No.122 旅はトラブル / 由理くんよ!これがパリの灯だ(8)パリの美術館について語る
No.122 旅はトラブル / 由理くんよ!これがパリの灯だ(8)パリの美術館について語る
(No.121の続きです)
パリの4つ星ホテルヴェルネでの宿泊は当初3泊の予定だったが、延泊3日合計6泊、正規料金から30%オフの交渉が通った。パリ滞在のあと、気が向いたら南フランスに行こうと思ってもいたのだが、東西南北方向にそれぞれ直径約4kmの円内に収まってしまうパリの中心街で訪れたい所は6泊どころか、肌感覚では半年はかかるかと感じた。
結果的に11泊全て、パリのホテルヴェルネの302号室で贅沢に滞在した。ホテルを変えることも考えて、モンパルナス付近のホテルもいくつか見たのだが、移動も面倒だしヴェルネの居心地が良かった。再度の延泊希望、続けての宿泊割引きにも、マネージャーの態度と笑顔は「このような交渉こそ我が意を得たり」との気持ちのいいものだった。
思ったよりも「旅はトラブル / 由理くんよ!これがパリの灯だ」シリーズが長くなってしまった。あと3、4回は書けそうである。度々触れているように、僕は不特定多数の方への情報提供としてブログを書いているわけではなく、自分の文章練習の場としてnoteを活用している。
などと言ってみる傍らで、読んでいる方に何らかの刺激を与え、記事の中で触れた場所に行きたくなったり、同じようなことをしてみたくなるようにと企んでいるのだ。これが僕なりの「情報提供」であり、見えすいた悪巧みである。僕の記事を読んだ方が、そのような気持ちになって頂ければ、文章の力がついてきたかも、シメシメである。さて、これから触れていくパリの美術館を訪れたくなってもらえるだろうか?
パリ滞在中に訪れた美術館は、ルーブル 、オランジュリー、オルセー、マルモッタン、ピカソ、ギメ、ポンピドゥーセンター、プティ・パリの8つだった。ギュスターヴ・モローやダリなど見逃した美術館もまだまだあった。ルーブル 、オランジュリー、オルセーの人気のある美術館は混雑を避けるために、閉館時間の近くに行くようにした(No.052 参照)。
いずれの美術館も大いに楽しめた。「モナリザ」の微笑みの他にも、彫刻「サモトラケのニケ」の思った以上の迫力、小ぶりのために見過ごすところだったフェルメールの「レースを編む女」など見どころ満載だったルーブル美術館は、何度も足を運ばないと語る資格は無いような気もする。
ピカソもまた一筋縄ではいかない芸術家であろう。パリのピカソ美術館は、作風を変遷し続けたピカソのそれぞれの時代の作品を網羅していて素晴らしかった。個人的には、美術に興味を持つきっかけの一つとなった朝日新聞日曜版連載「世界名画の旅」の第一回を飾った、ピカソ青の時代の「自画像」を観ることができて感慨深かった。
ヨーロッパの美術館を巡り感じることの一つが「搾取の歴史」である。良く言えば、その地域が見逃してきた美術価値をヨーロッパ諸国は認めたと言うことか。日本も含む広範囲の東洋美術の収集を誇るギメ美樹館は、正にそのあり様を展示作品が語っている。
近現代美術作品の巨大収集で知られるポンピドゥセンターもまた、1日の鑑賞で観きれるものではない。映画や音楽やデザインに関する作品などを鑑賞する時間はいくらあっても足りないものだったし、カンディンスキーやモンドリアンなどの好きな作家の作品の前で、再訪を誓ったものだ。
プティパリ美術館は「プティ・小さい」の命名に相応(ふさわ)しくない空間を持っていた。中心地にある割に訪れる人も少ないお勧めの美術館である。クロード・モネの「印象・日の出」に良く似た構図を持った作品が、いくつかあることに気づかされたことが、美術館の美しい景観と共に思い出として残る。
どの美術館も素晴らしかったが、パリ市内で訪れた美術館での一番の好みは、連れ合いの由理くんと僕の二人ともに、パリの高級住宅地16区にあるマルモッタン美術館であった。
地下鉄最寄り駅で降りて少し歩くと、立派な家並みが続く。パリ市内屈指の高級住宅地の中に建つ個人邸宅風の美術館である。印象派の巨匠クロード・モネの収集で知られ、特に「印象派」の名前の由来となった作品「印象・日の出」があることで有名である。やはり感動を生む一品であった。2015年東京での「モネ展」で数十年ぶりで再会した「印象・日の出」は、連れ合いの由理くんとのマルモッタン訪問を思い出させてくれて、涙してしまった。
ルーブル美術館すぐそばのオランジュリー美術館にあるモネの「睡蓮」は、円形の部屋の壁面下部いっぱいほぼ360度に描かれたものであるが「荘厳、壮大」を狙いすぎているような感じがして、かえって感動に至らなかった。個人的な好みはマルモッタン美術館所有のいくつかの「睡蓮」であった。自然の一部の対象物に向き合って生まれた、モネの睡蓮に抱く純粋な愛おしさを感じるのは僕だけであろうか。
オルセー美術館を語る前に、東京で鑑賞した「ゴーギャン展」と「ゴッホ 展」に触れておく。二つの展覧会を由理くんと一緒に観て、感想を述べあった。「ゴッホの絵画もいいが、ゴーギャン思ったよりもずっといいね」が共通の感想だった。ゴッホの絵画の方が、画集などを通して馴染みが深かったのに比べて、ゴーギャンの絵画が僕たちにとって、その当時新鮮だったからかもしれない。
オルセー美術館の5階は、印象派とその時代の画家たちの作品が圧倒的な存在感を示す。モネ、マネ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、ピサロ、シスレー、スーラ、シニャック、ゴーギャン、ゴッホたちの作品がキラ星の如く輝く。幸い、予想したよりは混んでいなかった。由理くんとたびたびする鑑賞方法を、この5階の展示室で採用した。1時間後に待ち合わせ場所を決めて、それぞれ自由に鑑賞する方法である。「じゃ、1時間後に」
由理くんの方がほんの少し早く、待ち合わせ場所の5階出口付近に着き、僕を待っていた。次のやり取りは、沢山の、本当に沢山の由理くんとの会話の中でも特に印象に残るものである。やりとりをそのまま再現してみる。
「由理くん、どうだった?」僕が尋ねる。
「う〜ん!」口元にわずかに笑みを浮かべ、腕を組み、首を縦にうなづく。
「だよね」疑問の言葉としてではなく、同意の言葉として発する。主語も動詞もない。
「そう。やっぱり、ゴッホは凄いわ〜」僕が言おうとしていたことと完全に一致していた。
ゴーギャンの作品をはじめ、いずれの画家の作品も素晴らしかった。だが、オルセー美術館所蔵のゴッホは「凄い」、画家の技法とか構図とか、そんなもの語るより、真っ直ぐに作品に向き合えばいい。
由理くんと僕が東京で観たゴッホは、最盛期のゴッホではなかったのか、こちらの鑑賞眼の未熟さゆえだったのかは判然としないが、オルセー所蔵ゴッホの「ローヌ川の星月夜」と「オヴェールの教会」には心揺さぶられた。
「パリは二週間じゃ足りないわ〜。しんくん、絶対また来ようね!」
こんな元気な由理くんが、数年後から、体調を崩していくとは誰が思うのよ。
・・・続く
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