迷ったけどやっぱりパリに決めた
ニューヨークか、パリか、ロンドンか… アントワープもアリだな
私が仙台で専門学校の教員をしていた90年代後半は
ミニマリズムのヘルムート・ラングや
コンセプチュアルなマルタン・マルジェラを筆頭に、
ジル・サンダー
フセイン・チャラヤン
ジョン・ガリアーノ
アレキサンダー・マックイーン
ドリス・ヴァン・ノッテン
アン・ドゥムルメステール
マーク・ジェイコブス
などが活躍していた。
彼らの共通点は、
1、フランスのファッション専門学校を卒業していない。
2、フランス人ではない。
ということだ。
その彼らがパリコレやNYコレ、ロンドンなどで活躍していたのである。
どうやって仕事を探すか
当時はすでに教員として働いていたので、もし目標の5年後に海外に行ったら、インターンでもいいから直ぐに働いて、経験を積みたかった。
でも海外で暮らすにはビザが必要だし、どうやらいきなり仕事を見つけるのは大変そうだ。語学はどうするのか?とりあえず学生ビザで入国して様子を見よう。海外の専門学校がどのような教育をしているのか、それも気になる。
ということで、まずは、上記のデザイナーたちの出身校の教育プログラムと授業料を調べた。
それでもパリはやはりファッションの中心地。沢山のメゾンがパリにはあり、そして沢山のデザイナー達がパリを発表の場にしている。パリにも気になる専門学校がいくつかあったので、それらの授業料も調べた。
生まれて初めてニューヨークとパリに行く機会も、90年代後半にあった。私はFIT (ニューヨーク州立ファッション工科大学)、パーソンズ美術大学、パリ・オートクチュール組合学校、そしてステュディオ・ベルソーをのぞいてみた。
すぐにビザを出してくれる会社はないかなと、パリにある日本のブランドにも、直接日本から電話してみた。
また、当時「ファッションデザインコンテスト荒らし」(!?でも本当 笑)だった私は、オンワード樫山さんが主催するデザインコンテストの最終審査に引っかかり、コンテスト終了後、審査員のジャン=ポール・ゴルティエ氏になんとか私のポートフォリオを見せようと用意してみた。
が、どちらも門前払いだった。
もう、学生ビザで入国、しか選択肢はなくなった。
当時の代表的な、世界の人気ファッション学校は…
セントラル・セントマーチン芸術大学 (ロンドン)
ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション (ロンドン)
アントワープ王立芸術アカデミー (ベルギー)
パーソンズ美術大学 (ニューヨーク)
ニューヨーク州立ファッション工科大学 (ニューヨーク)
パリ・オートクチュール組合学校 (パリ)
ステュディオ・ベルソー (パリ)
これらの学校は、多くの卒業生が有名デザイナーになっており、今でも人気のある学校だ。
その中で私はパリのステュディオ・ベルソーに行くことに決めた。
決め手は自由な雰囲気、少人数制の「デザイン塾」
ベルソーには一度、見学にも行ったが、自由な雰囲気と、少人数制のクラス。卒業生にイザベル・マランやジャン・コロナ、荒川 眞一郎などがいた。他の学校に比べて、デザインの「私塾」的な感じがモダンでモードっぽかったし、名物校長のマリー・ルッキが個性的過ぎて興味深かった。すでに文化服装学院を卒業して、専門学校で教鞭を執っていた私には、修業期間が短いのも、その授業内容も魅力的だった。
ファッションの都、パリ
また、ニューヨークやロンドンに比べて、当時、パリの生活費や家賃はとても安かった。この点も魅力的だったし、パリには、沢山のファッションブランドのオフィスがあり、スタージュ(インターンシップ)制度も充実していた。
既にフランス語を習い始めていて、一緒に習っていた仲間達の一部が既に、パリに語学留学していた。サガンやゲンズブールにデュラス、ヌーベルヴァーグやフレンチポップ、フランス革命(それはベルばらともいう)、そしてエビアンやペリエにとても興味のあった私は、結局パリに行くことに決めた。
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