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感無量な名店の味、たどり着くまでの葛藤とその道行。

その日も、例外なく何日も続く猛暑日だった。
暑い。
本当に今年の夏は暑い。
出来ることならば日中の外出は差し控えたいところではあるが、社会人として、働く日本人としては避けて通ることはできない。
13時からの打ち合わせに備えて前日の準備は怠ってはいない。
なので、私が当日の朝にやることといえば・・・
必要なものは持ったか?
想定される打ち合わせ内容に対する資料は出せるようになっているか?
それに加えて重要なのは、

昼食はどうするか?

なのだ。
1年で365回しか機会の訪れない昼食は、私にとってなかなかの重要なイベント。
自宅や事務所にいるタイミングでの昼食だって、結構朝から悩むのだ。
なのにこの日は丁度昼食時の後に打ち合わせ。
ということは、私は通常とは違う場所で昼食をとる機会があるということなのだ。
しかし、13時から始まる打ち合わせということは、できれば先方のビルの前などに12時50分には到着して、時間調整したいところ。
さて、何を食べようか・・・
実は私の脳裏には、数日前から
「時間に余裕があれば、本当に久々にあの名店に足を運びたい」
という願望があった。
ただ、今の時間は11時。
色々打ち合わせの準備をして急ぎ出発たとしても、打ち合わせ場所からは少し距離のあるあの名店に行くのは危険な時間。
昼食ピークタイムに企業戦士の皆様とランチ戦争に突入してしまう危険性も相まって、もしも行列していたらと考えると、なかなかの賭けになる。
行ってしまって行列になっていて、打ち合わせに間に合わないとなると、これは全く本末転倒だし、付近には店が少ないので代替案がない。
というか、気持ちの上で立て直せなくなってしまう。
今日は諦めるか・・・
そう思った矢先、先方から
「打ち合わせ開始時間を13時半に変更で」
という連絡が。
な、な、なんと!!
それならば万が一行列ができていても間に合うのではないか!!!

ということで、急いで支度をして外へ出て駅へ向かう。
たった5分程度の駅までの道のりでも、既に汗ばんでしまうほどの暑さ。
電車は涼しいが、降りてからの距離を考えると、想像しただけでも汗が出る。
降りる。
出口まで歩く。
何度も通った名店までの道行。シミュレーションは完璧だ。
しまった!!!出口が遠い場所で出てしまった!!!
そうだ、私は丸の内線できたから、あの近くの出口には出られないのか・・・?
仕方ない、こうなったら歩こう。
時刻は午前11時58分。
照りつける日差しを避けるために日傘をさすが、今日は思いの外、風が強くて日傘がひっくり返りそうになる。
傘を畳んでしまおうか悩みながらも歩き始める私。
緩やかに、そしてずっと続く上り坂。
出口を出てから上り坂、あの角を曲がってからも上り坂。
知ってるんだ、このあたりは坂道が多いってことを。
めげそうになる。
暑さと風と、上り坂。
36度の東京で、こんな過酷な状況に立ち向かって昼食を食べに行く私は、無謀でしかない。
途中から、他のものを選べばよかった。
打ち合わせ場所の近所に、美味しいとんかつ屋さんも、天丼屋さんもあったじゃないか。
なんなら友人がやってる店だってある。
なんでそこに行こうという想いに至らなかったのだろう・・・
自分で自分を責めながら、続く上り坂を歩いていく。
途中で日傘は諦める。
見えてくる名店の入ったビル。
4人組と1人がビルに入っていくのが見える。
時間は12時を回っている。
嗚呼、もしかすると既に行列なのかも。
畳んだ傘は肩から下げたトートバッグに無造作に突っ込み、少し早足になる。
エレベーターホールで、別の数名を発見。
ライバルは多い・・・
エレベーターに乗り込むと、当然、店の入っている6Fが押された状態。
最後に乗り込んだ私は最初に降りることになるのだが、こういうところでルール違反はいけないと思っている。なので、6F到着時には先に降りても後ろの皆さんを先に店に入っていただこうと心に決める。
5Fで一人降りた。
エレベーターの中で、この場所から打ち合わせ場所までの所要時間を確認する。
“20分”
ん??え???結構かかるのね。
あ、電車乗った方がいいくらいの感じなの??
やばい、これは呑気にしている場合ではないかも。
行列できてたら、どのくらい待つか聞いて、名誉ある撤退も検討すべきか・・・
6Fで開く扉。
先頭で降りる私は、当然のように後ろの皆さんを先に見送る。
その後ろを続く私。

「いらっしゃいませ、お名前をお願いいたします」
レセプションで、前の皆さんがそう伝えられている。
あれ?予約しないと入れないレベル!?!?
世の中の状況が色々変わって、そういうお店になっちゃったのかな・・・
心配が募る。
名前を告げる前の方。
「承知しました。中央にお進みください」
もしや予約してた人なのか・・・
と思った矢先に私の番が来た。
「いらっしゃいませ、お名前をお願いいたします」
ドキドキしながら名前を告げると、同じように中央へ促された。
そこには先ほどの皆さんの他に、ウェイティングスペースに8名程度座っている。
店内には既に多くの人。
これはどういう感じか・・・どのくらい待てば良いものか・・・
そんなことを考えていたところ、私の前にいたみなさんがご案内されていく。
あれ?このスペースにいる8名くらいのみなさんは、どういう感じか・・・
涼しいはずの店内なのに、どんどん汗が出てくる私。
忙しく動くお店の皆様。
嗚呼、次に来た人には時間を聞いてみよう・・・と思った矢先に、呼ばれた。
そう、私の名前。
名前を呼ばれてあんなに嬉しかったのは久しぶりだ。
ここにくるまでに挫折もしそうだった。
本当にめげそうだった。
でも、諦めなくてよかった。
私の名前、呼ばれたよ・・・
この感動、この喜び。

私は毎日、こんな感じで昼食、時には夕食もこのくらいドラマチックに考えている。
お腹を満たせば何でも良い人もいるし、その人を責める気はない。
けれど、何でも良いようなことだって自分の気持ち次第で一大イベントになる。
そんなことを心の片隅に留めておくと、毎日楽しめるのではないかな、と思っているのが私という人間なのです。


愛してやまない四川飯店の麻婆豆腐。
特段、気を衒ったことは何もないけれど、本当に滋味深い味わい。

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