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バイリンガル1歳7ヶ月 ー 子どもの言語習得のふしぎ…!

娘が1歳7ヶ月を迎えた。

以前、1歳6ヶ月の発語記録についてのNoteを書いたのだけど、

今日は、その言語習得のなかで、わたしが「おもしろい…!一体なにが起こっているんだろう!?!?」と思っている発見を記録してみる…!

*ちなみに、娘の言語習得環境は、こんな感じ…!

▶︎週に3回保育園に行っていて、3日間は完全に英語環境。
▶︎週に2日はワンオペで日本語環境。
▶︎家で話しかける時は、わたしは日本語、旦那は英語。わたしと旦那の会話は英語。

*わたしは専門家というわけではないので、ただの観察記録です…!「これはこういうことなのかな?」っていう推測は書いてますが、個人の主観なのでご了承ください…!!!



まず、子どもが、言葉をどう定義して、使っているのかについて。

もちろん、子どもが言葉を発しているときは、何かしらの意味を伝えるために発せられているわけなのだけど。

例えば子どもに言葉を教えるときに、「”ねこ"は”Cat” だよ!」みたいに翻訳して教えるわけにはいかないし、「”ねこ”っていうのは、小さい四足歩行の動物で、耳は三角形みたいな形をしていて、ひげがあって、”にゃ〜”って鳴く生き物だよ!」と教えるわけにもいかない。

じゃあ、子どもは、言葉をどう定義して、使っているのか。

何回も繰り返し聞くうちに、何かしらの言葉の”概念”を掴んで言葉を習得しているのだと思うのだけど、そのふしぎについて、書いてみる…!

固有名詞のふしぎ ー ”Pa”と”じい”

まずは固有名詞(ここでは、特に人の名前)について、わたしが「おもしろいなあ…!」と思うこと。

娘は、旦那のお父さんを、”Pa”と呼ぶ。(旦那のお父さん側の家系がオランダにルーツを持っていて、オランダ語の”祖父”を意味する”Opa”から由来している。)

そして、わたしの父のことを、”じい”と呼ぶ。(説明するまでもないけど、”おじいさん”、”じいじ”、からくる言葉…!)

わたしたちは、オーストラリアに住んでいて、日本の家族とは頻繁には会えないけど、娘は私の母と父のことは認識していて、
今年の夏、娘が1歳4ヶ月に両親がオーストラリアに来た際、すぐに”じい”という言葉を覚えて発するようになり、滞在期間中はもちろん、その後ビデオ電話をする際も、父の顔を見ては”じい!じい!”と呼ぶようになった。

”Pa”と”じい”。

どちらも娘が、祖父に向かって呼びかける言葉なのだけど、ひとつ、違いがある。

なんと娘は、「歳をとった中年以降の男の人」のことをみんな”じい”と呼ぶようになったのだ…!

おもしろい、おもしろすぎる。

街ゆく人はみんな、”じい”になってしまった。

おもしろいのは、”Pa”と呼ぶのは、旦那の父だけで、固有名詞として”Pa”を捉えていること。

一方で、”じい”は、”わたしの父”だけを意味していなくて、一般名詞化されているということ。

ちなみに、旦那の父はいわゆる”白人(欧米系)”の見た目で、わたしの父は生粋の日本人。

「見た目」という特徴だけで捉えると、街ゆく人のほとんどは、”Pa”に見えてしまいそうなはずなのに、ここでは「白人」と「アジア人」という特徴ではなく、「歳をとった中年以降の男の人」がみんな「じい」になっていること。

なんなら”トム・クルーズ”を見ても”じい!じい!”という娘、おもしろすぎる。

ちなみになのだけど、同じことが、妹にも起こっていて。

妹とはよくビデオ電話をするし、娘が1歳4ヶ月のときにオーストラリアにも来てくれているから、娘は妹のことを認識しているのだけど、

これもまた、”じい”と同じで、「若い”アジア人っぽい”女の人」を見るとみんな妹の名前を呼ぶようになってしまった…!」

ここでおもしろいのは、もちろんわたしも”アジア人っぽい”見た目であるけど、他の人のことを”ママ”とは言わないこと。
そして、”じい”は国籍問わず、「歳をとった中年以降の男の人」と定義しているのに対して、妹の名前を呼ぶのは、「若い”アジア人っぽい”女の人」だけであること。

おもしろすぎないか…!?!?

