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葬儀(母の難病#26)
【11月26日】
母の葬儀の日。
晴天の水色に銀杏の黄色い葉っぱが映える、清々しい秋晴れの日だった。
母の葬儀は、家族葬を専門に執り行う小さな斎場で行った。
参列者は15人いるかいないか、というこじんまりとした葬儀ではあったが、家族葬ならではのあたたかさがあったのではないかと思う。
葬儀が始まるまでの間は、母が好きだったチェロの曲を会場に流してもらった。そんなの誰も気づいていないと思うけどw。母が聴いていてくれたらいいな、と思った。
母方の家系は信心深いため、昔からお寺とのつながりがあった。葬儀でお経をあげてほしい、と母が言っていたのでお坊さんに来ていただいたのだが、実際お経を聞くと、幼い頃からのいろんな思い出が蘇り、雑念が洗われるような気分になる。そして、父の葬儀ではお経をあげてもらわなかった分、お坊さんがそこにいることで、より「お葬式感」が感じられた。
来ていただけて、よかった。
葬儀後は出棺まで棺のそばで過ごす。
母の棺を囲みながら棺に母が好きだった食べ物や花を入れ、私と妹の幼少期や4人で洋菓子店を営んでいた頃の写真などをみんなでわいわいと回し見して、それらも棺に入れた。
母に白装束は着せなかった。代わりに着せたのは、淡い紫とピンクのマーブル調のセーターとグレーのパンツ。どちらも生前に好んで着ていたものだ。
そのセーターは、私が大学生のとき、バイト代で買ってクリスマスにプレゼントしたもの。もはや30年も経っている。私から「着せたい」と口に出すのは躊躇われたが、妹から「お姉ちゃんがあげたセーターがいいんじゃない?ずっと大事に着てたから」と言ってもらえたため、遠慮なく着せることにした。
そのセーターを着た姿を見るたびに嬉しいような恥ずかしいような気持ちになっていたが、まさか棺の中でまで着ることになるとは夢にも思わなかった。
車で40分ほどの火葬場に移動し、母の最後の姿を見届けた。炉に入っていくときはさすがに胸に迫るものがあり、「待って!」と言いそうになったが、そんな自分を客観的に見ているもう1人の自分がいた。それは、両親には冷酷に接してきた(と思っている)私の中に、母を思う気持ちが残っていてよかった、と、他人事のように見守っているもう1人の自分である。
父が亡くなったときにも湧き上がってきた気持ちだった。
介護なんてやってらんねー
私は私の人生を生きたいんじゃ
邪魔しないでくれ
いつまでも私を頼りにしないでくれ
そんな風に思うこともたくさんあったし、そんな自分を冷たい人間だと思っていた。
しかしこの数ヶ月、母のためにできることはほとんどやってきて、母に思いを寄せた。
これまでの「やってらんねーぜ」的な気持ちは消え、「これまでありがとう」な気持ちに取って代わった。
そんなことを振り返っているうちに、母は壺におさまり、私の自宅にやってきた。
終始穏やかな時間が流れた一日が終わった。
何かに満たされたようでいて、
でも全て空っぽになったような、
言い表すことのできない感情と疲労が残った。
きっと時間をかけて、気持ちを整理し昇華させていく。それまでいろんな感情を味わいながら過ごすのだろう。
しばらくは、ゆっくりゆっくり、やっていこうと思う。