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「i(アイ)」を読んで考えた、想像すること

西加奈子の小説『i(アイ)』を読んだ。虚数のiは存在しない数。でも想像の中に存在する数、iをモチーフにした、この小説に次のようなフレーズがあった。
『想像でしかないけれど、それに実際の力はないかもしれないけれど、想像するってことは、心を、想いを寄せることだと思う。』
このフレーズに共感するとともに、どこかで考えたことがあるような気がした。コロナ禍の今、実際に人に会うことはできない。でも想いを寄せることはできる。想いを寄せる、ということについてちょっと考えてみたい。

私はこれまで何回か「巡礼」というものを体験した。しかも徒歩の巡礼である。そのうち1回は、3日間、五島を朝から晩まで歩き続けた。周りの人にはなぜわざわざ歩くのか、と言われるが、私の好きな時間である。元々、旅は好きだ。いつもと違う環境へ行き、非日常を味わうとともに、そこで暮らす人の生活を垣間見ることができる。徒歩巡礼の好きなところは、その土地を肌で感じることができること。そして、歩いているうちにその土地のスピードと同じ速さになれる。車で観光スポットを巡る旅と違って、だんだんその土地に馴染んでくる気がする。そして、今ここに住んでいる人だけでなく、過去にここで生きた人とも出会う。巡礼は過去に生きた人の道を辿る旅である。苦しみながら生き抜いた人に思いを馳せ、また、その人たちの思いを受け継ぎながら今生きている人の強い意志を感じ取る。巡礼者は彼らから学び、そして自己と向き合う。歩き続けていると、自ずとその時間を取ることができる。この時間は、日常に戻ってからの時間をも豊かにしてくれる。

「ダークツーリズム」という言葉がある。ダークツーリズムは、悲しい出来事を忘れない、二度と起こらないように語り継ぐ役割をもっているという。日本一と言われるあの心を奪われるほどの長岡花火も空襲の慰霊のために行われている。毎年1回美しい花火を見るとともに、空襲で亡くなった人、空襲の後必死に生きた人たちに思いを馳せる。五島で起きたキリスト教徒の迫害も、そこに住む人は少なくなっているかもしれないけど、五島を訪れた人によってその記憶は語り継がれる。また、悲しい出来事が起こった時代を生きた人の人生を辿ることができることもダークツーリズムの特徴である。それはとても個人的な体験かもしれない。でも、歴史の教科書の中の話ではなく、そこに行って、感じ、想像すること。そこで生きた人がいるからこそ、今の私たちがあること。今の時代に同じようなことが起きていないか、見つめ直すきっかけになる。そんな生き生きとした学びを与えてくれる。旅人はその土地にずっといるわけではない。だから無責任かもしれない。でも、旅によって、旅人のものの見方が少しでも変わったら…新しい社会が構築されるかもしれない。苦しみを体験した一人の人の視点から社会を見ることができたら…社会のゆがみがそこから見えてくる。悲しみの記憶をもった土地は、私たちに何かを伝えている。その記憶、その土地で生きた人の証は確かに旅人に伝わってくる。

悲しみの側面を見ることで、旅人はその土地に何層にも積み重なって今に至るその奥深さと力強さを感じ、さらにひきつけられる。このつながりはその時だけで終わらない。その後もきっとつながり続ける。

これは、時間と空間を誰かと共有することによって可能になるのだと思う。その土地に入り込むこと。自然を味わうこと。一緒に旅をしている人、その土地に住んでいる人、あるいは過去の人と共に過ごすこと。都会のスピードでは相当意識しないと難しい。歩く旅はこれらを可能にしてくれる。

毎日悲しい出来事は世界中で起こっている。すべてのニュースに心を傷めていたら生きていけない。でも、たまに、苦しんでいる人の苦しみを想像し、一緒に苦しむことはできる。『想像でしかないけれど、それに実際の力はないかもしれないけれど、想像するってことは、心を、想いを寄せることだと思う。』

想像し、想いを寄せることによって、その人がそこで生きたことが証しされる。そして、私たちは、ずっと昔から生きてきた人たちの上に生きている、生かされている、ということに気づく。遠く離れた人ともつながって生きていることに気づく。苦しみの記憶を辿る旅は、苦しみだけでなく、ほのかな温かさを与えてくれる。何か心に湧き上がるエネルギーによって、私はほんの少しだけ変えられる。そんな前に進む力を与えてくれる気がする。


*参考 
井出明 『ダークツーリズム 悲しみの記憶を巡る旅』

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