一体なにが起こっているのか。

考えられることは、その言葉を使っている”頻度”

「ママ」や「ダダ」はほぼ毎日、「Pa」もかなりの頻度で定期的に使っているから、娘のなかで、それが「特徴」というよりも「固有名詞」として捉えられているということ。

一方で、「じい」や妹の名前は、会う頻度も少ないがため、使う頻度も少ない。だから、固有名詞としてインプットされていないんじゃないか、ということ。

だから、「特徴」で言葉を捉えている。

「じい」を国籍問わず使っているように見えるのは、おそらく年齢が上がるにつれて、国籍的な特徴の差がやや少なくなってくるからかな?と思う。

例えば、50歳以降になると、こっちの欧米系の人も、髪は黒っぽいか白っぽい人、薄毛で禿げている人とか、そういう人が多くなって、そこまで「アジア人」とのわかりやすい見た目の差がなくなる。

一方で、「若い女の人」でいうと、ブロンドの髪の人とか、メイクもあってか、見た目的な特徴の差がやや大きくなるため、妹の名前を呼ぶのは「若い”アジア人っぽい”見た目」の人に限るんじゃないかな、と思う。

とにかく、娘の世界には、街中のいたるところに、時にはテレビや雑誌にも、”じい”がいて、妹がいるのが、おもしろい。

“じい”に認定された雑誌の表紙のおじさん。(もちろん、実際のじいではない。)

ちなみにだけど、娘はわたしの母のことはどうしても”ばあ”と呼べなくて。

わからないけど、”ばあ”という言葉は、”いないいない、ばあ!”とか、あやすときにすでによく使ってしまっている言葉だから、すでに娘の中では違う意味でインプットされてしまっていて、”ばあば” ”おばあさん” という意味では入ってきにくいのかな、と思う…!

一般名詞のふしぎ ー ”ねこ”と”わんわん”


今度は一般名詞についてのふしぎ。

子どもがまず話し始める言葉トップ10に入るであろう”ねこ”と”いぬ”について。

子も、ねこのことは”かこ”、犬のことは”わんわん”と呼ぶのだけれど、わたしの中では、「この2つの生き物を見分けるの、ムズくないか!?」と思っていて。

だって、どう考えても、似ている…!!

見た目だけでいうと、「小さい四足歩行の動物で、耳があって、ひげがある生き物」であって、特徴にあまり大差がないように思える。

もちろん、鳴き声は違うけど、娘は、別に鳴き声を聞かなくても、100発100中で”ねこ”と”いぬ”を別の生き物として認識できていて。

一体、”ねこ”と”いぬ”をどういう概念で捉えているんだろう…!?とふしぎに思って、実験をしてみた。

わたしがこのお絵描きパッドにねこを書いてみたところ、耳を最初に書いたのだけど、

(絵心はありません。)

耳を書いた時点で、娘から”かこ!!”の言葉が…!!

続いていぬ。

娘がねこが好きなのもあって、普段からねこばっかり描いていていぬの書き方がまったくわからなくなってしまったわたしの絵がこちら。

(…犬です。)

このど下手くそな犬、やっぱり耳から描き始めてみて、やっぱり耳を書いた時点で、娘から”わんわん”の言葉が…!

大きさも、鳴き声も、色さえわからないなかで、”ねこ”と”いぬ”を識別できているのは、この耳の特徴で捉えているところが大きいのかなと思う。

こんな小さな特徴に目をつけてるの、すごすぎ…!

ちなみに一つ前の”固有名詞”の話に戻ると、
ねこはともかく、いぬに関しては犬種によってかなり見た目に違いがあって、例えばチワワとゴールデンレトリバーなんてもう違う生き物だろ、って思ってしまったりするけど、
娘はどんないぬを見ても”わんわん”と言っていて、ちゃんと一般化できているところが本当にすごいなと思う…!



次に、音についてのふしぎを書いていきたいと思う…!

日本語と英語の音をどう聞き取っているのか、どう発音しているのか、気になったところをまとめてみるよ。

音のふしぎ ー ”はくしょん”と”Achoo!”

例えば犬の鳴き声は日本語では”わんわん”なのに対して、英語では”Woof! Woof!”という。

このほかにも、動物の鳴き声なんかは、日本語と英語では表現される言葉が全く違うことが多くて、「同じ”音”を聞いているのに、違う音として認識されているの、おもしろいなあ」と常々思っていた。

ほかにも、日本語と英語で”同じ音”なのに”異なる音”として表現される言葉として、”はくしょん”と”Achoo!”がある。

わたしは、この”言葉”を娘に教えたことはなかったのだけど、ある時から、わたしがくしゃみをした後に、娘がマネをしてくるようになった。

その時の言葉が、どう聞いても英語の”Achoo!”なのだ…!

おもしろすぎる…!

もしかしたらだけど、保育園でくしゃみを”Achoo!”という”言葉”として教えてもらったのかもしれない。

だけど、もし、ただ単に娘がわたしが実際にしたくしゃみの音をマネして発したのだとしたら。

それは、娘にとって、聞こえた音が”はくしゅん”ではなくて、”Achoo!”だった、ということになる。

どうなっているんだろう…!

