ビギナーズラックと言われて
noteで初めて書いた記事、「すれ違う人にも家族がいる」が思った以上にいいねがついてすごく嬉しかったことを覚えている。
その記事に未だにいいねをつけてくれる人もいることが私としてはすごく喜ばしく、他人から認めてもらう嬉しさを感じることが多い。
しかし、なぜか私はあれ以来上手く書けなくなった。
いくつか記事を書いてみたものの、思うような反応は来ず、その度に躓き、いつしか「noteで自分を表現したい!」と始めた活動は「あの記事を超えるようないいねが欲しい!」に変わってしまっていたのだった。
正直なところ、調子に乗ってしまっていたのだ。
「所詮、ビギナーズラックってやつか」
と、私に言ってきたおじさんがいる。
私は生まれてこのかた、ビギナーズラックを経験したことがない。何事も初めは0からスタートし、3歩進んで2歩下がるを繰り返していくタイプの人間だった。
だから、最初その言葉を聞いた時に「?」と頭の中で記号が浮かんだ。
最初は眉間に皺を寄せるほど怒りこそ覚え、その言葉を思い出すたびに「バカにしないでよね」と怒っていたが、今は割とその言葉は私に当てはまっていると感じる。
その理由は、一生懸命書いたからである。
ずっと自分を何かで表現したいと思っていた。だからこそ、失敗するのも怖かった。だから練って練って練りまくって、書き終わったら時間を置いて読み返して、こうでもないああでもないと、寝る寸前まで頭の中でグルグルと考え、結局最初の記事は書き始めから書き終わりまで一週間ほどかかった。
あのときの達成感はすごかったのを今でも覚えている。
だが、あれからの私はどうだろう。
一生懸命書いているか?
その答えはNOに近しい。
いいね欲しさの煩悩めいた文章に、私の欲求全てが現れ、純粋さを感じる正直な文章ではなかったのではないか?
何か思いを伝えたい、それを文に乗せたいと思って書いてはいなかったと思う。
確かに、あれはビギナーズラックだったかもしれない。
だが、もっと確かなことを言うならば、それはただ一つ。
おごりがあった。
ただそれだけなのだ。
ただそれだけなのに、そんな自分を認めるのに結構時間を要してしまった。
なんだかなあ。と反省する反面、ようやく認めてあげられて偉いね。と、なぜか自分を褒めてあげたくなる。
確かに、一生懸命やったのにも関わらず、それがうまくいかなかった時はものすごく孤独になる。
しかし、私は書くことが好きなんだろう。
失敗は怖いが、一生懸命やってダメだったら、また一生懸命やればいい。
文章という刃を研ぐ方法は、書いて書いて書きまくるしか、方法はないのかもしれない。
聖なる夜に、メリークリスマス。