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違和感を感じる機会は大切

毎朝、BSで新旧の朝ドラ2本を見ています。
今放映されているのはこちらです。

2000年度に放映されていたという「オードリー」、ものすごく時代のギャップを感じることが多いです。
例を挙げると
・大人が自分たちの思い通りに子供を操ろうとする
・子供のためでなく親の見栄が優先されている
・新人はいじめられて当たり前の文化
・声の大きい強い人にみんなへつらう
・気に食わないと大声、暴力、ものを壊す
・偉くなることをいばっていい、わがままを言っていいと勘違いしている(虚勢を張らないといられない)
・嫌なことがあったらお酒と悪口で誤魔化す
・身分、育ちの違いからくる隔絶
・差別意識
見ていて毎朝、嫌な気持ちになります。
それでも見続けているんですが。
もちろん、ドラマだから極端に描かれているとは思います。
でも、あの時代の人はこれに違和感を、今ほど感じずに見ていられたんだろうな、とその時代を想像できます。
ドラマを見ることで、今の私の価値観がその頃と大きく異なることに気づかされます。


一方、現在の朝ドラ「虎に翼」。
登場人物の女性たちの考え方や振る舞いが今の時代から見てもとても新鮮。
男尊女卑が当たり前、そもそも女性の権利さえ認められていなかった時代に、その違和感を「スン」という言葉で表しつつ、自分は「はて?」とフラットに疑問を投げかける姿。
今の時代から見ても、新しいな、と感じる考え方をもっていた女性たち。
男性目線では意識しづらい女性の生きづらさにも焦点を当て、見る人が考える余白を作る構成。
これを見ることで、時代を前に進める意識変革につながるんじゃないかと見ていてわくわくする毎日です。


「オードリー」に感じるギャップ、今の時代でもまだたくさん残っています。
古い価値観は、それを信じている人から見ると当たり前で、全く違和感を持感じない、ということが往々にしてあります。
同じ価値観の人たちのコミュニティーの中で暮らしていると、なぜそれがおかしいのかを考える機会もないのだと思います。


先日放映された地方から女性がいなくなるという特集。

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4915/


こちらについて、私が聞いているvoicyでも色々な方が発信しています。

衝撃の事実満載ですが、環境が違うと全く知る機会がなかったことです。


「全く知る機会がない」ということについて、それこそ大きな価値観の転換の必要性を感じた放送がこちらです。

私は無意識に、受動より能動の方が好ましいと思い込んでいたのですが、情報が能動に偏る恐ろしさにこの発信で気づかされました。
能動では自分の興味の範囲にしか知識が広がらないけれど、受動的に色々な情報を取り入れるメディアを近くに置くことで、興味や知識を広げられる、そこから深掘りするのには能動的に情報を取りにいけばいい、という話をされていました。


私は新聞をとっていて、その記事や投稿に違和感を抱くことが時々あるのですが、この違和感も大切なことだ、ということを再認識しました。


井の中の蛙でいないかどうかを確認できる機会をどうやって作るか考えること、変化の早い時代を生きていくためには大切なことだと、認識を新たにできました。

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