苦悩・挫折・絶望からの脱出を!
はじめに
毎日を忙しくお過しの現代人の皆様へ、
皆様は、今日と明日からの将来・未来への考えだけで一日が過ぎていませんか?
少しだけ立ち止まって、過去の過ぎにし日や過去の人びととの対話を楽しんでみる事も時には心のリフレッシュには良いかもしれません。
そこにはあなたがこれまで見過ごしてきた多くの方々、つまりあなたの生命の誕生に関わり、あなたの誕生を支持された人びとが沢山いらっしゃっることに気がつかれるのではないでしようか?。
それも単に数人、数十人、数百人というレベルでは無く、人間が誕生してからあなたが誕生するまでの気が遠くなるような世代数分の人びとが、あなたの生命のバックにいらっしゃると言うことを是非ともお知り願いたいと思います。
あなたの父母、祖父母、曾祖父母、高祖父母、、、と、あなたの生命誕生に直接、間接的に関わった数多くの人びとが、あなたの生命のバックにいらっしゃるのです。
あなたは決して「孤独」ではありません。
もしあなたが大きな判断を下す事に直面しているのならば、このような多くの人々のためにも正しい判断をして下さいますようお願いいたします。
あなたの生命誕生のバックにいらっしゃる巨大な数の人びとが、あなたの正しい判断を求めているのです。
決して判断を間違わないで下さい。
そして万が一にも、間違った判断をしたとしても、或いは正しい判断をしたとの確信があったとしても、その後に問題が起こらないことは滅多にありません。
私達は決断のあとで、しばしば大きな問題に遭遇したり思いも掛けぬ判断ミスが隠されていたり、、、等の局面に遭遇する事があります。
このようなことから、新たな苦悩・挫折・絶望に直面する場合も出て参ります。
そのような問題に対して、どのように対処して行くべきかは、多くの人が悩む事でもあります。
私達はこのような問題に如何に対処すべきかを考えておかねばなりません。
以下に、段階を追ってその対処方法を考えて見たいと思います。
1.私の苦悩・挫折・絶望から脱出して新たな
世界に向かうために
私達は、これまで私達が生きている現在と将来については多くの事を語って参りました。
一方私達は多くの場合、既に過ぎ去ってしまった過去についてはあまり語ることがなかったようにも見えます。
それは過ぎにし歴史を、私達は変えることが出来ないためにあまり語る意味が無いとの見方から来ているのかもしれません。
このアンバランスさからは、私達の色々な面においてアンバランスな社会・思想を生み出してきているようにも見えてきます。
例えば私達の多くやメディアでは、身近な父母や祖父母の苦悩の歴史については、(父母や祖父母が生きた)時代の中で父母や祖父母が時代に翻弄されて来ただろうと言う事くらいしか報告してくれは致しませんし、また私達には知るよしも有りません。(注*)
その一方では、私達の現在や将来については、とても熱心に語るのが常であります。
或いは語り尽くしていると言った方がより適切かもしれません。
他方たとえば、過去の具体的な時代の個々の「事象」については、きっと身近な私達の父母や祖父母にも大きな影響を与えてきただろうと言うこと位は私達にも見えております。
しかしその時の父母や祖父母の苦悩や挫折・絶望こそが、きっと現在の私達の苦悩や挫折・絶望と同様の、展望が全く開けぬ苦悩・挫折や絶望そのものであったのかもしれない、と言う事に対しては、メディアも何の情報も明らかにはしてくれません、 、 、。(注**)
2.身近な父母や祖父母の苦悩や挫折・絶望を
共有し、対話する
このように考えてみますと、この程度の知識を改めて確認するだけでも、私達には、身近な父母や祖父母の苦悩や挫折・絶望が少しは身近な問題に見えて参ります。
つまり、父母や祖父母の苦悩や挫折・絶望を共有し、それによって私達自身の苦悩や挫折・絶望も幾分緩和され、同時に父母や祖父母の苦悩や挫折・絶望をも自らの問題としても感じることも出来るようになって来るのです。
このような父母や祖父母への関心を深めることによって、自らの現在の苦悩・挫折・絶望をも同様に更に深く受け止めることも可能になります。
更に幾分なりとも客観的な自己評価を得ることにも繋がるように思えて参ります。
つまり、父母や祖父母なども自分と同じような苦悩・挫折・絶望を経験していたのだろうという、親しみと同時に問題の共有感も生じて来て苦しみの緩和感も生じると言う事でありましよう。
