見出し画像

3.11と自分と東京ディズニーリゾート。


2011年3月11日、14時46分。

あの日」を経験した人にとっては、忘れたくても忘れられない日。

たくさんの大切なものが無くなり、傷つき、そして今までに経験した事のない大きな記憶が刻まれたあの日。

大きな悲しみと絶望感しかなかった時。人はどんな所に心の拠り所を求めるんだろう。

自分の大切な人、家族、友人、恋人。そして本名すら知らないネットの中のたくさんの繋がりの人たち。もちろん大きな支えであり、最初に気になる存在。

しかし、心に大きく穴が空いた時、大切な人たち以外に、何が自分の中で大きな心の拠り所となるのかな…なんて事もその日は考えていた。

画像1

そして自分の中で大切な人の次に考えた事。

それは言い過ぎじゃないの?
たかが遊園地でしょ?

…きっと「それ」を言ったら、そんな事を言われるだろうな、とその時は思い、言葉に出す事自体が不謹慎である事は充分理解していた。

ただ、あの日の後、一通り自分の周りの状況が確認できた後、まず浮かんだのは「そこ」でした。

画像2

もちろん物事には優先順位がある。

多くの人、物が通常の状態に戻るために、やるべき事は山ほどある。

…ただ、「自分の心」が元に戻るためには何が必要なのか。

浮き足立って落ち着かない心を落ち着かせるためには、やっぱり自分の中では必要なものは「癒し」だった。

それは流石に嘘でしょ?
さすがに大げさ過ぎない?

そう思われるかもしれない。でも、私の中で大切な人達の次に大きかった存在は、「東京ディズニーリゾート」でした。

画像3

「自分がずっと深く関わっているからそんな事を言うんでしょう?」

多分きっとそう思われる。

心の中では、「今日はそんな日だから、感動ネタにしてしまおう」、「せっかく始めたnoteだから、ちょっと意識高い事を書いてやろう」…。

ひょっとしたら、そんな疾しい気持ちがあるのかもしれない。

…ただ、冷静に、その時の自分を思い出すと、やはりその時感じていたのは、パークの現状、そして今後の姿だった。

画像8

悲惨な状況を伝えるテレビやメディアの映像。その中で目に焼き付けられたのは、これまで夢や空想の世界だった、日本を代表するテーマパークの「現実」の姿だった。

日本中でそれどころではない大騒ぎの中、生活基盤を立て直さなくてはならない大切な時に、そちらばかりに目が向いてしまう自分。

そんな考え方ばかり浮かんでいる時点で、自分の中では「大きな罪悪感」があった。

…しかし、時が経ち、少しずつ生活が戻り、厳しい状況の中ながらも、2011年4月15日の開園記念日に再開した東京ディズニーランド。

再開の日。その場にいた私は、涙こそ出なかったものの、大きな悲壮感や絶望感の中で、「心の中に明るい光が差し込む事」を確かに実感していた。

画像5

(本当はここで号泣した、と書きたいんですが、意外と泣けない冷たい性格なのが悔やまれるんですよ(笑))

…その時、その場で感じたのは、「自分の正直な気持ちは間違っていなかったんだ」という所。

…人の心の拠り所って本当にたくさんあると思う。

それが大切な人はもちろん、色々な趣味だったり、スポーツや映画やアニメや旅行、そしてもちろん仕事も含めて、それぞれの気持ちの中で「大切なものの度合い」って人によって、全く異なる。

世間一般的には、なんとなく、声を出して言う事が、ちょっと恥ずかしいと思うし、何を言っているの?と思われるかもしれませんが、

私って、やっぱり東京ディズニーリゾートが大好きなんですよね。

画像6

…ブログやTwitterなどでは時々文句を言ったり、毒を吐いたりしている自分。

なんだか小学生男子が、好きな女の子にちょっかい出してしまうような、そんな気持ちなのかもしれません(笑)

他にやる事もっとあるでしょ?
ディズニーが生きがい、ってウケるw

…そう思われるかもしれません。それはその人の価値観ですから、否定する事ではありません。

でも、私にとって大切な「東京ディズニーリゾート」。

なんだかそれをはっきり言う事が恥ずかしく、どこかみっともないような羞恥心の様な気持ちも正直ありました。

画像7

…しかし、あの日から10年。

様々な「もの」、「こと」の考え方が変化し、状況は大きく変化しました。

そんな中だからこそ改めて感じる、正直な自分の気持ち。

今までもそんな気持ちでいましたし、これからもそんな気持ちで居続けることができればいいな、と思っています。

…あの日から10年。大きな節目な時だからこそ改めて感じる正直な気持ち。

私、大好きなんです。
東京ディズニーリゾートのこと。

画像8


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?