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先生が不登校してみて気づいたこと【序章】

お久しぶりになりました。ミキです。

ちょっと疲れが溜まってしまった結果、
職場に1週間不登校になってました🙄!

(管理職と話し合っての計画的なものですが)

そこで感じたことを、少しずつ書いて残していきたいと思います。


不登校と聞いて、
どんなイメージをもちますか?


日本社会の問題? 家庭の教育力? 個性?

◉20年前、10歳のわたしの周りには、不登校の子はほとんどいませんでした。(田舎の小学生の体感)

◉10年前、20歳のわたしの周りでは、不登校が社会問題として取り上げられていました。(教育学部所属大学生の体感)

そして今、2025年を迎えて。
「不登校は、10年前の5倍に増えた」とか。

率直に、どう、思いますか?




わたしは、この結果に対して、


「まあ、そうやろなあ。」


と思いました。


だって、学校現場にいるわたし(教員)たちの多くが、新しい価値観をもつ子どもたちに、対応しきれていないから。

公立学校って、ほんとにほんとに、時代が止まってるんです。

もちろん、全部が全部ではありません。
英語とか、ICTとかね。
対応してる部分はありますよ!!

※それに、現場の先生たちは、めっちゃくちゃ頑張ってます。マジで頑張ってる。それとこれとは話が別なくらい、みんな頑張ってます。

時代や社会の変化に応じて、
教育の内容や指導方法、保護者対応の仕方などは変わりました。

でも、肝心な「子どもたちへの対応」に、大きく欠けた部分があると感じています。


少し脱線しますが、

平成人(平成に生まれ、平成を生きた人)ってなかなか貴重じゃないですか?

令和って、あらゆることの見方、考え方が変わりましたよね。
そんな中、昭和を生きた先輩たちが言うんです。

「俺たちの頃はなあ。」
「わたしたちのときなんかはね。」


これは世の常なんだろうとは思うんですが。
ほんとに言うんやなあ、って思っちゃう(笑)

でも、50代、60代前のベテラン先生たちと一緒に働いていて感じるのは、

「この時代の変化に対応するの、まじでめちゃくちゃ大変だろうなあ。」

ということ。

語ればキリが無いほどの変化ですよね。

そうだ!! 「不適切にも程がある!」は、最高ですよ。見ました?大好きなドラマだったなあ。

平成の途中で、体罰の悲しい事案だったり、◯◯ハラスメントって言葉が流行?したりで、人と人との関わり方、距離感、言葉の選び方、たくさんのことが変化しましたよね。

令和では、さらにその風潮が加速しました。

阿部サダヲも、困りまくってた。
羊さんは、染まりまくってモンスターペアレントやってた。

フテホド!見て〜!


だって令和、すぐSNSで叩かれる。晒される。
「ちゃんと」してなきゃ。
人権意識高くもったり、インスタでおしゃれに生きなきゃだったり。
こんなに安心な日本で、みんなどこか不安定なこころ。

そんな中、平成人って、緩衝材だなあ、と。

平成に生まれ、平成を生きた我々って、昭和人の行動やコミュニケーションのとり方も見てきたから、ちょっと今窮屈に生きてる気持ちがなんとなく理解できる。

でも、異常なアルハラとかセクハラとか、いきすぎたものについてはわかんない部分があるから、そこは令和っ子たちの「あいつらなんなん?」って責めたくなる気持ちも理解できる。


平成の民、仲裁役になりがちですよね。

どっちもの気持ちがわかるって、いいようで、大変なんだよね。やっぱり職場でも重宝されがちなのではないでしょうか。

でもね、この平成人たちの味ってあるなあと思うわけです。



話を戻しますが、

公立学校は「子どもたちへの対応」に遅れをとっていると、わたしが思っている件。

それは、
「生まれてこの方までの、生きてきた時代背景が全くもって違う」
という大前提を、理解していない先生が多いと感じるから。(わたしも含め)


だって今の小学生、平成30年とかに生まれてる。衝撃。次入学する子たち、令和生まれ?え、もうほんとお生まれになったの、この前やん!

令和ってもう、ほぼコロナの時代。
人生の半分くらいは「ディスタンス」とか「非接触」とかって言われて生きてる。

スマホも生まれた時から日常に溶け込んでるし、オンラインゲームやYouTubeなんかもそう。

「社会」で言えば、様々なハラスメントがマスコミに取り上げられて、社会にその意識が浸透してきてから、その体制が整備された社会に生まれてきた人たちなんですよね。

もう、次元が違う。

なんていうんだろう。
基本が、基盤が、守られているというか、整えられているというか、やさしい(優しいというより易しいってニュアンスの)世界線で、生きてきてる。
根性論とかじゃなく、論理的に。
保育園や幼稚園の頃から、互いの意見をできる限り尊重されるような環境だったり、
ネットの普及で家庭の教育観も「学習されたもの」が生かされて、教育的だったりする。


それなのに


いまだに、不登校の子たちに対して、

「気合いが足りん!」

とか言っちゃう先生も、正直、いる。

(これが良いとか悪いとかいうつもりはないですが、ミスマッチであるのは事実っぽい)


学級でも、
これだけ多様性が進んでいる社会の中で、いまだに一斉授業、同じ課題に同じ方法で取り組むことが求められる。
(保育園、幼稚園では、自由に遊ぶことを良しとされてきたのに)


子どもたちからしたら、
(いや、ほんと、何言ってるの?(はてな))
って感じなんだろうなってこと、まだまだ溢れてます。

田舎の学校なんで、特にかな。

制服、ヘアスタイル、持ち物、そういったものに関する校則。

時代と逆行して、縛りに縛って、

でも一方では、時代に合わせて、過剰なまでの保護者対応や子どもたちへの気遣いが行われる。


なんか、ズレてるんです。
平成人は、思うんです。昭和の先輩たち、めちゃくちゃ頑張ってるのに、なんかズレてる。

つら…( ;  ; )


不登校の子たちにも、言い分はある。必ずある。

だから、ただそれを聞けばいいはずなのに。

学校現場が意外といちばん、

「不登校の子は、…だ。」
「不登校の家庭は、…だから、仕方ない。」

って先入観を、強くもっていたりする。


これってほんと、何も解決しないし、誰も幸せじゃないんですよね。ほんと、みんな頑張ってるのに、みんな苦しんでるのに、悲しい結末になりがちで。


今回は、教員人生の中で長いこと感じていたことを書いてみましたが、
この度、自分自身が「不登校」してみて、いろいろ感じたことがあるので、また書いていきます。


明日も
自分の人生大切に
自分のペースで生きましょう🪴


2024/11/26

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