わたしと「抑うつ」ちゃん

古賀史健さんの『名前という名の処方箋。』というタイトルの記事を読んで。すごく共感したし、あぁーわたしが昨日すごい言いたかったこと!と思ったので勝手ながら引用させていただきます。

以下『名前という名の処方箋。』より引用です。

(前略)おれは花粉症なんかじゃない、と言い聞かせながら生きる日々は、「もしかしたら花粉症なのかな? あるいは風邪なのかな? なんか体調崩しちゃったのかな?」と疑いながら生きるのと同義だ。自分という人間にもやもやを抱えたまま生きるのと同義だ。
だったらいっそ、医学・疫学的な見地から「あなたは花粉症なのです」と宣告を受けたほうが、もやもやも晴れて生きやすいのではないか。(後略)

こ、これだ…!

わたしは前回の記事で、抑うつと診断されたときの気持ちを書きました。その中の

…むしろこれで病気でもなんでもないなら、より生き地獄だ。ちょっとだけ安心した…

という文章。ここの気持ちをうまく表現できる言葉がこれ以上見つからなくて、なんかしっくりこないまま書き終えた。そんなときたまたま古賀さんの記事が目に止まったのです。

わたしはこれまでも「これって病気なのかな」「自分が甘いだけなのかな」「やっぱり自分は心が弱いのかな」などと悩む場面が多かった。その度に自分を責めた。「うつじゃない。病気じゃない。何もできないのは自分が怠惰だから。情緒不安定なのもメンタルが弱いから。生きづらいのだって、全部自分が悪いのだ。」「…でも、ほんとうに?こんなにつらい理由を知りたい。」そうやってもやもやもやもや。もやの中を生きてきた。

もちろん診断されたからとて、それだけで元気にはならない。でも、気の持ちようというか、なんだか少しだけ心が軽くなった気がするのだ。

きっと心はずっと求めていたのだ。もやの中に、確かな名前を。不確定要素は人の心を不安にさせるものなのだ。

目に見えない、名前もない、そこに存在するかどうかも分からない敵(あるいは味方かすらも分からない)…そんな得体の知れないなにかと向き合うために、「名前という名の処方箋」が必要だったのだ。

そして、わたしの心には「抑うつ」という名の処方箋が与えられました。もやは晴れた。だからこれからはしばらく「抑うつ」と共に生きていく。よろしくね、抑うつちゃん。

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みきてぃ@いなフリ34期
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