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【作家との対話】作家論放談~松本清張・森村誠一・高杉良・池井戸潤何が違うか

 前回の『水俣病の科学』はつい昨日も、私の他みこちゃん地下サロンの理系組(化学専攻と薬学専攻)の方も交えて、さらに面白い話が続きました。

 ド文系のみこちゃんは、化学式が飛び交う話についていけず(^~^)すごーい、すごーいいぃぃぃと拍手をする側に回りました(カラオケボックスで自分では歌わずにタンバリン叩いている新入社員状態です(笑))。

 みこちゃんが入れる話として、おもしろい流れも生じているので、そこをご紹介します。


この『水俣病の科学』ってなんとなく森村誠一ぽいですよね?
なんか731部隊の匂い、先生、嗅いでるでしょ!
水俣病が単独にチッソの起こした過失ではなく、
あの時代の日本の病理が必然的にチッソに憑依して起こした悲劇である。
この過失ではなく(岩波新書ではそうなる)ではなく、
時代的歴史的悲劇である所(森村誠一『悪魔の飽食』みたいな)
の匂いを嗅ぎ当てたのが、作家赤星香一郎ってこと?
「悪魔の飽食」!!! むさぼるように読んでいましたよ。
のちになって、あいつだいぶフカシコイてやがったな、となりましたけどWW


あいつ……森村誠一さん(笑)。 面白いのありますよ。
まだ『悪魔の飽食』書き切る前に、編集者がうっかり松本清張さんに
「今回はこの話は先生よりも森村さんかと思って企画持ち込みました」
って言ってしまったらしいんですよ。
そしたら、清張さんキレちゃって(笑)
「それをやるなら俺だろーなんで俺のところに持ってこないんだー」
って激怒したらしいですよ。
多分、そういうプレッシャーもあって、
多少筆を滑らせないとまずかったのかも(笑)。
ははは( ̄▽ ̄)。
おおー、左翼大好物な両先生の話は知りませんでした! その裏話、面白い!
左翼大好物な両先生 (゚0゚)なるほど、あの二人をまとめるには
そういえば良いんですね(爆)。
いかにも清張先生らしエピソードですね。 それだけ、
作家魂がギラギラしている、もあるでしょうし、いい意味でとても俗っぽくて野心家なのかな。
そうじゃないと、ほとんど一人で社会派ミステリという
新ジャンルを切り開くという驚天動地の功績は残せませんよね。 (^-^)
いやあ、みこちゃんとの会話は面白いです!
清張先生、本当にすごい人ですよね。
あと、失礼な話になりますが、コンプレックス(清張先生の場合は学歴)も
大きなエネルギーになったのではないかと思います。
家が貧しくて大学に行けなかった清張先生は、
ことあるごとに東大卒の編集者をいじめていたという話も聞きますから。
「こいつ、こんなに馬鹿なのに、なんで東大を出てんの?(でも世間から見れば東大様w)」
という思いがずっとあったのではないかと思っています(あくまで私の妄想)。
その思いが大きな原動力となって、素晴らしい作品を書き上げていったのではないかと。
ありがとうございます。
師匠に少しでも創作の刺激を感じていただくことができれば、
それが弟子の本懐であります。 (^-^)
東大編集者いじめの話はあったみたいですね。
そして、「あれはチッソの過失ではなく高度経済成長期の日本の悲劇」
さすがみこちゃん、絶対にそういった側面はありましたよ。

一時期のチッソ水俣の技術力は世界トップレベルだったそうですから。
なんにもないところからのトップレベル。
その努力はすごいと思います。 ところが水俣病が顕在化してからの隠蔽がひどかった。
もう同情の余地がないくらい。
熊大研究班の真相解明を妨げたり、
曲学阿世の徒を利用して反論させたり、ひどいもので。
でもまあ、こんなことは現代でも普通にありそうですね。
現在起こっているいろいろなことも、いずれ歴史が裁くんでしょうね。
でもやっぱり清張先生がすごいのは、それでプロレタリアート作家にならなかったことだと思えます。 これは森村誠一先生にも、清張先生をかなり小さくした感じですが、感じるところで、左翼大好物な両先生(笑)は、左翼的な安易な批判せずに
大企業や官僚組織などの腐敗を書き切ることで一矢を報いる手法をずっと貫いてる。
そして、ここが今度は両先生ともすごいと思うんですが、ややもすると読者は、権力側の人間っていいな、こんなに良い思いできるんだな、みたいな悪の魅力も感じてしまいます。 決して悪を水戸黄門の越後屋にしてないのが、小説家の技量としてすごいと思います。
そうそう
両先生とも、やはり小説家です。先生も編集委員になっていただいているみこちゃんのマガジンが「良い小説」と「いい話」を峻別しているのもそこなんですよね。
良い小説といい話はどこまで行っても違う。
でも、大抵の二流作家、そしてほとんどのアマチュア作家は良い小説を書こうとして
「いい話」を書いていることに気が付かない。
だから、いつまでたっても「小説家になろう」から抜け出せない。

