嘘つきが許せない、私とあなたへ
突然ですが、皆さんは嘘をつかれたことがありますか?私にはあります。そして、嘘が大嫌いです。
ただ、嘘をつくのは悪いことで、つかないのは良いことかと尋ねられれば、そうは思わないと答えます。
それはなぜか。私が知る2人の人物を例に、noteに記しておきたいと思います。
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嘘をつく人【父】
私の父は「今度の休みは遊びに行くぞ!」と、自分で決めておきながら、その日の気分で予定をキャンセルする、きまぐれ王様タイプの人でした。
*よく使う言葉→「気が変わった。」
まったく悪気なく、約束をことごとく破るため、嘘をつかれた子ども(私)の人と社会への信頼はじわじわと削られ、気づいたときには嘘の嫌いな大人になっていました。
...同じ経験を持つ方は少なくないと思います。
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嘘をつかない人【元彼S氏】
嘘をつかないことを美徳とする元彼S氏は、浮気をしたとき、すべてを打ち明けることで自分が楽になろうとする、勘違い誠実タイプの人でした。
*よく使う言葉→「嘘はつけない。」
自分を正当化しつつ、相手に不要な重荷を負わせるという点でこのタイプに敵う人はいません。「嘘をついてはいけない」という日本語の意味を深く考えるきっかけを私に与えてくれました。
...同じ経験を持つ方が少ないことを祈ります。
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極端な例かもしれませんが、皆さんにも嘘をつく・つかないという一点で善し悪しをジャッジすることの無意味さを感じ取っていただけたのではでしょうか。
今にして思えば、どちらの人も真逆の見せ方を通して私に同じことを教えてくれました。
それは...
好きなように生きれば良い♡
社会にはいろんな価値観の人がいます。私のように嘘を嫌う人もいれば、優しい嘘は必要と考える人だっています。
そしてたぶん、価値観そのものに正解はありません。
強すぎる"信頼"が人への依存を招いたり、強すぎる"正義感"がモラハラにつながるように、素晴らしいとされる価値観も過ぎれば害になることを私たちはすでに知っているからです。
嘘を嫌っても、なくそうとしないこと
とはいえ、私は嘘が変わらず嫌いです。
ただ、これからは誰かの嘘を見つけても、過去の体験やそのときの怒り・悲しみを重ね合わせるようなことはしません。
嘘つきな人と議論を交わすフリをして、相手の価値観を変えようとすることももう、やめます。(散々やって気が済んだ)
頼まれてもいない相手が嘘をつくのをやめさせようとするのは、頼まれてもいない池の水をスプーンで汲むようなもの。途方もない労力を必要とします。
そこで、私の出した結論は...
価値観の違いは埋める必要のない溝と知る。
私は、東京の知人女性が教えてくれた「愛せないものは通り過ぎなさい」という言葉をとても大切にしています。
この言葉は、自分には人との関わりの中で真似したいものだけを選び取る自由があることをいつも私に教えてくれます。
嘘をついてしまう人や嘘を許せない自分をどうにかしようとするのではなく、まずは「そんなものだ」とあきらめること。
その上でなお、変えたい自分の価値観が見つかればいくらでも変えられることを学びました。
今、嘘を嫌っている私でもいつの日か人を癒し、励まし、勇気づけられる鮮やかな嘘を知る機会があればその時はサラリと考え方を変えるかもしれません。
「愛せないものを今は、通り過ぎる。」
自分なりの生き方を見つける面白さも、ここにあるのだと思います。
今日の空でした。