そもそも、”同じ音”を聞いているのに英語と日本語では”異なる音”で表現されるのは、英語と日本語が持つ音がそもそも違っているからで。

例えば、いぬの鳴き声として表せられる英語の”woof”という”w”と”f”の音は日本語にはない音で。

英語を話者とする人は、いぬの鳴き声を聞いた時に、自分たちの中にある”w”や”f”の音とマッチした結果、”woof”という表現になるのだと思うのだけれど。

ということは、くしゃみの音を聞いて、”Achoo!”の言葉が出てくる娘の中には、英語話者が持つそれらの”音”がすでにインプットされていて、音をマネしようとした時にそれがマッチして言葉が出てきたということになる。

保育園で、すでに”Achoo!”が言葉として教えられていたなら話は変わるのだけど、
もし、わたしのくしゃみの音をコピーしようとして出てきた言葉なのであれば、それは日本語の音より、英語の音とマッチして発声されたわけで、

娘はいまのところ、どちらかというと話す言葉も日本語のほうが多いし、日本語のほうが理解していると思ってたから、「日本語の音より英語の音で検索がヒットしたんだろうか!?!?」とびっくりしたよ…!

発音のふしぎ ー ”Ball”と”Bubble”

最後に発音について。

「言語習得は、まだ脳が柔軟な幼児期に行うのがいい」というのは広く知られていて、その中でも、最も重要なもののひとつが”発音”だと言われている。

発音やイントネーションは幼児期のほうが、模倣しやすくて、自然に習得がしやすいらしい。

…ということは知っていたのだけど、なんせわたしはいつも日本語で話しかけているし、娘もいまのところ日本語のほうが多く話すこともあって、娘が英語を流暢に話し出すことがあまり想像できていなくて。

だけど、最近、娘が話し始めた言葉に、”Ball”と”Bubble”があるのだけど、その発音がもう(あたり前なのだけど)英語ネイティブで…!

まあまだ赤ちゃん言葉ではあるのだけど、いわゆる日本語の”ボール”とか”バブル”ではなくて、ちゃんと”ボー”、”バボー”みたいな感じで、ちゃんと”英語”として発音されていて。

そもそも日本語の”ボール”とか”バブル”という音がまだインプットされていないから別にそこからの影響を受けるわけでもなく、聞いた音をそのままコピーしてるのだろうから、当たり前なのだけど、
それでもやっぱり、日本人がどんなに頑張っても発音に苦労する音を、まだこんなに小さい子が、脳が、コピーできることに感嘆してしまう。

旦那に聞いてもやっぱり、娘が発する”Ball”や”Bubble”は「L」で発音されているらしい。

わたしは日本語教師という日本語を教える仕事をやっているけど、発音を教えることは第二言語習得のなかでも最も難しいことの一つで。

まず、正しく発音するためには、正しく聞き取ることが必要で、それが第一関門。(見落としがちだけど、たとえば”つくえ”と言ったとして、それが正しく”つくえ”と聞き取られるとは限らなくて、”すくえ”など誤って聞き取ってしまうと、そもそも正しくコピーすることができない)。

それから、この音は舌をどう動かすのか、どこに当てるのか、喉を震わせるのか、息はどう出すのか、口の形はどうするのか、いろんな要素を理解して、実際に舌と口を動かして、慣れるまで何度も何度も練習する。

それでも、難しい。
これは大部分が、すでに習得している母語の影響が大きいところにあるのだと思う。

そう考えると、たった1歳7ヶ月でこんな高度なことができてしまうの娘の脳は、まだまだまっしろで、音をそのままなんの装飾もなく取り入れることができていて、
「脳が柔軟」とはこういうことをいうんだなあ、すごいなあ、いいなあ、おもしろいなあ、と感じているよ!



まだまだ、「ふしぎだなあ。おもろいなあ。」と思うことはいっぱいあるんだけど、それもまた改めてNoteに書いておこうと思う。

どの親も子が話す言葉に関心はあると思うんだけど、わたしもすごく興味があって、特に子がバイリンガルで育っていることが、自分は経験したことがないし、さらに興味深いなと感じている。

どんどん言葉を覚えて、楽しそうに言葉を使う娘をそばで見守らせてもらえることが、本当にしあわせだなあと思うよ…!



ちなみに子どもの言語習得については、以前この本を読んだことがあって、


おもしろかったんだけど、ずいぶん昔に読んで記憶が薄れているから、またもう一度読みたいなあと思っている…!

ほかにも特にバイリンガル環境で育つ言葉の発達について、いくつか本を買って読みかけだったり積読になってしまっているから、また読み進めてNoteに書きたいなあと思っているよ!!








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