田舎者に見られてはならぬ!!
10年前、私は大学進学のために山形から上京した。
大学生活ではあるミッションを自分に課していた。
それは【田舎者に見られないこと】
小中学生時代ほぼ引きこもり生活だった私は、高校で社会復帰するものの、劣等感が山盛りの人間になっていた。
人より劣って見られてはならぬ、悪目立ちしてはならぬという気持ちから、自意識過剰になり周囲の視線ばかり気にして生きていた。
本来田舎生まれも都会生まれも優劣はないはずなのだが、客観性を失った私は、"田舎=ださい、どんくさい"と思われるに違いないと警戒していた。
そんな中決まった東京での大学生活。冷静に考えれば、生粋の東京育ちはさほどおらず、私と同じように関東以外から上京してきた人も多い。
しかし、私の暮らしてきた山形は電車の便がとても悪く、県をまたいで通学するなど山形の中でも中心地の山形市周辺に住む人たちの特権だ。それもせいぜい隣の宮城県仙台市に通うくらい。そのため、こんなにもあちらこちらから集まって来ているとは予想しておらず、当時の私が想像したのは流行最先端の洗練されたシティボーイ&シティガールだらけのキャンパスライフだった。
そこで田舎者に見られる訳にはいかない。
高校まで自分も友達も一軒家暮らししかおらず、マンションは今回の一人暮らしで初めて入り、洗濯機は二槽式、照明は紐を引っ張るタイプしか知らず、家庭用のエアコンもオートロックも初めてで入居日早々家の入り方すらわからなかった私だが。
不動産の人にはドン引きされてしまったけれども、ほぼ会うことが無い人だから諦めがつく。
しかし、これからキャンパスライフを共に送る学生たちにだけは引かれてはならぬ。
そんな想いで常に気を張り、上手く溶け込んでいると思ったある日。
初めてみんなの前でレポートの発表をする機会がやってきた。
発表をしていると、途中から何人かの口元が緩み出す。普段目を見て話している子が、視線を向けると逸らされてしまう。
みんな何かを堪えているようだった。
はて、どうしたのだろうと思いながら発表を終え、自分の席に着いたところ、隣に座っていた友人に言われた。
「長文話す時めちゃくちゃ訛ってるね」
そんな馬鹿な。
地元の友達と話していても自分は訛っていない方だと思っていたし、「〜だべ」「〜だす」といったズーズー弁は上京以来封印してきた。
そんな自分が訛っているだなんて。
自分のことは自分が一番よく分かっているなんてよく聞くが、ある時には他人の方が正確に見ていたりする。
私は長文を話す時、めちゃくちゃイントネーションが訛っているらしい。
こうしてずっと掲げてきたミッションは突如失敗に終わった。
その時の講義はたしか50名くらい受けていたと思う。その全員に私が田舎者であることが知れ渡ってしまったのだ。
しかも、笑われてしまったのがショックだった。起きて欲しくなかったことが起きてしまった。
口元をきつく結び、耐える人たちの顔が頭から離れない。
恥ずかしさで消えたくなる気持ちを隠して、平気なふりをして友人たちと接した。
それからずっと訛らぬよう気をつけて話すようになった。馬鹿にするとかではなく、愛情を持って冗談として田舎者扱いされることもあったが、内心イラッとしていた。発表がある講義はどんなに内容が面白くても通うのが億劫になった。我慢して行ったけど。
嫌な気持ちを感じた日は、1人になるとすぐ耳にイヤホンを挿す。音楽を聴いて、自分だけの世界に入って気を紛らわせたかった。
ちょうどその頃、大好きだったバンドのSIDが新しいアルバムを出し、私のiPodにも即入れられた。
その中から「Café de Bossa 」という歌が流れてきた。
田舎育ちの男の子が都会の女の子に恋をして、背伸びして都会の男ぶるけど馴染まず、最終的に背伸びを辞める。
そんな物語の歌だ。
素直に可愛いなぁと思った。
田舎者の男の子が。
同時に、過敏になって人にイライラしてる自分はかわいくないなぁとも。
観念しようとその時に決めた。このまま意固地になっていても、きっと自分が疲れてしまう。
笑われるても、田舎者であることを利用して笑わせてやるくらいの気持ちでいればいい。
今では田舎者も私の大切なアイデンティティだ。
周りを気にしてではなく、ただ自分の好みとして洗練された都会っぽい人に憧れはするけれども。
https://youtu.be/cne9LlpSaj0
どんな歌なのかはこちらで聴けます。歌詞がかわいいのよ。
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