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我慢と頑張るが一緒になっていた私が、我慢を手放していくお話

今回は「#我慢に代わる私の選択肢 」をテーマに、文章を書いていきます。

我慢

我慢の多い人生だった、と思う。

真ん中長女は、絶妙に我慢することが多い。
実家は農業もやっていたから、やっぱり我慢することが多い。
ねば、べきの思考癖があるから、それでも我慢することが多い。

ただ、こうやって我慢を振り返って、あの我慢は本当に我慢だったかな?と思うことがあります。

我慢って、本当はAがやりたいのにBにしなさいって言われたから仕方なくBを選んだみたいな、自分の意思ではないものを選ばされたってことだと思うんです。

でも私は、誰に強制されたわけでもないのに不本意だと言いながらBを選んでいた気がします。

だって、Bの方が評価されるんだもん
だって、Bの方が喜ばれるんだもん
だって、Bの方が…

本当は、私はAがしたかったのに、自分の中で何かに遠慮してBを選んでたわけで。
それは本当に我慢だったのかい?と問いかけてみれば自分が選んだ選択だった訳です。

好んで選んだのか、渋々選んだのかの違いはあるけれど、きつい言い方をすれば自業自得、優しく言い直しても自己選択。

だったら、その我慢(選択)やめてもよくない?

そう思うようになったのはお恥ずかしながら結構最近です。
そして、少しずつ我慢を手放すようにしています。
我ながら、世の中でよく言われていることを今更やっているなぁと思うけれど、これが結構楽しいんです。



自分のやりたいことをやる。

好きなものは好き


義務的にやる仕事関係の読書が増えてきたので、読みたい本を読む。
低俗と言われようと、時間の無駄と言われようと、SPA!は好きだし、ライトノベルは私の心のオアシス。
そしてゲームは私の人生。モニターの中だけの出来事というけれど、それが私には必要なコンテンツ。


好きな人を好き、嫌いな人を嫌いという。

好きな人は好き


好きな人にはちゃんとハートを飛ばして、好きです!とか応援してます!っていう。
嫌いな人は口には出さないけれど、嫌いな人としてちゃんと席を用意する。
誰にでもいいところはあると言っていた自分とさよならして、誰にでもいいところがある(だが嫌い)と思っている自分を許す。

家族の幸せは「願う」だけ。

願いは届く

家族を幸せにしようとしない。あれこれ手を回したり気を回したりしない。
幸せでありますようにと心から願うだけで、行動するのは本人に委ねる。
意外とこれは効果的で、夫は遠慮してた趣味を堂々と楽しむようになっていき、今やツーリングに勤しんでます。
夫でいけると踏んだので、子供にもそうしてる。今のところ順調。
みんなが幸せだと私も嬉しい。だが幸せになるのは自分でやってくれ。

…とまあ、こんなふうにやっています。

我慢に代わる選択肢を、今も探していますが、一つ発見するたび、一つ取り組むたびに私の心が楽になっていくのを感じます。

時々、もっと我慢しなきゃいけないんじゃないの?と心の中で囁きが聞こえます。
これは、我慢をした自分偉い、我慢した自分よく頑張った我慢を正当化してきた昔の自分なんだろうな〜と思ってます。

頑張ると我慢を一緒くたにしてきたもんなー。

これからも、我慢に代わる私の選択肢、増やしていきたいなぁと思ってます。


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