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もう一度、村上宗隆選手にどれだけ救われたか語ります

本日、2月2日はヤクルトスワローズ副主将村上宗隆選手の25歳のお誕生日!!!

おめでたい!!!!

私は以下の記事でも書いた通り、村上選手に人生を救われた人間の1人。
もう一度、この記事について。
文章力もだいぶとアップしたと思うので詳しく書きたいと思います。

私は12歳のときから、うつ病。
そして、社会不安障害という、対人恐怖症のような病気も患っている。
引きこもった当時、私は17歳で、自分の部屋にこもって、外に出るのは週1の病院のみ。
食べるものは、部屋にあるお菓子。
そのせいで、肌はがさがさ。
身長166センチに対し、40キロの体重。

全日制の高校から通信制高校への転入が決まった頃。
電車にも乗れず、病院に車で送り迎えしてもらっていた私は、高校が変わったからといって電車には乗れないままで、きっと高校の卒業は無理だよなぁ、と漠然と考えてた。

そんな夜にたまたま点けたテレビに映っていた、ホームランが一際輝いていて、

うわぁぁぁぁ!!!!

ってなった。
誰!?誰のホームラン!?と1人暗い部屋で騒ぎ、見つけた名前は村上宗隆。

第一印象は、すごいホームラン打つ人。
名前かっこいいなぁ。
ぐらい。

でも、調べると調べるだけカッコよくて、輝いていて、ツイッター、YouTubeに投稿されてるプレー集を見まくった。
打席に立っているときは、鋭い目がカッコよくて、笑うと、クシャってなって完全に私の心は射抜かれた。
そして、山田哲人選手との絡みも私の心を完璧に射抜いた。
野球に対して、すごく真面目で、一心に打ち込む姿は、すごくかっこよくて、私もこんな人になりたい!と思うようになった。

絶対、生で観る!!

そう心に誓い、その日から電車に乗る練習を繰り返した。
途中からつば九郎の人形を購入し、つば九郎を握りしめて電車に乗った。
つば九郎が仲間になったことが、すごく心強かった。
ゲームでいうパーティーにつば九郎が加わって、背中を押してくれた気がした。

それから、頑張って何度も何度も電車に乗って、初めて通信制高校に行けたとき、私は到着した高校で、泣いた。
つば九郎を握りしめながら泣いた。

それから、1人で学校に行ける日が増えていって、学校から帰ると、村上選手、ヤクルトのプレー、つば九郎を見るのがルーティーンになった

電車の中で何度も泣いて、何度も途中で降りて、それでも、学校に辿り着いて。

家に帰ると、心の中でハイタッチした。

高校を卒業したとき、嬉しくて、村上選手とつば九郎、スワローズに心の底から感謝した。

今も、うつ病で社会不安障害は治ってないけれど、それでも村上選手に出会う前に比べると生きやすくなった。

私は今、ヤクルトスワローズの試合を観たくて、バイトを頑張っている。
私は、村上選手のグッズを持っていない。
どれがいいのか、お値段も少々お高めなので、すごく迷う。
ここまで読んで下さった方、よろしければ村上選手の初グッズ何がいいか、教えて下さい。

ここまで、読んで下さってありがとうございました。

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鵜飼恵
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