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「 伝わる文章 」って結局ハートが大事?〜 新年の幕開けnote 〜

かなりかなりのお久しぶりになってしまった。
ミキです。

投稿しぶった理由は、明白。
「不登校」と「働き方」について取り上げた記事に、思いがけずたくさんの反応があって、なんだか構えてしまった。

いろんな想いをもった人たちが
見てるよね

って、今さらながら。

でもnoteは、わたしの大切なアウトプットの場所。
やっぱり、自分がその時々にふと思ったことを、できるだけ思った通りに表現していこう。そうしたいな、と思った。


だから2025年は、noteにたくさん綴ろうと思います。
わたしはやっぱり、書くことが大好き。
気持ちを外に出すことが好き。

ふり返って、
「あの時わたしこんなふうに思ってたんだっけ」
って不思議な気持ちになるのも好き。


そして同じように、
誰かの「想い」に触れることも大好き。

えー!そんな風に感じるんだ!素敵。
なるほど、その感覚、わかる気がする。
言語化してくれて、有難いなあ。

うおお、わたしも、そのことについて書きたくなってきたぞぉぉお。

…こんな感じで、
心を動かされながら読むのが、楽しくて仕方ない(笑)

なんかさ、
「人に読んでもらう文章にするスキル」みたいなのって、世の中にたくさん出回ってるけどさ。

心を込めて書いたものって、やっぱりなんか伝わる。

それは、大人も子どもも一緒だと思う。



わたしね、国語の出張で「読書感想文の審査会」に参加したことがありまして。

そりゃあもうたくさんの感想文を読んではまた読み、審査しなければならないのだけど。
やっぱり、思いって伝わってくるんだよなあ。

「この子、たぶん日頃は本読んでないな(笑)夏休みの宿題として、頑張ったんよね、きっと。」

って思うのもあるし、

「明らかー!明らかに親の手が入りまくっているー!もはやこれはこの子の感想文と呼んでいいのか!?」

みたいなのもある(笑)
それはもう、文体は整ってますけどね。思いが全く伝わってこない。不思議なもんで。


そんなのをたくさん読んでいる中で、突然、グサリと刺さる作品があるんです。

「これは大人には真似できない作品だ」

「というか、この子だけの気持ちだ」

「ああ、そう感じたんだね。そう思ったんだね。」

例え拙い文章でも、その子の気持ちがまっすぐ届いてくる。ハートに刺さる。嘘がない文章っていうのは、やっぱり伝わるんだと、教えられた。

そんなわたしの感動もそこらに、

「思いは伝わるけど、ちょっと文量が足りないね」
「それに、直さんといけん箇所も多いね」

なんて言われて、初めは最終候補には残らなかったりするんだけど、でもいざ「うーん、あとひとつ、どれにしようか」となったときに、

一度は【落選】したはずの山の中から、その文章を探したくなるんです、大の大人たちがこぞってね(笑)



あの瞬間、わたしはすごく嬉しかった。

別に、賞を取るとか取らんとかじゃなく。
あの子の心の声って、ちゃんと大人たちに響いたんだって思うと、嬉しかった。


大人もそうですよね。

「インスタで投稿を見てもらうためには」
みたいなアカウントってたくさんあります。
もちろん納得度は高いんですけど、
わたしはけっこうありますよ。

(正直デザインとかはあんまり好みやないけど、この人の考え方、好きだな。)

とか

(長文で読みにくいと思ったからシュッと飛ばしかけたけど、なんか気になったワードがあって読んでみたらすごい心に届くものあった。)

とか。


なんかこう、強い思いみたいなのって、やっぱり見た目だけじゃなく、不思議と伝わるんだと、わたしは思います。感じてます。


だからやっぱり、
嘘のないまっすぐな思いで書く。
これが大事なんだと。

スキルも色々ある。
でもまずは、書く。書き綴る。
書くことを習慣にする。


丸裸の自分を出すことを、当たり前にする。

黒歴史も、外からの評価も、全部、面白がる。



🐍の年。
のんびりじっくり、
「自分」という地からあまり離れず、
曲がりくねりながらも着実に前へと。

自分を色濃く、noteに映し出していきます!


ここまで読んでくださった方、
たまたま覗いてみてくださった方、
何かフィーリングを感じ取ってくださった方。

皆さん、ありがとうございます🫶🏻

今年も一年、よろしくお願いします。

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