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【音楽とわたし】一羽の鳥をめぐるドラマティックな合唱曲

こんばんは。みきたにし☆です。

今日もお疲れ様でした。

昨日に引き続き、中学時代の合唱曲について。

「一羽の鳥」

中学の音楽会において、わたしがいたクラスは、毎年、よい歌かつチャレンジングな歌が選ばれたように記憶しています。

この「一羽の鳥」も、かなり良い、しかもチャレンジングな歌でした。

まず、歌詞にストーリー性がありました。たとえば、森本レオさんあたりが音読したら落涙を呼びそうです。

そして「音楽記号」の宝庫です。(何その表現)

ピアニッシモからフォルテシシモぐらいまで、あちこちに散りばめられていたんじゃないでしょうか。


とにかく、表現力が求められました。


はじまりはじまり。

渡り鳥が南の島へ帰っていく

渡り鳥は帰ってゆきました 野を渡り山並みを越えて 海の向こうの南の島へ

まず、ゆったりとした歌い出しからスタートです。

渡り鳥が、空の高いところを、矢印のような隊列をなして飛んでいく様子。

目に浮かぶようです。


これから鳥たちは協力しあって、障害をのりこえながら、長い旅を続けるのでしょう。ボン・ボヤージュ!

一転。心がざわつく事件が発生

ちょっと「ためてから」次のフレーズに移ります。訴えかけるように。

一羽

え?何?何があったの!?

帰りそびれた鳥がいて

うそ!やだやだ!

枯草の中に小さく丸く座っています(座っています)

「枯草の中に小さく丸く」が何もかも全てを語っています。

心細くて仕方がありません。「枯草」の先に待っているのは「凍える冬」。

※このあたりから、同じ歌詞を、異なるパートが追いかけっこをするみたいに歌うフレーズが多くなっていきます。

それは、まるで、感情の波状攻撃。悲しみや不安が、たたみかけてきます。

小鳥の失敗・つらい状況

このあたりになると、歌詞の記憶が曖昧になってきます。ただ覚えているのは、

ハマナスの花に 見とれていたために

初めての「渡り」に胸躍らせていた若い鳥。見るもの触れるもの、すべてが珍しく、心奪われる体験だったに違いありません。

それが、激しい悲しみや後悔をうむことになるとは思ってもいませんでした。


ここから、たたみかけていきます。

群れから(群れから) 離れて(離れて) 群れから(群れから) 離れて(離れて) 

()がうるさい感じですが、こんなふうに歌っていたように記憶しています。

とにかく、たたみかけてくるのです。

渡り鳥にとって、群れからはぐれることは「致命的」。ことの重大さが、ひしひしと伝わってきます。

この後、全パートが声をそろえて歌います。

群れから離れてしまった 離れてしまった……とり

最後の「とり」も、ただ「とり」と言うのではなく、「と り」と、置いてくる感じに歌うのです。この直後に入るピアノのフレーズが涙を誘います。

なんというドラマティックな表現なのでしょう。

小鳥よ羽ばたけ

ただ何もせず、凍える冬を待っていてはいけない。

ここから、優しく、力強く、全パートが一丸となって鳥を励ましていきます。

鳥よ 鳥よ 勇気を出して 鳥よ 鳥よ 翼を広げて

感動的です。今でもこのフレーズは大好きで、思わずジンと来ます。

感動のグランドフィナーレ

枯草の中にうずくまったまま、未熟な小鳥は眠りかけます。

眠りかけた鳥に 聞こえてくる

ここで一筋の希望の光。(と思えない人は、「フランダースの犬」の最終回の見過ぎです)

遠い空から 遠い空から 聞こえてくる お母さん鳥の声 お母さん鳥の声

ここも「たたみかけ」の「感動の波状攻撃」。

最後に繰り返される「お母さん鳥の声」という詞。

このふたつは、歌い方が全く異なるのです。

一回目は、やや感情を抑え気味にして「おかあさんどりのこえ~」で、二回目はもう、これでもかというドラマティックさをもって

おかあさん どりの こーーーえーーーーーーーーー!

なんです。なんせ、この歌詞でこの歌は終わりですから。


そして余韻。


いい音楽って、つくづく「余韻」もいいですよね。

これが「一羽の鳥」です

合唱ってスゴイと改めて思う歌です。ぜひ聴いてみてください。合唱でしか表現できないものがあるんだなと感動しました。

そして合唱の伴奏につきもののピアノ。

この歌において、ピアノと合唱のかけあいが感動を増幅させます。

感想その他

人間でないものを人間に見立てる「擬人化」という行為がありますが、この歌は、人間を渡り鳥に見立てた「擬鳥化」ではないかと思っています。

渡り鳥が群れをなして飛ぶシーンで、その中の一羽が何かに気を取られて群れからはぐれる。渡り鳥が実際にこんな失態をおかすとは思えません。彼らは本能的に渡っているわけですから。

このあたりについては、「簡単に注意力がそがれやすく、小さなしくじりを繰り返しがちな若者」の姿を、鳥に投影したものと思います。

哀しみの底で眠りにつこうとした時、迎えに来てくれる温かい存在がある。このあたりも、当時、若者であった自分たちに向けられたメッセージのように思えます。

「勇気を出して」「翼を広げて」という詩も、歌っている自分たちへのメッセージのようでもあります。


改めて「合唱」は素晴らしい体験だなと気が付かされました。


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