ねばならないを手放すだって?!
前回の、「ねばならないを手放そう」を読んで、ねばならない、に縛られている人は意外とそう見えない、ということを思った。
分かりやすいように例をあげてみよう。
厳しい食事を制限したり激しい運動をして拒食症になる人は、痩せねばならない、に分かりやすく縛られている人だ。一方で、見た目には太っているが、痩せていない自分をひどく恥じていたり、食べることに罪悪感を感じながら、そのストレスで余計に食べてしまったり、無茶な食事制限をの反動で食べてしまい、その結果さらに深い自己嫌悪に落ちていったりする人がいる。こういう人は一見してわからないが、痩せなければならない、に縛られている人だ。
こういうタイプの「ねばならない」に縛られている人は結構いて、部屋がものすごく散らかっていて汚いけど、本当は片付けねばならない、に縛られているとか、節約しなければならない、と思っているのに無駄遣いばかりしている、とか色々ある。
どうも、○○しなければならないと思うほど動けなくなってしまったり、完璧に出来ないと全部だめだと思い込み、わざと台無しにするような行動をとったりするところが、人間にはあるようである。
ほんの数分遅刻しそうだと分かったら、約束を丸ごとすっぽかしてしまうような人に、あなたも会ったことがないだろうか。
そういう人は、いい加減で自分勝手な人だと思われやすいが、意外に真面目で気にしいだったりする。
我々の仕事と関係の深いところで言えば、不登校の子どもが、学校に行かなければ、と強く思っているのもよくあることだ。私が高校のカウンセラーをしていたとき、不登校になりたての男子生徒が、担任の先生に連れられて相談室にやってきた。親に叱られても、担任に励まされても、彼は学校に来る気が無くなってしまったのだそうだ。彼は、高校を卒業したいと思っているのに、学校に来られない、と話した。私は彼に、1日2日休んだって単位を落とすわけじゃないんだし、進級できる程度に登校してもいいんだよ。その日学校に来るかどうかは、あなたが自分で決めたらいいよ、と伝えた。彼は少し驚いた顔をしていたが、翌日から登校するようになって、相談室にはその後1.2回しか来なかった。自分で行くか行かないか決めていいと思ったら、登校するのが嫌じゃなくなったそうだ。
彼の言う通り、ねばならない、に縛られているとき、人は自分で決められないと思っている。するべきことが決められていて、自分では選べないと思っている時、動けなくなったり、逆行するようなことをしてしまうのだ。
だから、ねばならない、を手放した方がいいのは、一見そうでない、○○しなければならない、が出来てない人だったりする。いやいや、私なんて全然出来てないから、もっと頑張ってる人なら手放して楽になった方がいいけど、私は手放しちゃだめでしょ、と思った人こそが、手放したら、いいのだ。結果的にその○○が出来るようになるかもしれない。
あなたの「ねばならない」を除夜の鐘の響とともに2024年に置いていきましょうか。
(M.C)