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積読書日記 #2 Mar-May.2024

春の読書記録を下書きに保存したまま、気づけば最高気温は35度。
本を積んでいる時間よりも、読書記録を溜めている時間の方が長かったら積読書の名が廃ると思って、過去の記憶を引きずり出してなんとか書いた、3月から5月の積読書日記。


『グリーン家殺人事件』

ニューヨークのグリーン屋敷で勃発する怪事件に挑む探偵ファイロ・ヴァンス。鬼気迫るストーリーと恐るべき真相で『僧正殺人事件』と並び称される不朽の名作が、新訳で登場! 解説=巽昌章

https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488103217

愛してやまない創元推理文庫からヴァン・ダインの新訳版が出ていたので、『ベンスン殺人事件』『僧正殺人事件』『グリーン家殺人事件』と3冊まとめ買いしていたもの。(なぜか2巻目の『カナリア殺人事件』だけ買っていなかった)

創元推理文庫はよく新訳だ〜新版だ〜といって、古典的名著をいい感じの装丁で出し直すのだけれど、毎回のようにまんまと買ってしまう。「ブラウン神父」シリーズも、「黒後家蜘蛛の会」シリーズも、創元推理文庫の新版を買って読んで大好きになった。ということで大体本屋に行くと創元推理文庫の棚の前をうろうろして、いい感じの装丁の新版を探すことにしている。

何も考えずに『グリーン家殺人事件』から読み始めてしまったが、探偵ファイロ・ヴァンスのシリーズ1作目は『ベンスン殺人事件』の方だった。事件そのものは1冊完結なので問題はなし。推理小説的にこの人怪しいよなあと思っていた人が普通に犯人だったので、結末に驚きはあまりなかった。

ちなみに、わたしが推理小説を好きなのは、人物描写が異様に丁寧だから。犯人であるかもしれない登場人物たちなので、全員なんとなく胡散くさくて癖がある。そんな人間たちを、微に入り細に入り、美しい顔立ちだが目つきがどうのこうのとか、立派な風采だが目がきょときょとと落ち着かないだとか、痩せぎすで頼りなさそうだが座っている姿勢にだけは威厳があるだとかをひたすら描写していく。そこでプラスっぽく書かれることが必ずしも美点にならなかったり、欠点っぽく指摘されたところがかえって一番の魅力になっていたりもするのがおもしろい。詳細な情報をもとに、登場人物たちを自分の中に描いていく過程が、結構好きなのかもしれない。

そういう意味で言うと、語り手のヴァン・ダインほぼ(全く?)セリフないし、描写もほぼ(全く?)ないし、形ある人間と思えないほどの影の薄さだったな。


『私の生活改善運動』

日常において、とても些細なことだけれど、気にかかっていること。タオルやシーツ、ゴミ箱、セーター、靴、本棚……。これでいいやで選んできたもの、でも本当は好きじゃないもの。それらが実は、「私」をないがしろにしてきた。淀んだ水路の小石を拾うように、幸せに生活していくための具体的な行動をとっていく。やがて、澄んだ水が田に満ちていく。――ひとりよがりの贅沢ではない。それは、ひとの日常、ひとの営みが軽視される日々にあらがう、意地なのだ。それが“私”の「生活改善運動」である。

https://3rinsha.co.jp/book/9784910954004/

わたしが勝手に〈暮らし系〉と名付けて熱愛しているジャンルがある。要は衣食住に関わるエッセイのことなのだが、この類の本は著者との相性が非常に大事だと思っていて、同じような内容が書いてあっても、著者の書きっぷりによっては(わたしにとって)全く愛せない本になることもある。

『私の生活改善運動』は、本の佇まいも含めてとても好みで、積むこともなくすぐに手をつけ、時間をかけて読んだ。自分のことを蔑ろにしてきた著者が、自分の欲望を丁寧に掬い上げて、きちんとそれに向き合い、少しずつ形にしていく。戸惑いながらもひたむきに「生活改善運動」に打ち込む著者が眩しかった。

「素敵な暮らし」は、記号としての「素敵なモノ」を買えば手に入れられるわけではない。素敵に見える暮らしをしている人たちは、みんなしっかりとわがままなんだと思う。わがままに生きるというのは、その欲求が本当に自分由来のものなのかを確かめ、それをインスタントな代替品で満たそうとせず、自分がきちんと納得するまで選び抜くということで、かなりのエネルギーを必要とする。タイパやコスパに流されず、自分に軸足を置くための力をもらいたくて、いつも〈暮らし系〉を読んでいる。


『春にして君を離れ』

優しい夫、よき子供に恵まれ、女は理想の家庭を築き上げたことに満ち足りていた。が、娘の病気見舞いを終えてバクダードからイギリスへ帰る途中で出会った友人との会話から、それまでの親子関係、夫婦の愛情に疑問を抱きはじめる……女の愛の迷いを冷たく見すえ、繊細かつ流麗に描いたロマンチック・サスペンス

https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/320081.html

クリスティが書いた、どの推理小説よりも怖かった。

主人公の不安が自分の方にじわじわと侵食してきた挙句、最後の場面だけ夫目線になって交わされるやりとり…震え上がった。クリスティの人物描写は巧みだなあ、と読むたびに思っているけれど、今回の心理描写は群を抜いていた気がする。

あまりにも怖くて、読み終えてすぐ夫の部屋に行って概要を説明し、「わたしってこんなふうじゃないよね???????」と確認してしまった。それくらい怖かったです。はい。


『ここはすべての夜明けまえ』

2123年10月1日、九州の山奥の小さな家に1人住む、おしゃべりが大好きな「わたし」は、これまでの人生と家族について振り返るため、自己流で家族史を書き始める。それは約100年前、身体が永遠に老化しなくなる手術を受けるときに提案されたことだった。

https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000015764/

なんとなく『クララとお日さま』に手ざわりの似た本だなと思った。人間たちの情熱や喜び、不安、恐れの中で、台風の目の中にいるように超然としている主人公たち。それでも、淡々とした語りの中に、ちらちらと不穏な何かが見え隠れするところ。展開や結末よりも、その中で語られる言葉やフレーズに作品の核があるタイプの小説。

物語の中では、「わたし」が父親から性的虐待を受けていたことが仄めかされる。年の離れた兄や姉は、うっすらと気づきながらも、それを止めることはしなかった。眠ることや食べることを受け付けられなくなった彼女は、融合手術を受け不老不死の体を手に入れる前から、感じることをやめ、考えることをやめ、受け止めることをやめていたのではないかと思う。

「わたし」の最後の決断は、誰かに支配され、誰かを支配してきた関係性から抜け出す一歩に見えた。関係性や役割に閉じ込めて見るのではなく、相手そのものを、そして自分そのものを丸ごと見つめることが、生きていく上での土台になる。不老不死ではないわたしたちは、彼女よりも早く、そのことに気づかないといけない。


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