先祖の方々と言う全くの第三者とは言えない、割合身近な人びとの苦悩を知ることにより、私達自身の持つ苦しみも緩和され、問題に対するより客観的な視点を得ることに繋がり、新たな対応方法も生まれる事に繋がるということでしよう。
多くの人びとがこのような視点を持つことによって、その人びとと身近な父母や祖父母の方がたとの心の対話が進む事にも繋がれば、人びとの苦悩や挫折・絶望に対するより客観的な視点が得られることになりその対応力も次第に向上してゆく事になることが予想されます。
更にこのような実例が増加すればする程、マスとしての学術的な分析も加えられることに繋がり、人びとの対応力もより向上し次第に問題点の共有化や対応方法の広がり等も派生してくることも考えられてきます。
3.教育
私達の悩み・苦悩・挫折・絶望に対する耐性向上のアプローチは、ある程度子供の頃からの教育をも必要としています。
しばしば、私達は自らの悩み・苦悩・挫折・絶望に遭遇したときに驚天動地の局面に立たされたように感じ右往左往するだけになったり致します。
このような局面こそが、私達が冷静に対応すべき状況であります。
それにはこのような局面で冷静に対応できるだけの力を予め備えていなければなりません。
それが悩み・苦悩・挫折・絶望に対する耐性向上の第一歩であろうと思われます。
私達は出来るだけ早く、このような人生の苦悩・絶望などについて、両親や叔父叔母・年長の兄弟・姉妹などから学んで行く事が求められているように思われるのです。
これは、両親や年長者の方々による教育とも言えるものであります。
私達が自分の人生において何時かは遭遇する苦悩・挫折・絶望などへの対応力を予め身につけさせるための一種の耐性向上教育であります。
あらゆるものが進化・進展・変転している現代では、そのスピードが加速度的に増しつつあり、人びとはその波に飲み込まれて溺れ死んで行く可能性が日々増大し初めているのです。
未来を夢見る人びとがその夢を果たす為には、度々遭遇する失敗や、不調に対してその苦悩・挫折・絶望を乗り越えて行けるだけの耐性を身に付けていなければならないのです。
それには、必ずしも見通せない未来に絶望するのではなく、過去の先人達が乗り越えてきた経験を学ぶことこそ大切になって来るのではないかと思われるのであります。
このような複合的なアプローチを通して、強靱な耐性を持った人間・社会を構築・維持して行くことが、求められているように思われます。
更には、このような作業を進化させることによって、私達の人生最大の課題の一つである、人生の中での苦悩・挫折・絶望をコントロールするための新しい道具を手にする事にもなるでしよう。
勿論それでも、私達の人生には悩み・苦悩・挫折・絶望が無くなる訳ではありません。
一つの問題・課題の解消は、必ず新しい問題・課題を派生いたします。
私達は課題の解消と、新しい課題の派生・発生とのいたちごっこを繰り返しながら進んで行くのでしよう。
いずれにしろ、私達はこのような耐性向上への第一歩を踏み出さなければなりません。
それには、先ずは私達の先祖の皆様と私達の生命に、礼を尽くしての対話開始から始める事が必要であろうと思われます。
そして、先祖の皆様から受け継がれてきた命に感謝し、皆様の経験された歓び・悲しみ・苦悩・挫折・絶望に思いを馳せ、今を生きる私達も、更に次の世代へと命を繫いでゆく事を宣言し申し述べることから、対話へと進んで行く事が良いのではないでしょうか?
4.全ての先祖の皆様に、
皆様の悲しみ・苦悩・挫折・絶望を、
共有して皆様の平和な日々をお祈り致し
ます。
そして私達子孫の行く末を暖かくお見守り
下さい。
私達は皆様が経験された悲しみ・苦悩・絶
望を共有し深く理解して、皆様の心を癒や
し続けます。
どうぞ、心安らかに私達子孫をお守り下さ
い。
5.生命の繋がりの詩
今日は!!!
私の父母、祖父母、曾祖父母、高祖父母、 、 、全ての先祖の皆様 !!!
子孫の私達から皆様に感謝の念を捧げさせて下さい。
・ ・ ・ ・ ・ ・
私の父母よ、
祖父母よ、曾祖父母よ、高祖父母よ、、、全ての先祖の皆様へ
そして、皆様から長く繋げられてきたこの命よ、
この私の命は、
かくの如く、
脈々と受け継がれてきた命の系譜の頂点に、
位置しています。
(冒頭の図参照)
皆様への一編の詩を捧げます。
私の父母よ
祖父母よ、曾祖父母よ、高祖父母よ、、、全ての先祖の皆様よ
皆様の経験された歓び・悲しみ・苦悩・挫折・絶望はどのようなものだったのでしようか?