両先生の資質から言うと、プロレタリアート作家になるか、社会派ミステリ書いたとしてもうっかりすると悪い人間を越後屋にしてしまう。
自分で気をつけていてもそういう臭いを醸し出してしまう。つまり才能のない(作家になれない)凡人はそこでいい話的な要素が混入してしまう。

ところが、両先生のはピカレスクロマン、悪漢小説としてちゃんと面白いんですよね。
やっぱり大家と言われる人の小説は違うと思えます。 そして、やっぱり両先生は小説家なんだな、とお話させていただいて改めて思いました。
みこちゃんの考察、メチャ面白いですね。
先程「こいつ」呼ばわりした森村誠一も実は大好きで、
若い頃かなりの作品を読み漁りました。
両先生ともかなり好きな作家です。
森村誠一は面白いですよね。 人間の醜悪さに関してはある面では、
松本清張よりもえぐってるかなと思います。
特に大企業のエリートサラリーマンが己の意思に反して果てしもなく落ちぶれていく描写とか、(時代もあるでしょうが)清張よりも赤裸々でリアリティあるかななんて思えます。

おなじ大企業のエリートサラリーマンが落ちぶれるにしても高杉良なんかとはわけが違って、
もう果てしなく人間として堕ちていく。 ( U_U)

 同じ経済小説でもまったく違う(^~^)


 ここで、シンクロ事件が起きました!

高杉良も池井戸潤も、サラリーマン人生没落しますけど、人間として堕ちないですよね。
そこが、みこちゃんは物足りないのかも。
私が編集者だとしても、高杉良にも池井戸潤にも「731部隊」の企画は持ち込みませんね。
あの二人には無理だと思います。
高杉良の小説は、悪者が出てきて主人公を落ちぶれさせる。
でも主人公は志を失わず、まっとうに生きていく。
森村の小説は、エリートがちょっとしたきっかけで落ちぶれ、あれよあれよという間に転落人生、ダメ人間(いっぱい読んだのに詳細を忘れたけど)。

 ここがネット対談の面白いところで、お互いの反応見ながらじゃなくてタイムラグがあるんですよね。上の2つの感想はまだお互い何も言っていないときに、自分のパソコンでパチパチ打っていて、リターンキー押したらほぼ同時に、まったく同じこと(森村誠一と、高杉良・池井戸潤の何が違うか)を考えていたという、ネット対談の醍醐味みたいなところです。


おっと、完全にシンクロしましたね。
まったくそのとおりだと思います。 (^▽^)ウレシイナ
どちらのほうがカタルシスを得る読者が多いのか、という問題に関しては、現代は池井戸潤さんなのでしょうね。 森村の時代と違って、世の中がイケイケドンドンじゃなくなってるから、せめて小説でスカッとしたい、みたいな読者が多いのかもしれませんね(あくまで個人の意見です(≧▽≦))。 現代で森村読むと、鬱になる人続出、みたいな……。
「現代で森村読むと、鬱になる人続出、みたいな……。」
あっはっは(^▽^)。
まったくです。
多分森村さんの時代は、仕事=人生だったと思うんですよね。
だから、仕事が壊滅すると人生もそれと連動して壊滅する。

池井戸潤さんがなぜ現代で受け入れられるかというと、仕事に打ち込んでいるけど、どの主人公も仕事=人生じゃない。 仕事失っても、家庭であったり、同志であったり何かが残ります。 そして、その残ったものこそ生きていく上で尊いのだっていうパターンになってます。

 さて。本題の池井戸潤の「倍返し」がなぜ、あのように受け入れられたか、それは、ある理由があったからです。
 この部分も実は、師弟で完全シンクロ事件が起きまして、その理由はあれだったんだな……という結末になりました。

 ということで、ここから先はメンバーシップ特典となりますのでご了承下さい。核心部分ではありますが、文章量はそんなに多くありませんので、すでにメンバーシップの方以外は文章量を確認の上購入してくださいね!
(^▽^)/

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