが聖霊と力によって油を注がれたことが書かれている。確かに聖霊がマリアに子孫を授けた。
イエスが地上を去っていくのは、私達が聖霊のちからを受けることができるようにするため。
イエスが地上で生きているとき、届くことができたのはイエスのそばにいる人達だけであった。しかしイエスが聖霊を遣わされてからは、信者の一人ひとりに届いている。
使徒の働き8:9-24、サマリアの黒魔術師シモンの話がある。ピリポから福音を聞いたあと、イエスを信じるようになった。ピリポによって行われた聖霊の力に、シモンは驚いた。ペテロとヨハネは福音がサマリア全体に広がったあと、それを確認しにいった。
サマリアでペテロとヨハネは信じた人々が聖霊を受けるように祈った。8:16で、彼らはバプテスマを受けただけで、聖霊はくだっていなかった、と書かれている。
シモンはペテロとヨハネが手をおいただけで聖霊を受けるのをみて、偉大な力があるのだと感じ、お金を持ってきて、その力を分けてもらうように頼んだ。しかしペテロは彼にいった。お前の金はお前とともに滅びるが良い。お前は神の力を金で買うことができると思いこんでいるからだ。
神の力は、お金を持ってしても得ることが出来ない。神を信じて初めて、得ることのできるものである。この話が何を示しているのか。聖霊の力を得るというのとは、別のもの。
この2つが同時に起こることは可能ではあるが。ルカ24:49、イエスが復活し、弟子たちに現れたとき。イエスは御父の約束が成就するまで、待つように伝えた。イエスは言われた。あなた方はいと高き所から力を得るまでは、都にとどまっていなさい。
イエスは聖霊のことを言っていた。弟子たちが他のところに行く前にエルサレムで力を得るのが、何故重要だったのか。何のために聖霊の権威を得るのだろうか。それは人々に対する証人となるため。イエスは弟子たちが勝手に出ていき福音を述べるのを許されなかった。まず聖霊の力を帯びさせた。
力は弟子たちのものだけではなかった。今日の信者一人ひとりにあるものと同じである。
イエスが告げられた言葉は、今私達に与えられている言葉である。私達に聖霊を与えてくださったのは、イエスのためにイエスを証しする、証人となるため。
何故わたしたちのところでこの力が働くことを観ることが、あまりないのだろうか。その理由の一つは、信仰に関わること。私達の信仰は弱い。
私達は人々のために祈る、祈りが、神に値しないと思っているから。あるいは祈りに対する答えがないことで、愚か者のように思われることが怖いから。私達が祈るとき、悪い動機で求めるから。
聖霊の力が表されるのは、神の愛を示すこと。それだけ。
イエスを信じているのか、いないのかに関わらず、神はあなたを愛している。イエスはその力が与えられているのを待つように言われた。その力はペンテコステの日に降りてきた。ペテロが福音をこの世に述べ伝えて、神の国へと招いた。その日3000人が信じて救われた。
今日わたしは、同じ聖霊の力が人々の心に触れるように祈りたいと思う。もしあなたが信じているなら、聖霊の力があなたにある。もし信じていない方でその力を受けたいと願っているなら、主を救い主として受け入れよう。
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