皆様の一人一人が乗り越えられて来た悲しみ・苦悩・挫折・絶望は、
全ての皆様が越えられた悲しみ・苦悩・挫折・絶望でもあったのでしよう。
それらの一部は、道半ばの私がこれまで乗り越えて来たものでもあったのでしようか?
私は、与えられた諸々の悲しみ・苦悩・挫折・絶望に対峙するときには、身近な皆様のご経験に思いを馳せ、
自らの進むべき道への思案を重ねて参ります。
そしてこのように、いつも必死に明るさを求めていながらも苦悩している自分がいるのです。
私の父母よ、
祖父母よ、曾祖父母よ、高祖父母よ、、、全ての先祖の皆様よ
・・・
私のこの悲しみ・苦悩・挫折・絶望を慰めてください。
私のこの悲しみ・苦悩・挫折・絶望を理解してください。
私のこの悲しみ・苦悩・挫折・絶望に支援をしてください。
皆様の暖かい視線を感じさせてください。
私がこの悲しみ・苦悩・挫折・絶望を乗り越える事が出来ますように、 、 、 。
6.次の世代の皆様に、捧げます。
子供・孫・更に続く皆様へ!
私達が耐えて、乗り越えてきた困難を知ってください。
そして皆さんが直面している、様々な困難のほんの先には、
希望の光があると言うことを知って欲しいのです。
皆様の前に続く様々な絶望のほんの先には、必ず希望があることを!
私達はいつも、自覚の無い希望の中にいます。
一方、私達はいつも自覚の無い絶望の中にもいます:
そのような絶望には、あまり関わらずかつ周囲の所為ということも否定して、全てが自らが生み出したものであることを強く強く認識致しましよう。
私達はこのような意識と無意識との中で生き続けているのです。
決して表看板の希望や絶望だけの中を生きているわけではないのです。
私達は生まれてこの方、意識有る世界と無意識の世界の間を行きつ戻りつしながら生きて参りました。
それは私達の自己防衛・リスク対応のための本能的な行動でもあったのです。
その為私達は本当の自分が分からなくなり、時には誤った判断・行動に到ることも多いのです。
終わり
********************
(注*)
先人の苦悩・絶望を知る手段は、当面はあまり無いかもしれません。
現在の我々に出来る事は、先人の生き方・先人の語った話の内容、日記、記録等などから推し量る事しか無いように思われます。
それでも、その方々の生き方に触れるだけで、私達の心の中には先人の皆様の苦悩や挫折・絶望を知り学ぶことを通じて、先人の方々との繋がりが生まれて来る事でしよう。
そしてこの繋がりから、私達自身の人生の問題解消に大きな勇気や前進するための動機付けを与えてくれることにもなるでしよう。
その為の教育も大変重要になって参ります。
(注**)
私達は「歴史に学ぶ」等と言いますが国や大きな組織レベルだけでなく、個人、個人が身近な父母、祖父母、曾祖父母、高祖父母、 、 、等の生きた歴史から学ぶ事も大切だろうと思われます。
ともすれば、「新しい世代は新しい社会・思想・考えなどに合った考え方で対応すべきで、どんなに身近な人であれ亡くなった人の時代とは異なる社会なのであるから、現代の私達は、今を生きる自分自身で未来を切り開いて(拓いて)行くべきである」という考え方に陥ることが多いように思います。
しかしこのような時こそ、私達はこれまでの人びとの経験や考えに学ぶ事が必要ではないかと思われます。
つまり、私達の父母や祖父母の皆様はそのような世界を何とかくぐり抜けて来られたからなのです。
(勿論、人によっては例外も沢山あるでしょうが)
そのような身近な方々(既に亡くなられた方かもしれませんが)との対話こそが私達に新しい道を示してくれることになるのです。
たとえその方々が、「毒親」と呼ばれた人であったとしても、私達は心の対話を通してその「毒」を消化して学ぶ点を吸収すべきかもしれません。
と言うのは、毒親、毒xxと呼ばれる人達は、実は毒を自分自身に向けて吐いているのです。
決してあなたに向けて言っているわけではないからなのです。
私達は、色々考えても回答が見つからない様な時にこそ、このような方々との心の対話を通して、自らの苦悩を語り挫折を語り絶望の淵をめぐりながら本当の心の奥に問いかける等々の作業をする事が必要なのです。
このような問いかけを繰り返して行く事により、次第に心の中に穏やかな時間が生まれてくるのです。
こうして、私達は懐かしい父母や祖父母に抱かれて新たな境地へと向かうのではないかと思われます。
最終的にはこのような経過をたどりつつ、自らの苦悩・挫折・絶望からの脱出へと向かうのだろうと思われます。
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